若竜 影の手を退ける
《はーい、シュナ。ちょっとびっくりするかもしれないけど大丈夫。それ、変に抵抗すると逆に痛いからやめとき。騙されたと思ってネドちんに任せてみ? こいつ支援特化だから、悪い仕事はしないはずだよ》
身体の変化に驚いた彼女が悲鳴を上げると、口から何発か光の弾を放って影の群れを少しだけ退けたエゼレクスが舞い戻ってきて軽やかに声をかける。
《ま、任せるって……》
《シンクロしてリンクするんだよ。力を抜いて。呼吸を合わせて》
シンクロ、リンク。聞き慣れない、意味の取れない言葉だが、力を抜け、呼吸を合わせろ、という言葉とセットで語られるとピンときた。
笛の音を聞きながら、落ち着いて、呼吸に集中して、相手の鼓動を受け入れる――。
前にガーゴイルと戦ったときの事を思い出して、なるべく同じ事をしようとする。
するとよく聞いてみれば、エゼレクスもネドヴィクスも喉の奥から低い音を一定の周期で出しているのが聞こえてくる。
ポーン、ポーン、と規則的な振動に、彼女の喉が呼応するように震える。その身体の動きに逆らわず、そのまま任せていると――。
【他個体からの接触を確認。了承】
【――シンクロ率が70%を越えました。リンクします】
《同調。可能。接続。完了》
また、頭の中に何かの音が響いて、瞬きの合間に感覚が変わる。景色がよく見える。音がよく聞こえる。影の手の群れが襲いかかってきて、エゼレクスがそれをひらりと交わしながら光弾を撃ち込んで散らせる――その動きが、先ほどよりもゆったりとして目に映る。
それとほぼ同時に、ネドヴィクスがほっとしたように息を吐いた。彼は相変わらず、翼を広げてはいるものの地面に陣取ったまま、何かに集中しているようだ。
《そ。上手上手。さあ、翼を広げて地面を蹴るんだ――飛んで!》
エゼレクスの誘導に、シュナは多少戸惑いつつも大人しく従う。意地悪な物言いをしなければ、彼の軽やかな喋り方は彼女が今現在最も信頼する人間に似ている。そのせいがあってか、指示を受け入れやすいのかもしれない。
《その場でホバリング。片付けるまでちょっと待ってて――まったく、今回はちょっとしつこいね!》
空中に浮かび上がった彼女の前に、緑色の竜が出た。カッと前方が明るくなるのは、彼が光の弾を撃つときだ。影の群れ達は光を放たれると消失するが、前回と違うのは消されても消されてもうようよとどこからともなく新しく現れて復活を続けるところだろうか。
彼が何度目かの光を放ったとき、シュナの後方が今度は明るくなった。薄桃色がかった半透明の光は、エゼレクスとシュナ、ネドヴィクスを包むようにぶわりと球状に広がり、そのまま固定される。
半透明の大きなドームは、どうやら影の手を退ける効果があるらしい。
おびただしい手の群れが、球面にペタペタと掌を押し当て、忌々しげに叩いている。
《
《でかしたネドちん。これでちょっと解説の時間が取れる》
ヒュウッと口笛のような音を出したエゼレクスは、空中で一回転するとシュナの横に陣取った。
《さあて、シュナ。さっきうっかり言っちゃったからもう喋るけど、あれはシュリ。君のお母さん――の、末端》
《……末端?》
《本体は今疲れてるからもっと別の場所で眠ってるよ。で、今は夢を見ているような状態。まー何て言うの、ものすごく雑に人間換算すると、寝ぼけてる》
少しだけシュナはほっとしたような気がした。本体とか末端とかいまいちピンと来ないが、あのうようよ漂う手の群れが母親自身ではなく……例えばこう、何かの魔法の一つなのではないか、と思えば、自分の母に対するイメージにまだ希望が持てる。
父が人型、自分も人型なら母も、と思い続けていた身にいきなりあのような不定形のものをお母さんだよ、と言われてもショックしかない。よかった本当のお母さんは別の場所にいるんだ、それで今ちょっと混乱しているからこうなっているんだ、となんとか自分をなだめる。
《で。作戦会議だ。ぼくがやってもシュリには大して効かない。影の手はいつまで経ってもこの場に現れ続ける。でも君が一発でかいのをぶちかませば話は変わってくると思う》
《エゼレクスが、光の弾を撃ってもきりがないけど、わたくしが同じようにすれば、影の群れはいなくなるかもしれない……そういうこと?》
《イグザクトリー。君もう既に一度戦闘経験あるし、ネドも補助をするから実行自体は余裕だと思う。ただ、問題が一つ》
《問題……?》
