地上/貴族屋敷 地下にて
迷宮領は平常時、東西南北と中央の五箇所に、緩やかに区域が分かれている。
そのうち西部はヴェルセルヌ王国の色が濃い。
西からやってきた貴族達がそのまま己を自己主張するようにいくつか小ぶりな館を建て、それを中心に庶民達が街を作り、もう一つの城下街とも言われる景観を成した。
今その迷宮領の中でも最も美しい区画、と言われていた場所に、醜悪な化け物達が徘徊している。立ち並ぶ石造りの家は皆空いている。もう少し前に、館――貴族達の邸宅の方に、人々は身を寄せ合っていた。
本来であれば、街のどこからでも足を向けやすい中央区画が、有事の際の非戦闘員の要所となるはずであった。実際、大型の商業施設、宿泊施設がそこに集まっている上、冒険者組合も存在している。
だが折悪く、よりによってその中央区画に、迷宮の穴が開いてしまっているらしい。
とは言え、さすがに百年前に一度滅びている都、一極集中した結果いち早く拠点を押さえられて打つ手なし、という最悪の状況も一応は想定されていたようだ。
女神の開いた迷宮の穴が、北西の廟、中央の繁華街、南東の神殿の三箇所であることを突き止めた領主は、庶民達の行く先を、北東の王城、あるいは南西の貴族屋敷に促した。
西部に構えられている貴族屋敷は、王城とは異なり、宮殿に近い見た目をしている。砦より別荘の性格が強いのだ。
とは言え、いずれは帝国の復興と皇族への返り咲きを狙っている王国が、ただきらびやかなだけのお屋敷を作るのだろうか。
初代ファフニルカ侯爵は非常な強運に恵まれた男だったが、それはけしてただ幸運を座して待っていたからではない。彼はよく鼻が利いた。悪巧みだとか、面倒ごとだとか、火種の場所とその危険度をいち早く察知する嗅覚――それこそ馬の骨を侯爵たらしめた力の一つである。
臭う。西が臭う。あれ絶対なんか隠れてやってるよ。「わがはいのかんがえたさいきょうのたてもの」を作ろうとしている気配がするよ。
新米領主がそのように、王国から派遣されてきた監督役がせっせと築いている邸宅模様に注視していると、案の定、こちらに伝えてきている計画と実際の構造が所々違っている。
担当者曰く、計画と実際が異なるのはどの事業でもあり得ること、見立て通りの工事をすると具合が悪くなった箇所は臨機応変に変更している。
なるほどごもっともな理屈だ。綺麗すぎて反吐が出る。
翌日、こっそり日雇い労働者達に紛れ、一緒に汗を流してついでに釜の飯まで食べてきた初代侯爵閣下は、じっくりたっぷり現場を見聞する。そしてふんわり浮かんでいた疑念を、しっかりと解決させていただいた。
――なるほど表はくつろぎ空間、だけど地下には秘密の通路と来ましたか! 面白いから俺も作ろ。地下いいじゃん地下。
というわけで、現在王城真下に広がっている一般市民の避難場所は、そんな経緯を経て作られた場なのである。
ついでに言うと、デュランが以前トゥラとこっそり王城を抜け出すために使っていた迷路も、初代領主の地下いいじゃん地下ブームの一環で開拓された通路の一つである。
更に付け加えるならば、王国は確かに地下に空間を確保しようとはしていたが、再びの有事における避難経路の確保、というのが当初の目的であった。あわよくばそこから侵入して帝都を支配して、という将来も頭に入れられていたのだろう。
さて大体事情がわかった侯爵閣下は、爽やか系鬼畜男にジョブチェンジした。いや元からならず者集団の長みたいなものだったのである。ただ被る皮をちょっと脱いだだけと表現する方が正しかったろうか。
「ねえ? 俺、現場の第一責任者なんですけど? 全然こんな話聞いてなかったんですけど? 何勝手な事してるんですか? なんていうか、心構えとか、指揮系統とか、けじめとか、できてないと思いませんか? 思いますよね? 思えないって人間としておかしいですよ? こっちは胃袋握ってんだ言うこと聞け? 知ってますか魔物って食べられるんです。本国が黙っていない? 冒険者の仕事が増えますね。貿易とりやめ? 明日から全ての王国の港に亜人の海賊船送りつけましょうか。異端認定? ここに星神教法王様のいつでも入信していいよって俺個人へのラブレターがですね――」
かくて赤髪のソフトヤクザは、たかがその辺の田舎者どうとでも転がせる、と思っていた偉い人達に軒並みトラウマを植え付けた後、貴族屋敷の地下空間に劇的ビフォーアフターを遂げさせた。しかも当初予定の脱出路の方はしっかり潰した。
