地上/廟 好転の気配

 迷宮領北西部には女神を祀る廟が存在する。

 平時であれば人々が参拝する女神像は持ち出され、地上から迷宮へ様々な物を捧げる一方通行の穴は、魔物がこちらに出てくるための通路と化していた。


 しかし状況は再び変わろうとしている。


「隊長、全部片付きました!」


 渋いひげ面で正面を見つめていた騎士のところに、短髪の女騎士が駆け寄ってきて報告した。


「負傷者は?」

「かすり傷程度です! うちのチームは優秀ですので!」

「了解した。引き続き警戒を続行せよ」

「アイアイ、サー!」


 男が短く応答すれば、女騎士はぱっと顔を輝かせ、またもとの場に帰って行く。

 去り際にちらりと何か言いたそうな目を向けたが、躾の行き届いている竜騎士達は上司にむやみに逆らう事をしない。


「……休むか。今でも充分手応えは出ている」


 男はしばし沈黙し、静かになった周囲の様子に耳を澄ませていたが、程なくして異常なし、と確認できたためだろうか、隣で座り込んでいる少年に声だけかけた。


 廟に配置された人間のほとんどは鎧を着込んでいるが、王城から駆けつけたこの少年は神官服に身を包んでいる。


「いいえ――完成、させます」


 応えた少年の額から、また一つ大きな汗粒がぽたりと落ちた。


「そうすれば、他の場所に貴方たちが移動できる……」


 ルファタ=レフォリオ=プルシ――当代随一の術士、最年少の枢機卿の一番弟子にして、神童と謳われる彼は、今たった一人で目の前の穴の封印に取り組んでいた。


 集められた竜騎士達が魔物の相手をしている間に、穴の周りに魔方陣を描き、完成した円に印を結び、呪文を唱える。


 その作業を終わらせた後、少年は膝を突き、祈るように両手を組んで目を閉じた。


 すると魔方陣が光り出し、地面から伸び出した。穴の中から飛び出してきていた無数の魔物達が、魔方陣の放つ光に触れるとギャッと悲鳴を上げて落ちていく。


 最初は粗くか細く、隙間をかいくぐって、あるいは細い糸を破られて何体も逃してしまった螺旋だが、徐々にその数を増やし、強度増し、いつの間にか無数の螺旋は一点に集束して円錐を作り出す。


 ぐ、と少年が歯を食いしばり、握りしめた自分の手に爪が食い込むほど力を込めた。


 キィン、と金属を慣らしたような高い音が響く。それが完成の合図だった。


 円錐の壁は穴の中から飛び出してこようとする魔物達をことごとく追い返す。


 ギャン! ギャン! と彼らの悲鳴が響く度に、オレンジ色は一瞬白に変わり、光の糸で作られた円錐がたわむ。けれどそれ以上破られはしない。


「……見事なものだ。術には詳しくないが、これほどのものとなれば本来は複数人で当たるものだろう?」


 どうやら大丈夫らしいと判断した男が声をかければ、少年は鼻の辺りを乱暴に拭い、疲労のにじんだ笑みを浮かべた。


「師に一度、お手本を見させていただきましたから……」

「隊長!」

「終わりましたか?」


 撃ち漏らした魔物がいないか見回っていた騎士達が戻ってきたらしい。


 ひげ面の男が大きく頷くと、彼らは安堵したように肩をなで下ろす。


 が、功労者であろう少年に対して向ける目は複雑だ。




 現在迷宮領には、北西、中央、南東の三箇所に災厄の入り口が出現している。

 南東――すなわち星神教の区域。


 枢機卿ユディス=レフォリア=カルディは、神聖ラグマ法国の頂点、法王に忠誠を誓っている。

 法王は代々、迷宮領の完全封印を目的としていた。当代は比較的穏健派寄りではあるが、それでも星の神が認めぬ物をあえて懐に入れるほどではない。


 災厄が再び訪れると聞かされたとき、人々は互いを見合わせ、不安を口にした。


 どうしてそんなことに? 自分たちは何も悪い事をしていないのに。

 どうやら星神教の神殿が発信源と聞いた。避難先は西と北東。星神教は駄目だ、あそこの拠点にはもう近寄れなくて、神官達が逃げ出している。建物が全部崩れたらしい。


 ――枢機卿。稀代の術士。ユディス=レフォリア=カルディはどうした?