《シュリは今、非常に不安定だ。そこで君に大きな拒絶を受けたら、どう反応するかわからない》
《わたくしがここで抵抗することで、今よりもっと酷いことになる……可能性があるって、こと?》
《理解が早くてオニーサン嬉しいなー》
シュナは球面に張り付く無数の手を見た。
自分に向かって伸びてくる手の群れに一番に思う事は恐怖だ。安心感など覚えられるはずもない。
――思い返せば、自分が竜になって、迷宮に引きずり込まれたときだって。あれに引っ張られたのだ。とても、とても怖かった。けれど。
ふと、彼女の脳裏によぎるのは。赤髪金目、黒い鎧を身にまとって笑顔の絶えない青年の姿である。
《あの、エゼレクス……例えば、もし。わたくしが、あの手の人を刺激しないように、連れて行かれたとして……もう一度ここに、戻ってこられる?》
《その可能性は限りなくゼロに近いか、あり得たとしても低確率だね。何しろシュリは君に大人しく寝てもらいたがっている。嫌がると思うよ、もっかい君が起き出して勝手な事するのは。ネドちんはどう思う?》
《仮定。帰還。同意。即。睡眠。保存。強固。故。姫。欲求。実現。不能。困難。結論。非推奨》
《ネドちんもぼくと同意見ってさ》
勝手な事、と言われてシュナの心がすっと冷え込んだ。
彼女の身体の深い深い場所に灯る光――自分で最初に求めた人の笑顔が、そこにしっかり存在するのを感じる。失いたくない。と、強く願う。
それならば、と一度こくりと唾を飲み込んだ。
《だったら、わたくしは連れて行かれるわけにはいかないわ。だって、ここで待つって約束したんだもの。わたくしの逆鱗と、約束したのよ。……だから、行けないわ》
凛とした顔になった彼女に、気のせいだろうか、二匹の竜もまた、表情を真面目に改め、姿勢を正したような気がする。
《お母様には、お帰りいただきます。二人とも、力を貸して》
竜として、囀った。それだけのはずなのに、今の言葉は何かが違う。圧を放つように、空を、竜の体内に存在する深い部分を揺らす。
空中と、地上で。二匹の竜が、お辞儀をするように身体を丸め、頭を下げる。
《至宝の御方の、仰せのままに……》
《至宝。意思。了承。尽力――》
そこで光の球面が、外部から手の群れに圧迫されてとうとう耐えきれなくなったのか。ピシピシと音を立て、ヒビが入り、そしてガラスが砕けるように一気に壊れる。
手の群れがなだれ込んでくる。それを三匹の竜が、向き直ってそれぞれに構え、迎え撃つ。
《接続。感覚機能。調整。運動機能。向上。座標修正。補助――》
ネドヴィクスの言葉と共に、シュナの身体にまた、自分以外の何者かに動かされているような感覚が走る。シュナは抵抗しない。自分で動くのよりも素早く、また力みもなく、翼が動き、身体の中の熱が高まっていく。
《露払いはするよ。その間にチャージして、一気に、ドン。オーライ?》
エゼレクスの言葉に頷くと、緑の竜は悠々とシュナの前を飛び、小さめの光の弾をいくつも放つ。
シュナの身体はエゼレクスが飛ぶ後をついていく。喉が、逆鱗の奥が、熱を灯し、シュワシュワ音を立ててエネルギーを集束させている。エゼレクスの飛ぶ方向に目を凝らせば、まるで何か印でもつけているかのように不自然に空間に浮かぶ光がある。それを追って視線を動かせば、岩場の一点に黒く大きな円が発生し、手の元達は皆そこから伸びてきているようだ。
見つけた。撃ち込め。シュナの身体は、頭は知っている。ぶるりと震えが一度だけ走った。
《目標、ロックオン。五、四、三、二、一――今!》
エゼレクスはカウントダウンと同時に、シュナの前から素早く飛び退いた。邪魔がなくなった所に、シュナは思いっきり口を開き、喉奥の光を吐き出す。
彼女の身体から一回り、二回り――いや、それ以上に大きく膨らんだ光の線が、狙い違わず影の群れの中心部分に吸い込まれる。
迷宮が大きく揺れた。誰かの悲鳴が絹を裂くように響く。
《……終わった、の?》
悲鳴の余韻が消え、光も失せれば、影の群れも、群れ達が発生する元となっていた黒い円も消失する。辺りには、デュランと別れた時とそう変わらない様子の岩場が広がる。どこにも黒い、怖い存在は感じられない。
しばしの沈黙。シュナがほっと、息を吐き出そうとしたその瞬間。
――より一層、大きな振動が迷宮に轟いた。
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