なお同時期東の神殿でも地下通路は作られていたようだが、こちらは見逃されている。ユディスがトゥラを連れて行こうとし、デュランに阻まれることとなった地下への道だ。
百年前の殉教者の方が一枚上手だったのか、あるいは一つぐらいは抜け穴があった方がいいと領主が考えて見逃したのか。
何にせよ重要なのは、貴族屋敷に市民を避難させることができるような余力が存在すること、そして実際人々が籠もっている事、である。
「侯爵夫人」
一通り地下の様子を見回りがてら、人々への激励を済ませて一息ついた侯爵夫人は、呼びかけられて顔を上げた。
プルセントラ公爵三女は、優雅な礼を披露した。それがトゥラと同じ古式の礼であることに、ピクリと侯爵夫人が眉を動かす。
「わざわざこちらにお越し頂きまして……」
「構いませんよ。それとシシリアと呼んでくださって結構です」
「ではシシリア様。……よろしければ私のことも、名前で呼んでいただけますか?」
「もちろんです、サフィーリア様」
貴族令嬢は花がほころぶような笑みを浮かべた。しかしそこにはほのかに苦みも混じっている。
本来、この場において最も働かなければならないのは、王国から使者として――つまりは迷宮領監視役の貴族のトップとして送られてきているはずの肥えきった男だ。
しかし、どうやら肝心の担当者は、すっかり怯えて一番安全とされている所に引きこもったきり、出てこなくなってしまったらしい。他の貴族達も似たようなものだ。
「……平時の至高、有事の最低と揶揄されるのも無理はありませんね」
「このまま最後まで大人しくしていただけるなら、それはそれでこちらとしてもやりやすい」
女は引っ込んでいろ、と声をかけに来る相手すらいない状況を恥じ入るように令嬢が目を伏せれば、侯爵夫人はいつも通りのぴしぱしした調子で返す。
わざわざ領主と別れ、夫人がこちらに直接足を運んだのは、一つにはこのような――指揮者が引っ込んでしまって下の者が動けなくなる状況を回避するためである。もっと本人達に主体性が出てきた場合は、夫と連携を取りながら、暴走や事故を起こさせぬよう、うまいこと調整していく予定である。
「それにプルセントラのご令嬢に協力頂けるなら心強いこと」
「私程度がどこまでお役に立てますやら……せめて証人としては踏ん張りたい所です」
「ご謙遜を。女の身でと恥じ入る必要はありません。貴女は自分の長所を生かせる方です。おそらくこの場の誰よりも」
令嬢は夫人から声をかけられると、頬を薔薇色に染めた。かと思えば両頬をぺちんとたたき、取り澄ました顔に戻そうとしている。
「シシリア様、ご領主様と連絡はできますか?」
「今の所は。戦闘員も、大きな被害は出ていないようです」
令嬢はほっと肩を下ろしてから、直後浮かない表情に変わった顔を扇子でさっと隠す。
「このまま終わってほしいと願うのは……虫が良すぎますよね」
「楽観的に祈りつつ、悲観的に備えましょうか。もう少し落ち着いた場所で話をしますか?」
「そうですね、ぜひ」
麗しの女性達が並んで歩き出すと、その後ろを彼女達の護衛を仰せつかっている騎士達、お世話を任されている侍女やメイド達がしずしずと追いかけていく。
その団体の後ろ姿を遠目に、一人の男が見送っている。
避難してきた人々は、各々布を与えられ、それを敷くことで、広い空間における互いの私用スペースを視覚化していた。
しばし姿を消した一行の様子に魅入るかのようであった男が、ふと身じろぎした折、うめき声を上げる。すると横でうとうと頭を揺らしていた少女がはっと気がつき、半泣きになった。
「切られたところが痛むの? 父さん」
「どうってことないさ――ただちょっと、慣れないだけだよ」
元冒険者のジャグ=ラングリースは、娘のニルヴァ=ラングリースをなだめるように右手を伸ばした。
もう片方の腕には包帯がぐるぐると巻かれており、肘から先は見当たらない。
少し前に、亜人冒険者に切り落とされたのだ。
特級冒険者と、せいぜい元は三級程度だった引退者。襲いかかられたらひとたまりもない。それでも娘の事を思えば、せめて――そんな抵抗すらあざ笑われて、このざまだ。
だが、最も恐れていた事態にはならなかった。目の下に濃い隈を作ってしまっている娘の顔を痛ましげに撫でながら、父はぼやき出す。
「なっさけねえよなあ。せめて腕があれば、もちっとぐらいは役に立てたかもしれないが、あちこち体が言うことを聞かん。せいぜい邪魔にならないよう、こうして大人しく寝てることしかできない、か……」
