居候 お化粧とエスコート

 無事に最初にして最大の難関を越えると、次の段階は随分と楽に感じられた。

 何しろドレスアップの時、シュナはほぼ大人しく座っているか指示通り立っているだけでよく、コレットが一生懸命やってくれるのだ。


 昔もちゃんとしたドレスを着るときは父の手伝いが必須だったが、シュナは基本的にほとんど毎日が一人暮らしだったから、簡単な構造の服なら自分で脱ぎ着できる。けれどコレットが一から十まで丁寧に脱がせたり着せたり整えたりしてくれるので、目を丸くしつつほとんど全て任せている。


「お嬢様、見た目も十分華奢ですけど、コルセットをすると本当に細い腰ですねえ……大丈夫ですか? キツすぎませんか? 王国の貴婦人方は限界まで絞り上げるらしいですけれど、迷宮領では見苦しくない程度に形を整えることが主目的ですからね。無理は禁物ですよ」


 そんなことを言いながら背中の紐をきゅっと引っ張って結んでいたコレットが、ドレスを着せる段階になると今度はため息を漏らす。


「ああ……やっぱりちょっときついですか、お胸周り。昨夜急いで直してみたんですけど……申し訳ございません、今日はちょっとだけ我慢してください。奥様に仕立屋さんを呼んでいただいて、ぴったりなドレスを作っていただきましょうね」


 胸の辺りを押さえてちょっと俯いていたシュナだが、そう言われると頷――こうとして、(仕立屋?)と首を傾げる。

 けれど残念ながらシュナが疑問に思ったことを、メイドは気がつかなかったかあえて流したらしい。


「それにしてもお嬢様、お腰がこんなに細いのにお胸とお尻は案外しっかりしているって……本当にもう、皆様の反応が今から目に浮かびますよ。罪作りな方ですねえ……」


 うふふ、あはは! ともはや笑い声なのか若干怪しいがとりあえず楽しそうではある声を漏らしつつ、コレットはあちらを締めこちらを引っ張り、時にはシュナに動かないように指示を出して針と糸を取り出し、せっせと仕上げていく。


 着せられたのはシンプルで淡い色合いのドレスだった。鏡台に座るように誘導されたシュナは喜びの声を上げて目を輝かせるが、直後に眉を下げる。


(わたくしは自分の服なんて持っていない。ということは、昨晩の寝間着といい、きっとどなたかが貸して下さったのだと思うけれど……いいのかしら)


 ちらっと鏡の中でコレットを窺ってみるが、ドレスがひとまずできあがった彼女は今度は髪と格闘するのに忙しいらしい。目で訴えることも難しそうだとため息を吐き、シュナは大人しく鏡の中を見守ることにした。


「御髪はどうしましょうか。結い上げる必要はないと思いますけれど、このままというのも寂しいですし……いえ、このままでも十分ボリュームありますし素晴らしい御髪なんですけどね! せっかくですからちょっと編み込みを入れてみましょうか」


 コレットはそう言うと、耳の上の髪を取り、軽くねじって頭の後ろで団子を作る。櫛とピンでパパッと形を作ってから仕上げにリボンで飾る様子を見て、シュナは歓声を上げた。


(すごい……すごいわ! 絵本の中のお姫様みたい!)


「あ、待って、まだまだ! あと少し、お化粧が残っていますから!」


 拍手をしようとしたシュナを、コレットは押しとどめた。鏡台の前にあらかじめ広げていた道具達を手に取り、シュナの顔を彩っていく。


「お嬢様、目を閉じて……私がいいって言うまで開けちゃ駄目ですよ。目に入っちゃいますからね。お嬢様は肌も綺麗ですし、そこまで弄る必要はないですが……ちょっっとここだけ、やってしまいますね」


