迷宮の姫 知らぬが故の平穏
温もりが心地いい。肌寒さから身を寄せれば、うーんと唸りながらもぞもぞ蠢く感触が伝わってきた。
シュナはぼーっと、寝起きの半覚醒状態のまま伸びていた。平和な朝だった。密着している別の存在を夜中ずっと感じていたためか、少し身体は重い。それすらもどこか満足の理由となっているように思える。
下敷きにしていた手が動いたかと思えば、髪を撫でられた。くすぐったくも気持ちいい。うっすら開いた目を閉じてもう一度夢の中に優雅に洒落込もうとした直後──事件は起きた。
「ピッ!?」
鋭い悲鳴を上げたのは、何か探ろうとするように揺れたデュランの片手がシュナの胸の辺りに触れたためだ。
なお、触れたというのは最大限好意的かつ弁護しようと思った時の表現であり、結構しっかり掴んだ、というのがより正確なところである。
擬音語にするなら「ワシッ」だった。そのぐらいの勢いはあった。
瞬時に快適なまどろみの中から現実に戻ってきたシュナは、混乱後素早く状況を把握する。
(寝相……そう、これは寝相の事故なのね!)
急速覚醒は軽い頭痛を覚えさせたが、なぜこんな状況になっているのか瞬時に経緯を頭に呼び起こす事も手伝った。
昨晩迷宮から城に戻ってきたはいいものの、転移先がどうやらちょうどデュランの寝室だったようなのだ。
詳しいことはわからないが、シャワー上がりの彼がうろついていて彼の衣服が床に散らばっていたのだから、寝室と考えるのが妥当だろう。
他の場所でそういうことをするような男では……ないと胸を張って言いたいが、たまにちょっと信用できなくなるのがこの男の痛いところだ。
さてそのたまに痛い若者は、何やらげっそりやつれて疲れきっていた。しかもシャワー上がりにおかしな絡み方をしてきたかと思えば、ほぼ裸のまま眠りについてしまった。
そして寝言で寒いから湯たんぽになって(意訳)と言うもので、さらに実際寒そうな格好だったのだし、置いていくのも可哀想になった。
なので自分もベッドに潜り込んだ。
そう、一応その辺、身に覚えはある。
こうやって冷静に考えてみると、「わたくしもなかなか奇妙な行動をしているのでは……?」と不安になってきた。
でもでもだって、普段(時々適当な事を喋っているような場面もあるが)しっかりしていて自分を導いてくれる男が、ぐでんぐでんのベロンベロンで絶賛無防備だったのだ。こちらまで調子が狂うのも不思議ではない。むしろ自然。
それにまだ言い訳の余地はある。
シュナの知らない仕掛けが色々とある城内を、昼間ならまだしも、夜中下手にうろつくのはあまり賢いとは言えない選択だ。
おかしな所に行ってしまったり、また下手な所を触って警報装置を作動させてしまうよりは、少なくとも安全が保証されているその場から動かないのはむしろ堅実な選択……。
だが。だがしかし。お目覚めスッキリ(いやスッキリではなくはっきりか)状態の今なら、なんだか自分が大層やらかした、そんな予感がじんわりと滲んできているのだ。
そういえば、割と色々な人(竜)から、「裸の男の人と一緒になっちゃいけません」と口を酸っぱくして言われていたような……。
(でもただの不審者じゃなくて、デュランだし……あれ? デュランも駄目なんだったかしら。どうだったかしら──)
「ピー!」
これは駄目だったかもしれない!!
若干現実逃避気味に思考を連ねていたシュナは、自らの浅慮を深く後悔するとともに二度目の悲鳴を上げた。止まっていた彼の手が動き始めたからだ。
シュナの胸に密着したまま。
たぶん仮にもし喋れていたとしても、今この瞬間人の言葉を話すことは難しかっただろう。
何が起きたかわからない。
わかっているのだがわかりたくない。
今だけは言語化をしたくない。
この瞬間、咄嗟に迷宮に逃げ帰らなかった自分は偉いと思った。
いや、それともそちらの方が正しい選択だったのだろうか。
世間知らずは相変わらず人生初体験の場に弱い。
まず脅威なのか驚異なのか迷うのと、逃げるか立ち向かうかの二択が咄嗟に浮かんでも選べないのである。
さて一方さすがに竜騎士は彼女よりは修羅場慣れしていた。
ようやく自分がふかふか感触を楽しんでいるのが女性の胸と気がついた彼の表情を何に例えたらいいだろう。
今まで何度かデュランの真顔を見たが、気のせいじゃなければ今日が一番真剣なんじゃないだろうか。
行動もそれなりに素早かった。
固まったままプルプル震えるしかないシュナの横で、そっと右手を離し、ついでにシュナがずっと頭の下に敷いていたもう片方の手もそっと抜く。
今まで見たどのエスコートよりも正確無比な捌き方だった。まるで寝起きの女性の頭の下から何度も腕をどかしたことがあるかのような。
彼は無意識なのだろうか、未だ横になったまま丸まって様子を窺っているシュナに、指さそうとしてやめて、口元を覆い、そこでしばし硬直する。
その顔色は刻一刻と目に見えて悪くなっていき、額には脂汗が浮かび――この辺りで、そろそろ自分だけ寝っ転がっているのはあまりよろしくないんじゃないかと気がついたシュナが起き上がる。
面白いぐらいにデュランは反応した。
しかし解せないのはその態度が、彼女の経験上恐怖の感情を表しているようだという事だ。
(一体何をそんなに怖がっているのかしら?)
自分より慌てている人間が目の前にいると、余裕が生まれてくるものだ。
あくびを噛み殺したシュナは、ああもしかして、と先ほどの無礼を思い出す。
だがここまで反省しているのなら、元はと言えば一緒に寝ると決めたのは自分なのだし、更に寝ぼけての事故である。
故意ならばともかく、無意識の領域まで責めはすまい。姫は寛容なのである。というか先ほどは驚きが強すぎて逆に怒りが芽生える余地がなかったというか。
ともあれ彼女は穏やかに(おはよう、デュラン)と挨拶をした。
「トゥ、トゥラさん……あの……おはようございます……?」
デュランは言葉なき娘に親切で優しかった。
たとえすっかり血の気の引いた顔、動揺を露わにしつつではあっても。
(そんな格好で寝るから寒くなるんでしょ! 早く着て!)
多少訝しげに相手を見つめた後、これはおそらく寝方が悪かったから今朝こんなことになっているのだろう、と推測した娘は部屋の中に散らばっている服の群れを指さした。
「そっ……そうですね着替えは必要ですね……ところでトゥラさん、その、水場の利用はご入り用でしょうか……一応そちらの方にシャワーとかお手洗いとかございましてですね……?」
(なぜそんな頑なに目を合わせようとしないのかしら、この人)
と未だ不審要素しかないデュランの素行に思う所はあるものの、提案は魅力的だった。
デュランの方は寒かったのかもしれないが、抱き枕にされていたシュナの方は実は結構暑くも感じていた。
それにさっぱりしたい気持ちもある。
ありがたく好意に応じ、鼻歌混じりにシュナはバスルームに入っていく。
その後ろでどれほど男が苦悩しているかも、ましてやその理由も、今の彼女にはまだわからないままなのだった。
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