「あたし――あたしが、あたしのせい、」
「バカなこと言うもんじゃねえ、ニルヴァ」
娘が己を恥じる気配を見せれば、父はすぐまた体を起こそうとする。だが腹にも力が入らないのだろう、片手で身を起こそうとするともたついて、慌てて娘が介助に身を乗り出す。
「俺たちは……どっちもバカで、運が悪かったかもしれない。だけどな、それだけだ。それだけなんだよ、ニルヴァ。父ちゃんはね、こうしてお前がちゃんとここにいることを、女神様に感謝してるんだ。な。もう泣くな。ご領主様だって、奥方様だって、優しかったろ。なあ……困ったなあ、そんなに泣いたら、俺は母さんにドヤされちまうよ――」
「あんらー、広い胸がほしいのはだあれー?」
二人の横に、また新たな人物が腰を下ろす。
ズライ=ゲードゥカは、ジャグ=ラングリースが現役冒険者だった時の仲間で、彼が体の不調を機に引退した後も家族ぐるみで交流を続けていた。
だがこの冒険者について最も特筆すべき事があるとすれば、いわゆるオカマである、ということだろうか。見た目は筋骨隆々とした男で、実際パーティーの盾役を務めている。だが言動は女性そのもので、下手をすると、例えばがさつなリーデレットなんかより、よっぽど美しい女性に見える。
なお通称の絶壁は、昔最も盛んに冒険者活動をしていた時の相方、セティヴァ=ラングリースが豊かな胸を持っていたため、冗談で自称したら案外定着してしまったものらしい。
これはこれで、とまんざらでもなさそうな本人の姿には、「やっぱりああいう人のセンスってわかりにくいな」と他の冒険者は首を捻るばかりである。
「おじさん……」
「いやねえ、ニルヴァちゃん。お・ね・え・さ・ん、でしょ♡」
「おっ、お姉さん……?」
包容力たっぷりな筋肉にわしっと囲われると、少女の目から涙が引っ込んだ。
そのままおーよしよし、とおさげ頭を撫でている男……男女……? に、父親が半目を送る。
「なんでまだこんな所にいるんだ。お前はよう、まだ戦えるんだから、地上に行けや」
「ちょっとヘマこいて、実は今、無傷じゃないのよねえ。療養中ー?」
「そんでも動けはするだろうが」
「まあね。ただ、まだ少し余裕がありそうだから? それならまだ、体を張る所じゃないのかなーって」
盾役は身を挺して危険から仲間を守る。
だが、いちいち全ての可能性を恐れて前に出続ければ、肝心なところで盾が破られることになってしまう。
最盛期は過ぎたものの、未だ冒険者として現役である彼……いや、彼女の言葉に、ジャグ=ラングリースも一理あると思ったのか黙り込んだ。
会話が途切れると、ざわざわとあちこちで人が囁き合う声が流れていく。
すると冒険者の筋肉に包まれていた少女の頭が、次第にこっくりこっくりと揺れだし、まもなくすやすや寝息を立て始める。
悪事の片棒を何度も担がされた上に、最終的には呪いで絞め殺されかけたのだ。その上父親もこの様子、いつ倒れてもおかしくはない状態だった。
よーしよーし、とあやすように少女をゆすってから、冒険者は父の横に彼女を横たえ、上から毛布を被せてやる。
残された片手で頭の周りを整えてやってから、ぽつり、と父は声を上げた。
「……ありがとな、ズライ」
「仲間でしょ。それにアタシはあんたに謝らないといけないもの」
「なんでだ?」
「セティヴァの指輪。取り返せなかった」
悔しげに顔を歪めた冒険者に、男は一瞬きょとんと目を見張ってから破顔した。
「俺は本当に、いい仲間に恵まれたよ」
「一番困ってる時に駆けつけられなかった役立たずよ。過大評価しないで」
「そんなに責任を感じてくれなくていいって。ニルヴァにも言ったが、運が悪かったのさ……」
ラングリース一家の日の光、セティヴァ=ラングリースは優れた冒険者だった。
しかし
ズライ=ゲードゥカは戦斧と褒め称えられた彼女の盾役をずっと務めていた。セティヴァを連れて帰ることができなかった事を気にしている節があり、それで今回のラングリース一家の不幸についても、本人達以上に気にしているのかもしれない。
「……ただ。ただなあ、ズライ」
「うん」
「このまま終わりたくは……ないな」
ふと、男はやつれた唇の隙間から、低い本音を漏れさせる。
一度沈黙があった。
ほどなくして、「そうね」と短い返答があった。
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