迷宮の姫 城に戻る

 しばし感動に浸っていたシュナだが、しばらくしてから我に返ると、はっと息を呑み、慌ててキョロキョロ周りを見つめだした。


「ど……どうしよう! これはこれで問題だわ……!」


 急に顔を青くした迷宮の姫の様子に、控えの二竜が下げていた頭を上げ、顔を見合わせた。シュナは彼らに言いつのる。


「だって……だって、シュナはトゥラじゃないのだもの!」


 改めてややこしい問題だ。

 外の世界では、彼女は黒髪で顔の左側に痣を持ち、喋ることのできない娘――トゥラとして認識されている。


 確かに元の自分を取り戻せたことは喜ばしく、また特に異変も見られないから迷宮人化作戦はひとまず成功したと考えて良さそうなのだが、デュランに求められているシュナは――というかトゥラはこれではない。


「どうして最初からこの姿になれなかったのかしら……!」


 鏡をのぞき込み、両頬を手で押さえて重たく悩ましく息を吐き出すも、すぐに彼女はいいえ、と自らの言葉を訂正する。


「この姿では、シュナ要素が強すぎる気がする……拾われたその日に、わたくしがシュナだってわかってしまって、そもそもトゥラという名前をもらう事にもならなかったかも……」


 それは幸なのか不幸なのか。非常に難しい問題だ。

 最初から竜のシュナと人のシュナが同一人物として立場を確かにしていたのなら、現在の奇妙な三角関係に陥る事もなかったのかもしれない。


 だがデュランとの関係は、別の意味でややこしくなったのではないか、とシュナは想像する。


(というより、わたくしがトゥラでなかったのなら、自由に町中を歩かせてもらえるような機会なんて……なかったのではないかしら)


 癖のない髪をくしけずりながら、彼女はううん、とうなり声を上げている。


 シュナの青い髪は晴れた日の青空の色だ。明るく澄んでいるが、時に全てを包み込むような深みを宿す色合いにも見える。あるいは水面のように、身じろぎする度に光の反射が変わって美しい波を作り出す、それは彼女は未だ知らない、寄せては引く海の模様にもよく似ていた。


 竜の鱗の色とぴったり一致する外見の特徴は、人間としては少々珍しいのだと、外界を知った娘は今では知っている。


(青い髪の人が、全くいないというわけではなさそうなのだけど。主流と言うほど多くもないし、わたくしよりもっと深い色合いの髪の方が多いのよね……)


 シュナの青色はどちらかと言えば明るめの青色だが、外界の人間達の青はもっと濃い。組み合わせによっては黒にも見えるようなほどの色濃さが、どうも青色の主流であるようなのだ。


 むむむ、と唇を引き結んでいた娘は、ふと口元を押さえ、くしゅん! と音を立てる。


 そういえば、竜は常に全裸なのだから人に戻っても必然的にフルオープンなのだ。

 そして竜の時ならばさほど気にならない気温差が、人間の身には大層こたえる。


 ガチガチ歯を鳴らし出した身体の変化に、慌てて父のだぼだぼローブを着込むシュナを、お供の竜達が近づいてきて興味深そうに眺めている。

 ティルティフィクスにしろネドヴィクスにしろ、求められなければ自らちょっかいはかけないのが大層お行儀良く感じる。


 これがエゼレクスだったら、絶対に着替えている最中にちょっかいをかけられる。まあ、彼は器用なのでその分着付けを手伝ってもくれるのだろうが。


 さてなんとか人心地ついたシュナは、再びティルティフィクスの鏡の前に戻ってきた。

 しばし自分の姿を眺めてから、ぺちん、と頬を叩いてみる。


 シュナとトゥラ。そもそもシュナがトゥラになった原因。初めて迷宮を出た、あの時のこと。今の問題を解決するために、そもそもの記憶をたぐっていた彼女は、あっと声を上げた。


「違う――違うわ。初めて外に出たときだって、姿! でも、確か――」


 あの時、嵐の中、確かに青い髪を見た。

 そして、だから、思ったのだ。


 姿、と。


(そうだ。わたくし自身の意思だった。わたくしは、望んでトゥラになったのよ。ならば……)


 風も吹いていないのにシュナの長い髪がふわりと動いた。鳥肌とも違う、肌に伝うざわめく感触。


 カチリ、と何かが噛み合う音を、耳の奥で拾った気がした。

 いや。最近はそれがいつの間にか自然になってきて、意識するまでもなくなっていたのだが、最初からずっとその音はシュナの中で響き続けてきた。



 音声案内ガイダンス

 それは人造の機械神デウスの自己補修機能の一つ。

 あるいは創造主の与えたもうた、神を人らしく固定するためのプログラム。


解除アンロック階級グレード更新】


素体ボディの要請を検知。情報データを検索。……ヒットしました】


偽装体フェイク・ボディへの変換。確認します。処理を続行しますか?】


 呼吸の間だけ、間を置いてから、シュナは口に言葉を出すまでもなく肯定した。


 それは水に包まれる感覚に似ていた。それよりももっと軽く、またどこか粘土が高いようにも感じられたが。


 いつの間にか自然と閉じていた目を開ける。


 鏡は相変わらずそこにあった。ただ、映っている人物が変わっていた。

 髪は黒、先ほどに比べると癖があるのがはっきりわかる。

 顔の左側には紫色の醜い痣。

 ただ、一つだけ。きらきらと輝く深い黒色の目だけが、先ほどの娘と同じ色を宿している。


「――トゥラ」


 唇を動かせば、応えて喉から音が出る。


 驚きに目を見張ってから、そうか……とシュナは――トゥラは指先で口元に触れた。


(迷宮の中なら、トゥラにも声が出せるのね……!)