 姿が見えない。この一大事に。しかも聖堂が崩れているのに。


 関係者がどれほど気をつけようと、東から南東にかけて一般人が立ち入れる状況にないことは事実だ。しかも元々星神教は迷宮領と対立しやすい性質である。


 疑心が噂を呼び、噂は不信を募らせる。

 その上なお悪い事に、この噂はかなりの部分事実を言い当てていた。



 結果として、神官達の状況は厳しい。

 魔物相手としても、怪我人病人の癒やし手としても有用であるはずだが、彼らが駆けつけると周りの反応は冷淡である。


 戦力としてはまだ未熟な者は市民同様に避難するしかないが、中には神官であることを理由に避難を受け入れない動きも出てきたと聞く。



 そしてユディス=レフォリア=カルディの一番弟子にも、当然ながら強い逆風が吹きつけた。


 彼は元々王城で、傷ついた体を癒やしつつ、いざというときの戦力と考えられていたが、共にあることに難色を示す人間は少なくなかった。


 そこで最前線に向かわせれば、今度は同じ所に向けられた人間が嫌な顔をする。


 冒険者ならばある程度、好き嫌いは別として有用ならば使う、というドライな思考をできる人間が多い。

 一方、城勤めの人間や騎士は、規律に忠実で正義感に強い性格の人間が自然と集まる。それは翻せば、悪と断じた相手にはかたくなになりがちであると同等だ。


 廟の異常を報された際、竜騎士部隊が派遣されるのは自然な事だ。

 迷宮探索時以外は王城勤めが多いため、速やかに送り出しやすい。

 また、地上勤務のみを担当とする騎士達より、魔物との戦闘に慣れている。


 いち早く廟の守護に回された彼らも、ルファタ=レフォリオ=プルシが後から増援として送られてきた時にはいい顔をしなかった。


 とりまとめ役の隊長は冷静だったが、若い衆の一人など少年にくってかかったほどだ。


「この場の穴は幸いにも比較的小さい。今ならまだ――応急処置ではあるが、閉じることが可能である。ただ、自分はその作業に集中したいため、術が完成するまでは魔物の討伐をそちらで受け持ってほしい」


 特にやってきたばかりの少年が提案をすると、騎士達は口々に不満の声を上げた。


「どうだかな。そもそもこの騒動の原因はそちらにあると聞いているが?」

「神殿が崩れたとは本当ですか? だとしたら一体何をしていたのか。何かよからぬことをして、それで女神様を怒らせたのでしょう?」

「俺たちの援護をする、でもこっちは業腹なのに、お前の援護をしろだと?」

「たとえもし協力する気があるのだとしても……そもそもの発端となっている所に重要な事を任せたくはないな」


 ただ一人、隊長だけが少年の言葉を吟味するように黙り込んでいる。


 だがルファタは城でも廟でも、どこでも人々の罵声に言い返さなかった。怒りをじっと受け止めて、頭を下げ続ける。


「大体、こうなったのは枢機卿のせいだろうが! なぜ彼女はやってこない? しくじって、逃げ出したんだろう!」


 ただ一点、自らの師ユディス=レフォリア=カルディへの否定的な意見が出たときのみ、少年は端的に返した。


「それは違います。我が師は今、最も死に近いところで戦っている。人類の未来のために」


 これも、常ならばかっと頬を朱に染めてくってかかるのだが、今はただ淡々と落ち着いた口調を保っていた。


「師は間違えたかもしれない。我々は罪を犯したかもしれない。ならば、だからこそ、償いたい。ぼくを使ってください。必ず役に立ちます。我が神と、我が師に誓って――ルファタ=レフォリオ=プルシは、あなた方、全ての人間を守る」


 最終的には彼の静かな圧に、騎士達の方が気圧されるようにして決着がついた。

 黙り込んだ騎士達を見回して、隊長が促すように声を上げる。


「やってみよう。蓋ができるか試すだけなんだ、仮に失敗したとしても現状が変わらないだけ、それなら試すのも悪くないだろう?」




「この術を保つには、君がずっとここにいる必要があるのか?」

「いいえ。これである程度完成していますから、ぼく自身も他の場に動くことはできます。ただ、もちろんこれで完全に安心とは全く言い切れない。術が破られた場合などの対処を考えると、見張りを何人か残しておきたいところです」

「そうだな、無人にするのはいくらなんでも油断が過ぎる。一度閣下に連絡して人員再配置の判断を仰ぐ。待機していてくれないか」


 少年と隊長がやりとりを交わしているのを、他の騎士達は遠巻きに見守っていた。

 彼らがかける言葉に迷っている間に、目の前で話が進んでいく。


「あの――できれば、神官達をこちらに向かわせていただけますか? ある程度心得がある者なら、この魔方陣の補強が可能です。持ちこたえる時間を延ばせますし、戦闘も治療も可能です」

「そうだな、連絡しよう」

「それから……たとえ戦えずとも、その……」


 口ごもる少年をしばし見守った後、髭の男はふっと目尻を下げた。


「心得た。居場所を失った者達をここに集められないか、領主閣下に頼んでみよう」


 周りの騎士達がはっと目を見開く。


 廟は封印措置を施したとは言え、いつまた戦場となるかわからない場所だ。

 しかし、腕の立つ術士で交代に穴を見張っていれば、咎もなく路頭に迷った力なき信者達の受け皿になりえる。

 ――例えば避難所を追い出された、星神教の信徒達などの。


「感謝します、賢き狼の長よ」


 少年は深く安堵したのか、杖にもたれかかり、ほーっと大きく息を吐く。


 早速仕事に取りかかろうと足を踏み出そうとした隊長だが、歩き出す前に少年に目を戻し、それから急に腕をつかんだ。


「――えっ?」

「こちらに」

「あ、あの……」


 隊長がぐいぐい引っ張っていくと、騎士達は慌てて道を空けた。

 少年は力なく引き立てられ、まもなく人の気配が少ない場所まで連れてこられて座らされる。

 ぐるぐると目を回している彼に、ひげ面の隊長は腰に下げた荷を漁って、ハンカチを投げた。


「鼻血は顔を下向きに、安静にして様子を見るのが原則だ。止まらなければポーションを分ける。再度連絡するまで大人しく休んでおけ」


 男はそう言い捨てて、今度こそ連絡に向かう。


 一人取り残されたルファタはしばし呆然としていたが、遠ざかる相手の背に再びくしゃりと顔を歪めた。


「重ね重ねのお心遣い、感謝します――」


 隊長は振り返らず、ただ片手を上げてから姿を消した。

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