迷宮の姫 廟に行く 前編

 医者が「それじゃ私はこれで」と部屋を出て行くと、シュナは早速着替えることになった。


 お風呂場で着替えようかとした彼女を引き留めた学者は、部屋主を部屋から叩き出すと、自分は扉の前で一度立ち止まる。


「手伝いは必要かな?」


 尋ねられたシュナは、確認のために衣服を広げてみる。


 渡された衣服は、上下が分かれているようだった。


 シャツ、ボタンで前を留める上半身用の服。これは日常的に着ている、とまでは行かないが、全く経験がないわけではないのでたぶん大丈夫だ。


 もう一つの方がわからずに、あれこれひっくり返しては首を傾げていると、


「オーケー、平民の装いはご存知でない? それではこの生まれも育ちもド庶民な私めがお手伝い致しましょう、姫君!」


 と学者が申し出てくれた。

 無理に自力で挑んでおかしな着込み方をするのも馬鹿らしい話だ。ありがたくお願いすることにする。


「ところで、まさかねって思ってはいたんだけど――もしかして、今の今までノーブラだったの? いやノーブラどころかノーパン? ということは直ローブ……だと……!?」


 シュナがシャツを着込んだ後、その上から被る形で装着するタイプのスカートなのだと正体不明の布を解明してみせた学者は、娘の着替えを見守りながら色々口出ししている。


「えっでもそれで何も起きてないんでしょ? オルビアが誤診……いやいやいや……よし、私の優れた思考回路が混沌から宇宙を導き出してしまう前に、深入りはやめよう。この件は私の胸の中にしまっておいて後で話のネタにしよう。悪いのは軽率なデュランだ。うん私何も悪くない」


(ずっと独り言喋ってるけど何をブツブツ言っているのかしら……?)


 ちなみにコレットも同じように喋りながら準備を手伝ってくれていたものだが、メイドの場合は独り言もありつつ、一定頻度で話しかけてくる。学者の場合、シュナにリアクションを期待していないというか、考えている事をそのまま声に出して更に思考を進めている性質が強いらしい。


 また、手伝ってもらう方が遙かに非効率的――というか率直に言ってただの妨害行為だった。やり方だけレクチャーしていただいて、後はコメント係に収まっていただくことにする。


「あっはっは、すまない! 実は私も身だしなみは整えられる方の人間なんだ、仕方ないね! でも衣服はちゃんと外注したから安心したまえ。何、たまには自分もファッションに興味を持とうと思ったと、そういうのが得意な知り合いにちょっとね」


 恐縮しつつも「自分でやります」とシュナが意思を見せると、女性はカラカラ笑って手を振った。

 ある程度本人にも、お着替えサポーターとしての能力が足りない自覚はあったようだ。


 下手な人間に接して初めて上手さというものを理解できることがある。

 コレットはあれで相当優秀なメイドなのだなと、せっせと自力で身だしなみを整えながらシュナはこっそり思わざるを得ない。


「おっと。着替えをガン見する上にぐちぐち口出すのは不躾というものだな。これは失敬、失敬。癖というか性分でね。これで王国から追い出されたのさ。まあせいせいしてもいるが。ここはいい所だよ、領主の悪口を軽率に言うだけなら首の心配をせずに済むからね」


 スカートを確認して問題なさそうだ、と思ったシュナは、発言内容に疑問を抱いた部分もあったのだが、深入りはせず軽く首を傾げた程度で流した。学者の方もそれ以上話すつもりはないらしく、支度が完了したと見るとデュランを呼んでくる。


「そういう格好も可愛くて似合ってるね」


 戻ってきた彼は、顔から胸、胸から膝、そして足下までさっと視線を流してからにっこり微笑んだ。


 褒められた方は、居心地悪そうにもぞもぞ手をすりあわせている。


 と言うのも、彼女からすると結構この服のスカート丈が短いのだ。

 ドレスに慣れている身からすると、膝の辺りで止まって揺れる裾はなんとも心許なかった。


(メイドさん達はこのぐらいだけど……リーデレット様にいたってはもっと短かったけれど……!)


 ブーツで大部分覆われているとは言え、若い娘の太ももを晒している女騎士の事を思ってシュナはちょっと目を遠くした。

 自分があれを穿いてくれと言われたら断固拒否する。今の膝丈がギリギリボーダーラインといったところなのだ。


「先生もありがとう。ところで……ちょっとあれ、短いんじゃないかな。本人も気にしてるみたいだし」

「いいじゃないか、毎日じゃないんだし。君らがやると、変装するとか言っておきながら、なんだかんだご令嬢の格好しかさせないんだもの。ま、あれはあくまで仮ごしらえ、どうしても気に入らなければ、服屋にでも連れ込みたまえよ」


 なんとなく聞き流していたシュナが(また服を増やすつもり……いえ、まさかね)と思って顔を上げれば、否定せず、どころかまんざらでもない表情で考え込んでいるデュランが目に入る。


 そっと目をそらして見なかったことにした。


 今までの経験が、「大丈夫、この服で大丈夫!」とアピールした場合、「え? わかったよじゃあ今すぐ買いに行こうね、大丈夫俺が手取り足取り全部選んであげるから!」と返されるような――まあこれは誇張表現にしても、似たような展開になりそうなことぐらいまでは読めたからだ。


(デュラン、口ではこういうのよくないとか言うけれど、わたくしのことを着せ替え人形にするの、結構好きよね……)


「というか、どうせ町に連れ出すつもりだったんだろう?」

「まあ……俺の部屋に一日ってのも退屈だろうし、どっか連れて行こうとは思ってたんだけど」

「予定は?」

「今日の俺に触れるなという意思と休みだからいないという予定を各所方面にねじ込んできたからセーフ」

「ふむ、ワーカホリックに欠けがちな、仕事をしないという概念と時間の確保。君って基本的に優秀だよね。酒に溺れて自室に裸ローブの女の子連れ込むようなことがなければ非の打ち所がない程度には」

「いやそれは――おい待て今なんて言った、裸ローブ!?」

「着衣で寸止めとは君も若いな。いやもうこれ一周回って枯れてるのかな。知らないけど」

「待って」

「さて暇人君に私から本日の予定について提案がある」

「待ってって言ってるんだけど?」

「落ち着きたまえ。私は朝っぱらから本件について声高に討論することもやぶさかではないのだが、いいのかい。彼女の前だけど。本当にやってしまってもいいのかい」


 すごみのある笑顔を浮かべて学者の肩に手を置いていたデュランが、途端にしょげた。なんでもないです、とシュナに向かってもごもご言ってうなだれている。


 今色々意味のわからない単語が飛び出てたような、難しいお話かな? とシュナが首を傾げると、一人だけ元気な学者はにこやかに指を立てた。


「さて、では一瞬話題が横道に逸れたけど。これから廟に行くっていうのはどうだろう?」

(……廟?)


 また知らない言葉が出てきた。シュナが学者からデュランに目を向ければ、立ち直って普段の彼に戻ったデュランが口元に手を当て思案の顔になる。


「ああ、そういえば……あそこ、まだトゥラを連れて行ってなかったな」

「なんと!? 町と神殿、それから舞踏会もだったっけ? そこに顔を出しておきながら、いかんいかん! 我々が伏し仰ぐお方は空ではなく地下にいらっしゃるのだから、挨拶しないと!」


 二人の間でキョロキョロしていると、学者の方に何か言おうとして一度口を閉じたデュランが、気がついてふっと顔をほころばせた。

 簡潔に、一言だけ説明をする。


「――女神様を奉る場所だよ」

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