 言われたとおりに大人しくしているシュナだが、うずうず身体が時折動いてしまいそうになり、その度にコレットにたしなめられる。


「最後に、口紅を……はい、できました! いいですよ、目を開けて!」


 ようやくお許しが出て、ゆっくりと瞼を上げる。


 今度は感嘆のため息が漏れ出した。シュナの顔から、痣が消えていたのだ。いや、よく見てみると名残が残っているのだが、大分目立たないように工夫されているようだった。


「ああっ、あまり触りすぎるとお化粧が取れてしまいますから! そっと、そっとね」


 左目の下辺りに手を当てて鏡を覗き込もうとしたシュナだが、コレットが慌てたように言うと自分もぽすんと音を立てて椅子に戻った。


 時間が経てば驚きが控えめになっていき、その分むくむくと後から喜びがこみ上げてくる。


 父と同じということに文句はないが、やはり顔に大きな痣がある顔というのは女心として複雑だったのだ。綺麗にしてもらって嬉しい気持ちと、また新たな疑問が一つ。


(お父様……確かお顔のことで、意地悪を言われていたわ。こんな風に隠すことができるなら、どうしてしなかったのかしら? お化粧は女の人がするものだから?)


 またぐるぐるとした思考の波の中に沈んでいこうとする彼女を、メイドの大きな声が現実に戻した。


「我ながらかなり良い出来です! これは若様もイチコロですよ!」


 シュナの横でコレットは誇らしげに胸を張る。直後、椅子から立ち上がったシュナがくるりと振り返ったのでメイドはうろたえた。


「お、お嬢様? も、申し訳ございません、何か気に入りませんでした? ええと私、今からでも頑張ってお直しを――わあっ!?」

「コレット、まだか? もう結構時間が――」


 シュナが感謝の気持ちを伝えるべくメイドに飛びついてぎゅっと抱きしめたのと、ガチャリとデュランが扉を開けたのが同時だった。騎士は部屋の中の様子に目を丸くし、それからいぶかしげな顔になる。


「……何をしているんだ?」

「わ、若様! ちょうど今終わりましたので! お嬢様、あの、お気持ちは大変嬉しいのですが、わ、若様がいらっしゃいましたから! お化粧も、取れてしまいますから! ねっ!?」


 シュナはメイドから顔を離し、入り口の方に向けた。すぐに晴れやかな笑みになった彼女に、一瞬だけはっとしたように立ち尽くした騎士だが、すぐに立ち直った。


「おはよう、トゥラ。よく眠れた?」


(トゥラ……? そうだ、それが昨日から、わたくしの名前になったのだわ)


 シュナ――改めトゥラは、一瞬遅れてから呼ばれたのが自分の名前であることを思い出し、こくこく何度も頷いてみせる。その後、騎士の様子をじっと観察してみた。昨日は全体的にふわっとしたシルエットで白色メインだったが、今日は黒色がメインだ。鎧の色も黒だったし、赤髪金目の彼にはよく似合う。


(鎧を着込んでいる時と昨日の服の中間ぐらいみたい。昨日の服がお部屋着で、今日は普段着なのかしら?)


「どうです、若様。私の腕前、素晴らしいでしょう? 今すぐうちのお姫様ですって各所方面にご紹介できますよ!」

「いや、それはさすがに……」


 と苦笑したデュランだが、聞いていた娘がしゅんとうなだれるのに気がつくと、少し視線を彷徨わせてから戻す。


「別に似合っていないとか、そういう意味じゃなくて……その。よく似合っているよ。本当に綺麗だ」


 途端に顔を上げてぱっと顔を輝かせた彼女に、騎士はどこかぽーっとなった様子のまま立ち尽くしている。メイドから「何してるんですか若様、お迎えに来たんじゃないですか」と肘で小突かれると我に返り、咳払いをしてからシュナの前にゆっくりと跪いた。


「では……ええと。その……ぜひ、朝食にエスコートさせてください。小さなお姫様」


 シュナは首を傾げてから、にっこり微笑みを返し、差し出された手を取る。遙か昔、父を相手にドレスのお披露目をした時のように。


 ――が、その後デュランが軽く指先に口づけようとしたので、またぴゃっと声を上げてすぐに一度引っ込めてしまったのは、まだまだ経験不足の未熟さなのであった。


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