memoria03: my God

 ×××が来なくなった。


 いや、姿を全く見せなくなったわけではない。

 センセイと、あるいは他の白衣の人間達となら、彼女の部屋にやってくる。


 だが、一人で現れる事が減った。以前よりも、確実に。掃除もなんだかんだ理由をつけて、そそくさ出て行ってしまう。


 実験のない自由時間、彼女は半ば微睡みながら、静かに思考する。


(忌避。嫌悪か恐怖……あるいは、恥?)


 変化があったのは、×××が男に連れて行かれる所を目撃したあの日からだ。

 どうやらそのことについて、何か後ろめたい気持ちがあるらしい、とまで彼女は理解する。

 しかしその先が進まない。


 なぜ。

 なぜ。

 なぜ……。


「……イシュリタスは、理解しました」


 ぽつり、と水槽の中で彼女は呟く。言の葉を紡ぐ度、空気の泡が浮かんでは消えていく。


「一人の時間は、長いのですね」


 応える相手も、聞く相手もいない。

 その言葉は、乾いて響いた。



 ×××はもう来る気がないのだろうか、と彼女が諦め始めた頃、また変化が訪れた。


 女がもう一度やってきたのだ。

 それも、これまでにない姿だった。


「…………っ!」


 部屋の扉が荒々しく開けられる気配にうっすら目を開けた彼女は、目を見張った。


 ×××の顔は腫れていた。

 見たこともないような怖い顔。

 一瞬だけ縋るような目がこちらを向いたが、すぐに逸れる。

 走ってきたかと思うと、彼女を回り込んで――入り口から一番見えにくい場所、水槽の後ろへ。


『…………』


 そのままうずくまり、頭を抱えて震えだした女に、彼女は言葉をかけようと口を開いたが、やめた。


 目を閉じて、力を抜く。いつも人間がいないときはそうしているように。


 少し時間が経つと、また誰かの足音が聞こえてきた。


「子猫ちゃーん、どーこに行っちゃったのかなあー?」


 やってきたのは白衣の男だ。

 彼女は目を閉じたまま、密かに個体識別を行う。


(――推定通り)


 、やってきたのは以前×××を連れ出した明るい頭髪の男だった。


 男の声がすると、また一つ大きな震えが縮こまっている惨めな女に走る。


 彼女は動かない。

 男がちらりと水槽に目をやって、そこにいるものが静止しているのを確認すると、どこか安心するように息を吐いた。


「へ……チューブまみれ、そこから出たら即死するような奴なんだろ? 神様ねえ……」


 かつ、かつ。歩くと革靴の音がよく響く。あるいはわざと、そういう威圧的な歩き方をしているのだろう。


「なあ、人造の神様さんとやらよ。ここにアイツが来なかったか? ほら、×××。お前、仲良くしてるんだろ? 知らねえけどよ」


 返事の声はなかった。男はしばしの間白衣のポケットに手を入れて待っていたが、無反応を悟ると「けっ」と毒づく。


 実験体に興味を失ったらしい彼は、乱暴な足取りで歩き回り、あちこち物音を立てている。


「あいつ本当、どこ行きやがったんだ……?」


 水槽の後ろまで、、男はようやく部屋を出て行った。


 何が起きたのかわからないでいるらしい女が、呆然とへたり込んだまま閉まった入り口を見つめている。


『×××。わたしは対話を希望します』


 静かで、涼やかな声が響いた。怯えたように身をすくませた女が見上げると、水槽の中で身を捻り、少女の形の人造の神が見下ろしてくる。


『×××。わたしは疑問です。怪我は治した方がいいのですか。それともこのままの方が自然ですか』

「――なんで、あの人、出て行って……まさか。庇って、くれたの?」


 女の言葉は質問に対する回答ではなかったが、彼女が気を悪くすることはない。


『はい。その方が良い、と、わたしは判断しました。認識を操作する。簡単なことです』

「でも、それ……あなた、先生に、そんなことできるって……」


 女は自分を抱えるように両手で抱きしめ、声を震わせる。


 発掘された原初の古竜、イシュ。

 その遺体から因子を抽出し、人間用にカスタマイズされた神を作り出す、神の娘達計画――だが人類の期待に反し、造られた女神達は目覚めなかった。


 ただ一人、六番目の娘を除き。


 それもまた、人類が期待したような成果を示さなかった。

 確かに神の力の片鱗を見せはするが、不安定で、出力不足。

 おまけに統制が困難。


 代わりと言っては何だが、唯一の神は非常に取り扱いやすかった。

 素直で人間の指示をよく聞き、力不足で期待以下な事はあってもけして自ら逆らうような事はしない。


 そのはずだ。

 それが彼女に対する人類の理解だった。


『以前よりは。力の使い方がわかってきただけです』


 これは恐怖か。

 ――それとも期待か。


 女の震えは、銀色の目に見据えられると止まっていた。


 水槽の強化ガラス越し、包み込むように少女の姿のそれは両手を広げた。


『――わたしは、神様ですから』


 ぺたり、ぺたり、と両手がガラスに張り付き、少ししてから離れる。


 無意識に動く、女の手がなぞると褐色の肌の異物感は消えていた。


 一歩、二歩。

 下がって壁にぶつかった女はそのままずるずると力なく座り込む。


 じっと銀色の目を彼女が向けていると、また女が震えだした。

 しかし、どうやら今度は笑っているようだ。

 ……それにしては声に元気がない。


 首を傾げている彼女の前で、女が前髪をかき上げ、苦笑を漏らした。


「神様なんていない。そう、思ってたのになあ……」


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