竜騎士 引率中
遙か遠く、もう誰も覚えていない時代の話。
ああ、神様。どうか、お救いください。
か細く矮小な、けれどなおも続く、愚直で賢明な祈りに、一人の神が両手を差し伸べた。
我が右手が与えるは、願望の具現。
我が左手を満たせよ、契約の対価。
あなたがたが対価を差し出し続ける限り、わたしは願いを叶え続けよう。
呪われた神は、そうして呪われた人類に未来を与えた。
人が祈る意味を忘れても、まだ彼らを言祝ぎ続けている。
今から百年ほど前、迷宮を中心に世界を支配していたソラブシリカ帝国は、女神の怒りを買って崩壊した。
諸々の後処理ために派遣されてきたピチピチの不幸なる剛運男、ファフニルカ侯爵が真っ先に着手したことの一つが、女神を奉る廟の再建だ。
旧帝国が女神の力で実際に滅びているのだから、ご機嫌を取らない選択はない。
とは言え、どちらかというとこれは地上の人間に対しての「ここまでやったんだから大丈夫ですよ」アピールという側面が強かったらしい。
何しろ女神が実際にいるのは迷宮の中。外の様子をおぼろげに把握してはものの、全容をしっかり理解しているわけではない。
本気で彼女に何か物申したければ、迷宮の最奥に潜るしかないのだ。それは帝国崩壊以前からのれっきとした事実である。
伝え聞くところによれば、初代ファフニルカ侯爵も一応迷宮に潜ってはいるらしい。本人はものすごく渋っていたが、外圧のせいで行かざるを得なかった、という関係者の証言もあるとかないとか。
さてそんな後ろ向き全開で始めた冒険は、結論から言えば比較的成功に終わった。
まず、領主は無事に戻ってきた。
加えて、最奥にまでは至らなかったものの、女神と話をつけてきた、と彼はのたまったのだ。
――神は信仰心ある者を救い、不心得者に天罰を授ける。旧帝国が滅びたのは、かの帝国の民が女神の至宝を欲し、彼女の警告も聞かず手に入れんとしたためである。
なので、領主は「大丈夫です、旧住民は反逆者でしたが、今の民はあなたの忠実な下僕、人畜無害ならぬ神畜無害の愛玩動物共です。たぶん」と熱く説得を試み、加えて女神への忠誠を示すための証を立てると約束した。
そして実際、帰還した領主は迷宮と繋がる巨大な穴の上を覆うように建物を造り、女神像も安置すると、儀式や供物を欠かさず贈るようにした。
そんなところが、廟の起源となる最も一般的なストーリーである。
女神と出会った云々の部分は領主の自作自演説も囁かれてはいるのだが、大事なのは約束が今も守られていること、すなわちここ百年程度迷宮は概ね平和を保っている、という事実である。
さて前述の通り、廟は巨大な穴を隠すように建てられた。
この穴は旧帝国が滅びた際に空いた残滓とも、もともとあったものとも言われており、いつから存在していたのかは定かではない。
デュランや冒険者達が使用する正規の出入り口は、現在の迷宮領の真北に当たる部分に位置している。
対して、廟は迷宮領全体から見れば北西部分にあった。
単純な穴の直径の大きさなら、廟の方が大きい。
加えて、正規の出入り口は双方向に移動が可能だが、廟の穴は地上から迷宮にしか移動ができない事を特徴としている。
更に、迷宮の中に通じていることは確実なのだが、どの場所につながるかは不定なのだそうだ。
偉大なる先人の試行錯誤の記録によれば、試しに侵入を試みた数度のどれも別の場所に転移し、加えて酷い場合は足場がなかったり火の海の中だったり魔物の巣だったりしたらしい。
しかも一方通行なので、うっかり変な場所に出てしまっても容易に帰還することができない。これでは装備を揃えて入る冒険者とてたまったものではなく、誤って転落する者がいないよう、普段は蓋がされているのだった。
しかし、蓋をしてあるとは言え、穴が迷宮に通じていることは事実。
加えて廟には女神像も存在する。
すると、冒険者のように直接迷宮に潜れない者達が、代わりに廟に祈りを捧げた後、女神様に捧げる対価と称して供え物を置いていくようになった。
それを穴から迷宮に送り出す習慣というかしきたりというかが、いつからか自然と出来上がる。
そして穴に投げ込まれる物はどんどん種類を増やしていく。
