若竜 迷宮を飛び出す
《わっ……やっべ、シュリの奴怒ってる》
《作戦失敗、ってこと?》
《うんまあ……》
エゼレクスはへらりと笑ったが、シュナは竜の状態でも自分の顔色が青くなったのを感じたし、ネドヴィクスも黙っているが身体から緊張が感じられる。
身を伏せていないと倒れそうになってしまいそうなほどの揺れのせいで、岩場から石がごろごろと落ちてきた。
二匹の竜は素早く飛び出し、シュナの上に翼を広げる。彼女はもともと小柄なので、二竜が翼を広げただけで十分覆いきってしまえた。
《いてっ》
《……超軽度損傷》
《大丈夫? 二人とも》
《まあ石ころ程度ならそこまでは――げっ、石よりやべーのが来た》
庇われたシュナがおろおろと聞くと、軽やかに答えたエゼレクスが、顔を上げるなり嫌そうな声を出した。
空を切った影は翼と手足を持ち、優雅に旋回して戻ってくる。一体だけではない。続けて何匹かの影が落ちる。
全部で五体、だろうか。色とりどりに空を舞うのは竜の群れだ。岩場の上、シュナ達の上と下。囲むように、緩やかに円を描いて飛んでいる。
不気味なのは竜達の静けさだ。うるさいエゼレクスはもちろん、感情表現の乏しいネドヴィクスよりもさらに何を考えているのかわからない、そんな表情をしており、動きもどこか生き物らしくないというか――まるで、見えない何かに操られているような、そんなぎこちない印象を受ける飛び方をしている。
《……秩序。五体。敵対。目的。捕縛。可能性。邪魔。排除》
《うっひょう、じゃれ合いで済ませてくれればいいけどね。あの中にアグちんがいないだけマシってところかねえ。こっちに来ないってことは、本体に行ったか……っていうかネド、お前は頼むからあっちつかないでよ。ぼくが真面目に死を覚悟しなきゃいけなくなる》
《努力》
《ふふん、なんとも頼もしいお返事だこと》
五匹の竜が円を描き、旋回する光景――見覚えのあるシュナが悲鳴を上げた。
悪夢の夜。目の前で一瞬で溶けた人の影。
すると、彼女の声に惑わされるかのように、円に乱れが出る。何匹かが、コントロールを失ったかのように落下したのだ。その瞬間を逃さないとばかりにエゼレクスが何発か光の弾を撃ち込むと、彼らの隊列は完全に乱れた。
《よーしよしよし。いいよー、シュナ。円陣組まれて歌が始まったらおしまいだ、その前に妨害をする必要がある。あれやられると、狩り場の領域を展開する術だから、逃げられなくなっちゃうんだよね》
《あ――あの人達は、仲間なんじゃないの? どうして攻撃しようとしてきているの!?》
父からの話では、竜は同族意識が強く、仲間同士で争うことはまずない、そのはずだ。シュナの怯えと焦りをたたえた黒目に、エゼレクスが肩をすくめるように翼の根元に力を入れる様子が映る。
《さっきちょっと言ったよね。ぼくは混沌の属性、個体性質は異端。で、あいつらは秩序の属性。
《……ヤミオチ?》
《今度君の逆鱗にでも教えてもらいなさい、人間の作り物面白いから》
ネドヴィクスが不思議そうに言うと、エゼレクスはからから笑った。最初に会ったときといい今といい、緊迫した状況にあってもいまいち緊張感の足りない竜である。
《エゼレクスは――ネドヴィクスも、どうしてわたくしを助けてくれるの? お母様は、わたくしに戻ってきてほしくて……それで今も、竜達を向けてきているのでしょう?》
《ぼく? その方が面白そうだから。高尚な理由なんかないよ》
《逆鱗。希望。個人。判断》
《ほら、お喋りしてられるのはここまで。――ネド、支援!》
《了承。威力増大。座標補正》
少しの間ふらついていた五匹の竜達だったが、そのまま散開してくれればいいものを、また戻ってきて三匹を取り囲む形を描いて飛ぼうとする。
エゼレクスが光を放ち、ネドヴィクスが三匹を中心にまた桃色の壁を持つ球体を発生させる。
すると応戦するように、一体がエゼレクスに向かって光の弾を放ってきた。
彼は難なくくるりと身体を回転させて避けるが、一発目を合図にするかのように代わる代わる火の、氷の、光の、影の弾が撃ち込まれる。
