迷宮 深森の間

 襲いかかる魔物を適当に撃退した後、デュランとユディスが駆け込んだ先には鬱蒼とした森が広がっていた。


「階層が深まりましたね」

「深森の間、か?」


 迷宮の中で森、とくれば深森の間が該当する。正しい並びであれば、砂の間、大木の間の次に進むべき場所だ。


 木々が生い茂っているためわかりにくいが、この場所には外部の実際の時間ともまた異なる、通称昼時間・夜時間と呼ばれる二つの時間帯が存在する。

 昼時間であれば、魔物達の眠りの時間であるため、ある程度気をつけていれば探索や採取を比較的容易に行うことができる。

 一方、夜時間は魔物が活発に出歩く時間帯であるため、腕に自信がない者は魔物避けを構築して休むなり、相手との遭遇をやり過ごすなりする必要がある。


「ああ、なるほど……道理で随分と濃い木の香りがすると思いました。ここはまだ、生きているようですね」


 ユディスがすんすん、と鼻を動かして首を傾げていた。視力が落ちている分、別の刺激の方を感じ取りやすくなっているのだろう。


「今は夜時間、かな……霧が濃くて、全然周りが見えない」


 一方のデュランは、先ほどの大木の間と同様立ちこめる霧による見通しの悪さに、思わず顔をしかめていた。ただでさえ平常時も生い茂る木々が鬱陶しい場所なのに、これでは行き先どころか現在地もまともにわからないだろう。


(まあ、さっきと違って地面があるだけまだマシか。ただ、地面の中にトラップや魔物が待機している可能性を考慮すると、喜んでばかりもいられないか……)


疾く失せよヴァニージャ


 ため息を吐いていると、こつんと杖でつつかれた。

 女神官が同時に何事か唱えていたことから、彼女が何をしたのかは見当がつく。


「魔物避けの呪文、か?」

「はい。どうせこの先更に難易度が上昇しますし、第五階層――試練の間まで行けば嫌でも戦闘をさせられるはずです。我々の目的はあくまで最深層踏破、魔物の撃滅ではない。そもそも一部のマップでは無限増殖設定になっているでしょう、ならば殲滅はその手が有用である時に限ります。さ、行き先を」


 どことなく催促するように再び杖で小突かれ、デュランは慌てて笛にまた意識を集中させる。行き先が常にわかるというのは心強い。一方で、この頼りなくか細い糸を手繰るような行為がいつまで通用するのか、漠然とした不安も常に己を苛む。


 戻り道の事は基本的に考えない。迷宮探索基本セットの中に、いざというときの緊急脱出装置エスケーパーなら入れてきた。それもこの怪しく姿を変えつつある迷宮内部で、どこまで通用するものか。


「お待ちを。そのまま進むのはよくありません」


 基本的にはデュランが先行し、ユディスがその後ろに付き従うが、時々彼女からそんな警告が飛んでくる。そういう場合は二人で迂回路がないか探すか、覚悟を決めて罠や魔物の巣を突っ切る。


 常に警戒しているとは言え、やはり事前注意があるのとないのとでは圧倒的に対処のしやすさも変わる。


 デュランも自分が勘のいい方である自覚はあるが、ユディスは視力を失って一層別感覚を研ぎ澄ませているためか、空恐ろしいほどに危機回避の予言を的中させ続けた。


「さすが当代一の術士、だな」

「それほどでもありません。見えなくなった事で、逆に見えるようになった部分も――右方向。群れが近づいてきます。おそらくはオーク……左方向はおそらく足場が悪い」

「わかった。ここで待ってやり過ごせないか、様子を見よう」


 何度かやりとりを重ねながら進んだところで、二人ともほっと息を吐き出した。


 大木の間とはまた異なる、枝の多い広葉樹に似たタイプの木がぽつんとそびえ立つ。

 その根元、あるいは幹の中に、ぽっかりと穴が空いていて、ほのかに淡い輝きを放つ。


 どうやら次の階層への入り口のようだった。


「まだ余裕はありますが……この先難易度が増す事はあっても、下がることはないでしょう。一度休憩を入れますか」

「そうだね……焦りすぎるのもよくない、か。地上がどうなってるのか、わからないのが歯がゆいな……」

「あちらはあちらで、優秀な人材が多く残っていますから」


 多少の未練を竜騎士が口にすれば、神官は淡々と答え、木を中心に魔物避けを張り直しに行っている。


 デュランは木の近くに腰を下ろし、荷物の中身を漁って水と食料を取り出した。戻ってきた枢機卿にも差し出すと、一瞬躊躇するそぶりを見せたものの、彼女はありがたく受け取る。


