どっちつかず 回帰する

 さて着る用の服も手に入れたシュナは、前と同じように迷宮の外に出ようとしたところではたと足を止めた。


(いつも出るときは入り口を出て人間になって……という手順を踏んでいたけれど、ここで人間になって、直接外に転移する――なんてことはできないのかしら)


 既に迷宮内部での転移は安定して成功できるようになっていた。

 ならばそれを、迷宮外部に行うことはできないのか。


(だって迷宮に戻ってくるときは、いつもちゃんと部屋からそのまま来られるのだもの。なら、その逆に道を開くことだって、できるのではないかしら)


 元々、入り口からこっそり出ていく、というやり方には、冒険者の誰かと鉢合わせしてしまうかもしれないというリスクがあった。


 加えて、前回の苦い経験だ。

 森で罠に引っかかり、オルテハ=ヴァイザーなる冒険者に迫られ、そこから助け出されはしたものの、法国の信徒達の集う神殿で一夜明かす事となった。


 その後舞踏会をしたり、デュランとあれこれあったりして若干記憶から薄れてはいたが、迷宮と外を行き来するならばけして忘れてはいけない経験だ。


 元々、道中で誰かに会ってしまったら? という懸念はあった。

 以前は「その場にいることを不審がられても言い訳ができない」「城へ案内してほしいという自分の希望が伝えられない」といった可能性に不安を感じていたのだが、それよりもっと前に気をつけることがあるのだと身に染みた。


 迷宮を出て人の居そうな所に行って城まで案内してもらえばいい、等という考えはあまりに軽挙に過ぎる。誰もが皆親切な訳ではないのだ。


 つまりこれまで以上に、シュナは、そしてトゥラは余計な騒動を起こさず適切に所定の位置(つまり城の与えられている自室)にたどり着くことが目標となる。


 そしてもし、転移を正しく成功させられたなら、その辺りの問題が全て解決するではないか。


(わたくしの事だから、変なところに出てしまうかも、という心配もあるけれど……戻ってくるのはいつも簡単なのだもの、危ないと思ったらすぐ帰ろう)


 以前なら、そんなの無理……と躊躇したところを、今なら大丈夫、可能だと思える自信があった。


(それと、前に危ない目に遭ったとき決断が下せなかったのは、姿形や身につけているもののことがあったから。もし人の姿で迷宮を行き来できるようになれば、戻ってくることにだって前ほど迷わずに済むはず!)


 シュナは思考する。

 今までの経験と知識を集め、それらを編み合わせて自分の手札を整理する。


 竜は迷宮の外には出られない。だからシュナは、迷宮外で竜の姿を取ったままではいられない。


 最初に外に出たとき、強制的に人間の形に変化したのだ。短時間ならあるいは可能なのかもしれないが、もう一度あの恐ろしく苦痛に満ちた目に遭いたくはない。


 しかし、逆ならば?

 迷宮内には人が入ってくるし、何より父と暮らしていた頃の母は人の形をしていたではないか!


 ということは、基本的に母と同様のことができる、と考えられるシュナにだって、迷宮内で人の姿を取ることが可能なはずだ。


(すっかり迷宮では、竜の姿でいることが――この姿が“シュナ”であることが当たり前になっていたけれど)


 何しろいつも周りを竜で取り囲まれているし、迷宮に戻るときは竜、という常識のようなものにいつの間にか順応していたわけだが、あくまで竜の姿にのであって、竜の姿にのでは?


《わたくし、迷宮で人間に……というより、人の姿に戻ることはできないの?》


 どこか確信を持ってお供の竜に尋ねてみれば、しばし間を置いてから完結に答えた。


《可能》


 ――逆にどうして、今まで気がつかなかったのか。


 わたくしってつくづく鈍くさいのね……と、自分にため息を落としてから、シュナは気を取り直し、きりりと澄ました顔になる。



 父の衣装ケース。前回は竜の身体のまま漁った箱の前で、すうっと深く息を吸い込んだ。


(人から竜に。竜から人に。大丈夫。いつもしていること。思い出して。同じように……)


回帰せよレグレシオ


 吐息が漏れるように、震える喉が言葉を放つ。

 ぐにゃ、と視界が、輪郭が、歪んで淡く溶け、しかし次の瞬間には再構築される。


 見下ろせば、そこには青いからだと鋭い爪を持つ手足の代わりに、白い肌にほっそりした手足があった。握ったり開いたりしようとすれば、思うように動く。


 さらりと落ちた髪の色が、青。

 シュナはそれに違和感を覚え――直後血相を変え、大人しく控えている二竜を振り返る。


「――かがみ」


 ヒッ、と息を呑み、咄嗟に首元を押さえる。

 自分の口から飛び出したそれは、けれどかつて、当たり前のようにシュナの一部だったもの。


 跳ね上がる動悸を堪え、気力を奮い立たせて再び彼女は喉と舌を動かした。


「かがみは、どこ」


 震える声で、なんとか言葉を作る。


 すると顔を見合わせた竜のうち、白い竜が前に進み、ふっと息を吐き出した。吹かれた煙は渦を巻き、楕円を作り、やがて希望通りの物に仕上がる。


 目を見開いたまま、シュナは指先で自分の顔をなぞった。すると映り込む人物もまた、同じ動きをする。


「――ああ」


 ほろり、と目尻から涙が零れた。

 ぺたぺた触る顔は、ここしばらくすっかりと別れていたが、徐々に徐々に馴染んで取り戻す。


 これがシュナだ。

 トゥラでもない。シュナでもない。

 


「お帰り、シュナ」


 ぽつ、と呟き、そっと鏡の表面をなぞった。

 伝う涙を拭いもせず、青い髪の娘は微笑みを浮かべている。


 少し離れた場所で、二匹の竜達が遠吠えのように長い吠え声を上げてから、恭しく頭を垂れた。










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