そのうちの一発が向かってきて、シュナは悲鳴を上げた。
ネドヴィクスが割り込むように彼女の前に入って翼を広げ、喉を震わせる。
二匹に当たる寸前で弾は消滅したが、少し遠くで、はっとしたようにエゼレクスが目を見張り、直後眼をつり上げて唸り声を上げる。
《おい、シュリ! 冗談になってねえぞ、相手ぐらいちゃんと見分けろ! それともどうせ後で回復するからボロボロにしても構わんってか、上位存在様の思考機能も墜ちたもんだねえ!》
挑発と怒りの混じった緑の竜の吠え声に、五匹の竜がそれぞれ吠えて応じた。無表情から一転して、牙をむき出しにする――そうしていると、彼らがいかに恐ろしい顔をしているかがわかって、シュナは身を震わせる。
エゼレクスが突っ込んでいくように飛び込むと、五匹は追いかける方に集中することにしたようだ。おそらくこちらに流れ弾が飛んできて危険だから、わざと惹きつけてくれたのだろう。しかし、五対一でいつまでも飛んでいられると思えない。シュナはネドヴィクスに振り返った。
《ねえ! お母様……さっき、わたくしが帰りたくないって言ったから、怒っているのね? だからああして、自分の言うことを聞く竜を送り込んできてるってことよね?》
《……肯定》
《それなら、原因はわたくしなのだから。わたくしがこの場からいなくなれば、争いはなくなるわね? わたくしが逃げれば、エゼレクスは怪我をせずに済む?》
《…………》
《答えて、ネドヴィクス!》
ピンクの竜は一度目はだんまりを貫こうとしたようだが、シュナが重ねて懇願すると諦めたように言う。
《肯定。非推奨》
《そう。それなら――わたくしは、こっちよ!》
シュナは瞳に決意の色を宿し、大きく声を上げるとぐんと翼に力を込めた。
彼女の身体は意思に応じて、上へ上へとぐんぐん高度を上げる。
岩場の崖を越え、目指すのは――竜達が現れたのと真逆の方向、すなわちデュラン達が消えていった場所だ。
《警告! 外部領域! 危険!》
《シュナ!? そっちはまずい、それはマジでまずいからやめて!》
シュナが何を企んでいるのか悟ったらしい二匹の竜が慌てたようにそれぞれ大声を上げつつ追ってくる。他の五匹達も、狙い通りエゼレクスに構うのをやめてシュナの方に向かってきていた。
ちらりと一瞬後方を見て状況を確認したシュナは、目一杯翼を羽ばたかせる。
間もなく、岩場の端にぽつりと開いた出口が見えてきた。
見たことがなくても、説明されずとも、感覚的にわかる。あれが迷宮の門。この箱庭世界と広大な外の世界を隔てる出入口。
小さくて人が通るのがやっとの大きさだったらどうしよう、という不安もあったが、シュナが翼をめいっぱい広げてても問題なく通れそうな大きさだ。
《そりゃ、迷宮はワンダフルでデンジャラスだよ。見ての通り今にも壊れかけの王宮さ。でも外はもっと駄目だって、ぼくら出られないことになってるんだよ!? 色んな意味でまずいんだって!》
もはや竜達皆、攻撃の暇もなくシュナに追いつこうと飛んでいるらしい。
エゼレクスのピイピイ鳴く声で、しかし逆にシュナは確信した。
出られないことになっている――それなら。
大きく息を吸って、もう一度羽ばたく。
尻尾を捕まえようとして、誰かががちっと音を立てたのが聞こえた。
門をくぐり抜けたシュナは、そのまままっすぐ続く通路を進む。
勢いを殺さずに、背後の気配を探る。
案の定、誰も通路に入ってこない。あと少しのところまで迫っていたのに、皆見えない壁に阻まれるように急に軌道を曲げて、そのまま門の前で立ち尽くすように羽ばたいている。
《大丈夫! 遠くには行かないわ! 少しだけ、ちょっと――お母様が頭を冷やしたら、戻ってくる!》
最後に一言、そう言い捨てて。
小さな竜は単身、光の中に――迷宮の外に飛び出していった。
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