さすがに生ゴミの類いなどを投棄すれば参拝者からも管理者からも顰蹙を買うが、地上では扱いの難しい禁忌指定の術具の供養、宝器の変換にも、今では利用されているのだ――。
「……と、言う訳なのさ!」
博士が早速長話の気配を見せたので、デュランはほどほどに聞き流すモードに入っている。仮にも迷宮領次期領主、なおかつ学者とそれなりに話す機会のある彼はもう複数回耳にしている話題だ。こっそり欠伸をかみ殺すと目元が軽く滲んだ。
ハルファリエ博士は博識だが、しばしば喋りすぎる。
彼女は聞き手の反応を気にしないタイプのスピーカーで、誰も聞いていなくても自分が喋りたいと発信を続ける。
ただ、壁打ちに応答があれば会話にシフトする辺り、つい自分の興味に熱中しがちというだけ、リアクションを全く求めていないというわけではないのだろう。
現在は話題の建物に向かっての移動中、ふと傍らの娘が退屈していやしないかと見やれば、意外にも彼女は熱心に聞き入っているようだ。
竜騎士が拾ってきた娘、トゥラは彼がよく知っているご令嬢に比べ、蘊蓄語りへの耐性が強いようだった。聞き手が純粋に強い好奇心をたたえた態度でいると、語り手も気持ち良さそうに話を続けている。
つば広帽の下で大きな黒い目をすっかりまん丸にしているのが目に入ると、思わずふっと自分の唇から堪えきれず息が漏れてしまう。彼女が首を傾げれば、顎の下で結んだ帽子落下用のリボンがふわりと揺れた。
(良かった、こんなこともあろうかと適当に買っておいて。痣も目立たなくできているみたいだし)
デュランは過去の己に感謝していた。
元々プレゼントを惜しむような性格でも立場でもないが、トゥラに対してはやや過剰と言えるほど物を与えている自覚は一応本人にもある。
「そんなにいらないわ!?」
というリアクションが時折返ってきている気もするのだが、舞踏会のドレスといい、欲望に負けた結果オーライな実績が重ねられるとますます物欲が加速する。
(まあ、どうせ使うし。早いか遅いかってだけの話だし)
彼女は定期的に姿を消してもいるのに、なぜかいつの間にかすっかりずっと一緒にいる気持ちになっている男なのである。
最初は浮つく心があっても自制心の方が強かったのだが、この頃本能の方がやたらと強くなってきていていけない。
いけないという建前の仕事率が減ってきているのが本当にいけない。
泥酔して部屋に連れ込むという申し開きようのない失態をかましてはいるのだが、逆に頭スッキリ状態で部屋に来られていてもそれはそれで問題だったのでは、とも思う煩悩男である。
そして現在は、己への反省より「やっぱりトゥラは白かな……アクセントの花飾りもよく似合ってる、でかした俺」という満足と自画自賛の方が熱かった。
いかにも庶民ど真ん中な本日の装いに比べ、大きな婦人帽は少し大げさな部分はあったが、とにかく顔に目立つ特徴を持ってしまっている娘だ。
コレットの支援が見込めなければ、これが最適解なように思えた。
「先生、ストップ」
娘から目を離し、現在地を確認したデュランが講釈に熱が入っている学者を止めると、おや、という顔をした後、納得したように女は足を止め道を譲る。
一行が歩いてきたのは、城の裏道のような場所だ。
ここに至るまで、どうしても人に会いたくない御曹司が窓から娘を抱えてスタイリッシュショートカットを決めるなどのちょっとした騒動はあったのだが、学者とも無事に交流が終わり、通過地点にも到達した。
特に何の変哲も見られない壁の前に立ったデュランがその場で手をかざすと、たちまち光を放つ何かの紋章が浮かび上がり、壁に音もなく扉が、先に続く道が現れる。
目を見張る娘に向かって、彼は手を差し出した。
「さ、おいで。他の人には内緒だよ」
彼女はきょとんとしてから、はにかんだように頬を赤らめ、おずおず小さな手を重ねる。
「私もいるんだけどなー」
という後方からの控えめな講義を無視して、デュランは城と廟をつなぐ特別な道中のエスコートを楽しんだ。
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