迷宮の姫 添い寝する

 なぜここにデュランが。

 そしてなぜ裸。


 シュナの頭は真っ白である。


 しかも普段なら心とろかせるような微笑みを浮かべ、優しく声をかけてくる彼が、今日はなんだか一味様子が違う。


 冷たい目でシュナを一瞥した後、つかつかと部屋を横切っていったかと思うと、テーブルの上の瓶に手を伸ばした。


 彼がコップに注ぐまでもなく直接そのまま中身を呷ると、ぐび、ぐび、と鳴る音に従って喉仏が動く。


 はう……! となぜか固唾を飲み込んで、シュナはその様子を見守っている。


 彼が一際大きく嚥下してから口を離す瞬間の様子。

 濡れた唇を舐め取る舌の動き。

 ぐい、と粗野な手つきで拭われる口元。


 何かにとりつかれるように、ぼーっとその一連の様子を見ていた彼女だったが、ふとまた金色の目がこちらを向いて、そして呆れたように竜騎士はため息を落とす。


「ところでそれ、いつまで持ってるつもり? そろそろ捨ててくれない?」


 はっ! と我に返って、慌てて手放す。

 そしてその瞬間になって自分が何を広げていたのかようやく気がつき、再び竜同然の奇声を思わず上げていた。


(これは――ぱんつなのだわ!)


 なんで女性下着と全く異なる形状をしているのに知っているかって、一度脱ぎ着してる所を見たことがあるからだ。


 そう、デュランの全裸を見るのはこれが初めてではない。もう既に彼は己の全てを意図せず意思を持ってさらけ出したことがある。そしてプルプル震えながら、割としっかり全容を隠れ見ていた悪い姫がシュナである。


 あとは主に本。そして侯爵夫人の手配した授業の一つ。


「良いですか、お嬢様。今日はファッションのお勉強をしましょう。と言っても、たとえばこの服を着ている人が騎士、この模様を身につけていたら王国の人間、など、お洒落云々というより、相手が何者なのか、格好から理解する、という視点で講義を進めて参りますが……」


 などと粛々語った講師が、「ああそうこれは余談ですが」と前置きをして教えてくれたのが下着トークである。

 往々にして座学というものは、なぜか本題ではなく寄り道トークの方が生徒は熱心に聞いてしまったりするものである。


 しかもこっそり講師が男性向け下着カタログ(この世にはそういうものもあるのだ)を広げて解説してくれるものだから、ついつい生唾を飲み込んで食い入るように聞き入ってしまった。


「良いですかお嬢様。これが殿方の下着姿です。つまり、この姿の男性と二人きりになってはいけませんし、また、男性がこのような姿を晒してきた場合は、淑女をかなぐり捨ててまず身の安全を確保すべく――」


 ……と、横道なりに実はちょっとした無知娘への危険回避講義でもあったわけだが。



 ともあれ、だからシュナは、暗がりではわからなかったが実は自分がデュランのパンツ(しかも状況から推定するに風呂に入る前に部屋に脱ぎ捨てていったもの)を両手に握りしめていたのだという残酷な事実に気がついてしまった。


 しかもショックに浸っていられる時間もなかった。


 それまで距離があったデュランが、近づいてきたせいだ。しゃがみ込んでのぞき込まれ、シュナは思わず身体を反らせた。


(や、やっぱりいつもと雰囲気が違う……)


 今日の彼はよっぽど疲れをため込んででもいるのだろうか、なんだかどんよりした雰囲気だ。


「ていうか本当に君、何してんの? 状況わかってます? 襲われても何も文句言えませんよこれ? ……いや俺の妄想だから俺がさせてる事になるのかコレ? パンツ触らせるような趣味はないはずだろ、それとも潜在意識なのか……」


 そんなことをブツブツ早口で呟いたかと思えば、今度はうなだれている。


 どうしよう、なんだか明らかに体調が悪そうだけど……とおろおろし始めた彼女を見るデュランの目が、ふと何かの熱を帯びた。


 本能的な察知力で、シュナは動きを止める。

 刹那の緊張感。何かが起こるような、予感。


 そんなものは幻想だった。なんだかんだ理性のある侯爵子息が自重を思い出したためである。


「駄目だシュナ問題が片付いてないのに妄想とは言えそれをするのは駄目だあああ!」


 危うい気配を醸していた視線はふつりと切れて、彼は床を叩きだした。


(……熱でもあるのかしら、この人)


 どうしよう触らないでお医者さんを呼びに行った方がいいのかな、と一瞬迷ったシュナだが、まずは現状を理解するところから、という意識が勝った。


 具体的な行動としては、デュランの頭に触れてみた。


(熱……うーん、でもいまいちわからないわ)


「慰めてくださるんですかトゥラさん。お優しい……じゃあご無体しようなんてアレな事言わないので、現実的な線でご褒美をくれませんか」


 探りながら首を傾げている彼女に、デュランが低い声をかけてきた。


 よくわからないが、また緊張が訪れた事だけはすぐに察した。


 身構えたシュナの前で、男は一言、真顔で言い放つ。


「つまり俺は膝枕を所望しています」


 思わずシュナも真顔になった。

 腰巻き一枚身につけて、行儀良く正座したままじっと真摯で熱い眼差しを向けてくる、ファフニルカ侯爵家次期当主の顔を結構長い間見つめてしまった。


(わたくし、もしかして出直した方がいいのかしら)


 なんてことすら、頭の隅を横切っていった。あまりに奇行が続くもので。


 しかし、本日のデュランは奇妙奇天烈すぎて、このまま放置していくのもそれはそれで情がない気がする。せめてお医者さんにスルーパスを送りたい。そのように考える善意の塊系箱入り娘なのである。


 そしてこの間、なんとなく視線を彼の全身に巡らせてみたりもしたのだが、やっぱり得られた結論は「どうしよう、この人が何を言っているのかわからないし自分が何をすればいいのかもわからない」であった。


(ひざまくら……?)