 目をぱちくり瞬かせて突っ立っていると、突如頭を小突かれた。いや、べろりと舌で舐め上げられたのだ。


《姫。機能拡張。慶賀》

《シュナ。階級の昇級。さらなる進化。祝福》

「やーめーてー!」


 どうもお供の二竜は、迷宮で人の姿になり、しかも別の人間にも変化する、ということを披露した彼女を素直に祝福しているらしい。


 しかし、竜の姿ならともかく、人間の姿で身体の大きな彼らにべろべろにされては溜まったものではない。


 慌てて逃げた彼女に、白とピンクの竜は首を傾げた・


《疑問。シュナの喜色に陰りあり》

《同意。姫。困惑》

「あなたたちが舐め回すからでしょう! どろどろになっちゃう!」

《否定。機能拡張は慶事。しかしシュナには戸惑いが大きく見える》

《同意》


 指摘されてシュナは目を大きく見開いてから、肩を落とした。


「だって……話せないから、仕方ない。そう思っていたことが、話せるようになってしまったら――」


(もう、言い訳ができない)


 続きの言葉は飲み込んだ。随分と卑怯な言い分だ。


 できることが増えて嬉しいはずなのに、なぜだろう。

 今までと違って、今回は「できるようになってしまった」という思いがどうしても拭えないのだ。


《疑問。シュナは何に萎縮?》

「わたくしは……」


 もし、別れを告げるために与えられた言葉なら――そんなもの、ほしくない。


 頭の中に浮かんだ言葉に、彼女は自分でえっと声を上げた。

 みるみる顔が赤くなり、わたわたと手を空中でさまよわせるものだから、なんだか奇妙な踊りを繰り広げているように見える。


《疑問。姫。微熱?》

《否定。ただの興奮状態》

《把握》


 エゼレクスのように露骨にちょっかいを出すことはないが、不躾に見つめることをやめようともしないし、更に自らのコメントもつけていく。


 この組み合わせもなかなか状況によってはシュナの当惑を――というよりかは、羞恥心を煽り立てるのでよろしくなかった。


「いいの! わたくしは! わたくしのしたいことをするの!!」


 半ばムキになって彼女は叫び、頭の中にイメージした。


 城の中に立っている、トゥラの姿を。



 挑戦しようとしている時に、やはり勢いというものは重要だろう。


(でもわたくし、なんだか時々頭に血を上らせたまま行動していないかしら……)


 カッとなるとやらかす自分の側面をそろそろ自覚せざるを得なくなってきたシュナは、重たい頭を押さえてから周りを見回した。


 見覚えのある構造の建物の中だ。

 どうやら深夜なのだろう、すっかり暗くて目をこらさないとなかなか様子が見えない。


 一応見覚えはある所なのだが、果たしてここはどこなのか。

 迷宮か、外か。


 注意深く観察を続けていた彼女は、ふと思い立ち、喉元に手を当ててそっと小さく声を出した。


 それは言葉にならず、ひゅう、とただ喉を過ぎる空気の音が空しく響く。


 これではっきりした――と、判断して良さそうだ。

 喋れない、ならばここは外だ。

 逆に、外では相変わらず言葉は使えないままなのだ。


 どうやら転移は成功したと思って良さそうだ。


(ただ……たぶんお城の中だとは思うのだけど、どの部屋かしら?)


 迷宮から転移先として目指した目的地は王城内のトゥラの部屋だったが、なんとなく別の所に来てしまったのでは、という予感がある。


 城の中には来られていると思うのだが――とりあえず明かりがほしい、何かないか、と床をごそごそぺちぺちしていた手が何かに当たった。


 特に深く考えることなく、彼女は探り当てたそれを両手に広げた。どうやら布だ。そして気のせいでなければ、ぬくい。


(何かしら、これ……?)


 ひとまず顔の前辺りに掲げ、訝しげに眉を顰めていた彼女は、カチリと鳴り響いた音、そして急に灯った室内照明に、思わず竜のシュナそのままの驚きの声を上げてしまう。


 飛び上がるように振り返れば、とてもよく見知ってる赤毛の騎士がいた。彼はしっとりと水も滴る状態で、かろうじて腰に巻いている一枚布以外全裸であった。


(?????????)


 現実は無情である。シュナの全ての思考が停止した。あまりにも驚きすぎたせいで、手にしているものを取り落とすことすら忘れていた。

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