「カルディはもしかして、試練の間の先まで知っているのか?」


 もしゃもしゃとお気に入りのプレーン味を咀嚼しながら聞けば、同じく無心で携行食糧をかじっていたらしい神官が声の方に顔を向ける。


「竜騎士閣下もその先に進んだことはありませんか?」

「闇黒の間は、入り口だけ見たことがある。竜に乗っていた時に一度、鎧をもらってから一度。実際に足を踏み入れたことはないんだ」

「戻ってこられない覚悟をして踏み込めと警告された。あるいは今はまだ行くべき時ではないと思った、ですか?」


 彼は苦笑で肯定の意を返した。

 ほの暗いぽつりと空間に開いた場所から、芯まで凍らせるような冷気がひやりと首筋を撫でる……かつての経験を思い出して、ぶるりと身を震わせる。



 ――やめときな。お子ちゃまのお前にゃまだ早いよ。


 好奇心に身を乗り出そうとした途端、珍しく真面目な口調でぴしゃりと呼び止めてきた、相棒の声を思い出す。

 長い首を器用に巡らせて、竜は確かこう結んだ。


 ――男になったら挑戦してみろよ。何も失いたくないけれど、絶対に欲しいものがある。それぐらい追い詰められた時にね。


 少年期の彼は首を傾げつつ、素直に助言に従った。


 一人で探索していた折、二度目の機会に恵まれた際も、以前の言葉が引っかかって躊躇している間に闇への誘いは消え失せた。


(シュナと会う前は……冒険自体は楽しくても、命を賭けて女神様のところに行って、何を願うのかと考えたら……俺は充分満たされて、失ってでも得たいものなんてなかったから。だけど、今は……)


「閣下?」

「あ……ごめん」


 考え込んでいたら、いぶかしげに呼びかけられてしまった。

 慌てて食べかけの食料を口に詰める。


「なんでしたか……闇黒の間の先、ですか。この比較的落ち着いた状況で、情報のすりあわせということでしょうか」

「んぐっ……そうそう、それがやりたかった」


 喉を鳴らして水筒の中身を流し込んでいると、横道に逸れた話題を神官が正してくれる。


 途中竜騎士がぼーっとしていたせいだろうか、枢機卿はすっかり軽食を終わらせていたようで、きちんと両手を膝の上に置いて行儀よく話し出す。


「試練の間までは、いわば体力と根気、それから危機判断能力のようなものが試されます。闇黒の間は、女神に至る資格を得た者の前にしか現れない。ここは迷宮の他の場と明確に性質が異なると聞いています」

「性質……」

「例えば試練の間が肉体面への負荷ならば、闇黒の間は精神を追い詰めるのに特化した場所なのだそうです。人は無に耐えられない。やがて夢を求める頭が、己の内面から虚像を作り出す――」



《お前には、何もない》


《お前の外には、何も》



 つい聞き入っていたデュランの集中を打ち切るように、枢機卿は傍らに置いていた杖に手を伸ばし、地面に突いてしゃん、と音を鳴らす。


「何にせよ、闇黒の間を超えればいよいよ女神に拝謁叶うというのは確かな情報のようです。さ、ほどよく気も抜けたことでしょう。先に進みます」

「う、うん……そうだね」


 手早く片付けを済ませたデュランは、相手の準備が整うのを見届けてから歩き出した枢機卿の後ろに付き従う。



 ああ、確かに、ずっと息を詰めっぱなしでは、いつか限界が来る。適度に力を抜くのは、任務達成において重要だ。けれど心持ち早めに神官が休憩を切り上げたのは、彼女の危機察知能力が何か告げていたのかもしれない。


 ここまでが順調――順調過ぎたぐらいだったせいで、デュランは知らず緩んでいたところがあったのだろう。あるいはユディスの方もそうだったのかもしれない。

 互いに有能な冒険者、協調性のある二人の快適な道中は、かつて対立していたこともお互いが万全の状態でないことも忘れそうになるほど、むしろ心地よさすら感じさせつつあった。


 ――だから、これは油断であり、慢心であり、そして痛恨のミスだ。


 木の中の穴に飛び込み、次の間に出た瞬間、竜騎士はそれを思い知ることになった。





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