 ってそもそも何だったかしら、と首を傾げていると、相手が困っている様子に気がついたらしいデュランがおもむろにエスコートを開始した。


 手を握られた瞬間、これはそのまま受けていいものなのか、それとも振り払った方がいいのか。


 状況的には、


「いいですかお嬢様、まず大きな音を立てて人目を集めるのです。荒くれ者相手ですと逆上させて口封じに動かれる可能性があるのであまりよろしくないのですが、貴族の軟派野郎は醜聞現場を押さえられる方が怖いので尻尾巻いて逃げるでしょう、つまり充分有効かつ安全云々」


 と講師が解説していたそれを、まさに今が実行の瞬間なのではないかと思うのだが――いまいち反撃の意思が芽生えてこないのは、相手がデュランであるせいなのだろうか。危機感よりも訳わからなさの方が上回っている、というのもあるのかもしれない。


「こう、貴女は椅子に座っていただいて、俺がそこにこう、頭を乗せてですね……」


 結果として、彼女は導かれるままソファーに腰掛け、太ももに男の頭が乗るのをされるがまま見つめることになった。


(あ、だから膝枕……)


 なんて納得していた彼女だったが、思わぬ感触に「ピッ!?」と本日何度目かの鳴き声を上げる。


「ああそう、そうですとても理想的、まさに天国、さすが夢……」


 うっとり呟きながら、デュランが太ももを撫でてくる。


(くすぐったい!)


 と思った彼女だったが、立ち上がって男を引き剥がすまでには至らなかった。すぐにその手は力を失って、彼が実に心地よさそうに目を閉じたためである。


(……デュラン?)


 いや、大人しくなってくれたのはいいのだが、そこで寝息を立てられるのは問題だ。


(駄目よ。寝るならちゃんとベッドに行かないと。大体、そこまで寝心地がいい訳でもないでしょう!)


 膝枕を貸している頭部分はともかく、ソファは本来座るために使うもの、無理矢理寝そべっている彼の足は当然椅子からはみ出て伸びている。


 起きて! と意思を込めて頬をぶにぶに突いてみれば、男は実に眠たそうに、けれど意思を汲んで動き出した。


「え、何? こんな所で寝落ちしないでちゃんと寝ろって? 妄想の中でも君って本当……本当いい子……ごめんないつも夢の中であれこれして……」


 もはやろれつが回っていないから油断するとただのうにゃうにゃ音にしか聞こえないのだが、シュナは必死に脳を働かせて彼の言葉を解読しつつ様子を見守り続けている。


 這うように進んでいった彼は、ベッド手前で力尽きるのではないかとハラハラさせたが、一応なんとか目的地までたどり着きはした。


 それにしても、そこまで頑張ったのならあとちょっと努力すればいいものの、本格的に眠気に負けたのか掛け布団の上で寝こけている。


(あれじゃ寒いと思うのだけど……)


 と思ったシュナがそろそろ近づいていって、そっと被せてあげようともしたのだが、うまくいかない。最終的に、ちょっと恨めしげな目を向けてしまうと、薄目を開けたデュランが小さく呟いた。


「はいはいわかった寝ます、寝ますよ寝れば満足なさいますか……」


(そうね。本当はもっとちゃんと安全な寝方をしてほしかったのだけど。明日の朝風邪を引いても知らないのよ)


 あと地味に、寝そうで寝ない男だ。だが今度こそもういいだろう、自分は自分の部屋に戻らねば――いやそもそも戻れるのか? また扉を開いたら警報が鳴ったりしないか?


 このままここにとどまるべきか、次の行動を開始すべきか迷っている彼女の前で、デュランがくしゃみをした。


「……さむい。こっちきて、あたためてくれる?」


 もはや寝言なのだろうか、これは。

 思わず息を呑んでしまったのは、並々ならぬ気配を感じたからだ。

 こういうデュランを、前にも見たことがあった気がする。

 ――確か口づけを贈られたあの日。そう、その時と同じだ。

 心臓が早鐘を打つ。


 答えを求めて周りを見渡してみるも、ヒントすらあるわけもない。

 残されたのは、客観的に見て寒そうな見た目の無防備な男のみである。


(だからお布団に入ればよかったのに……)


 シュナは考えた。考え込んだ後、覚悟を決めた。


 一歩、二歩。感触を確かめるように、そろそろとベッドの上に乗り込む。


 恐る恐る横たわってみると、感触に反応したのかデュランが動いて、にゅっと腕を伸ばしてきた。


 こういうとき咄嗟に逃げられず固まるのが世間知らずの経験不足である。


 抱え込まれたシュナが目を見開いて硬直していると、微睡む男は娘の髪に唇を押し当て、囁く。


「おやすみ。いい夢を」


 そうして今度こそ、寝入ったらしい。規則正しい呼吸音のみが部屋に響く。

 しばらく緊張して窺っていたシュナだったが、やがて疲労感と温もりに、ふっと力を抜き、身を委ねる。


(……小さかった頃。本当に、時々。ほんのたまに。お父様もこうしてくださったわ。眠るまで、絵本を読んでくれたの……)


 ぴっとりくっつくと、包み込むように腕が回った。それがとても、心地良い。


 懐かしく、幸せな気持ちを思い出しながら、彼女もまた眠りの世界に落ちていった。

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