姫 枢機卿と出会う

 大丈夫、大丈夫! とシュナは全身全霊心を込めて表現したが、いきなり意識を失った人間が、そう簡単に解放してもらえるはずがない。ただでさえシュナは前科持ちだ。ベッドの中で何人もの人に、様子を測られ甲斐甲斐しく世話を焼かれることになった。


 お医者さんこと眼鏡をかけた年配の女性は、何かの器具を使ったり目を見たり口を開けさせたり発声させてみたりとあらゆる検査をした後、首を捻って「過労でしょうかね。ま、安静にして経過を観察しましょう」と結論づけた。


 しかしその横でメイドのコレットが「お嬢様に大事なくてよかったですよう!」なんてわんわん泣いていたのをなだめるのは大変だった。彼女が落ち着いてきた時、


「でも本当によかった。まだお嬢様のお世話係を続けられそうで……」


 とぽろっと零された言葉に、シュナは最初不思議な言い回しをする、と首を傾げた。しかしすぐに、そこに込められた意味を悟ると、顔から血の気が失せていく。


 もちろん、コレットはシュナのことを単純に心配してくれてもいるのだろう。けれど同時に、彼女はシュナの世話を命じられた人間だ。となれば、シュナの異変に気がつかないこと、何か危険があった時に止められないことは、彼女の責任として問われる可能性があるのではないか。


 つまり、シュナの行動の責任を、シュナ自身のみならず、別の人も負担しているのだ。

 使用人。世話係。その言葉の意味が、そういう役割の人間が割り当てられたことの意味が、じわじわと重みが今になって感じられてきた。


(ど、どうしよう……お父様と二人きりの時は、そんなこと思いもしなかった。わたくしが何かすると、わたくしだけではなく、わたくし以外の人が困ることもあるのだわ!)


 思い立ったばかりの時も、今から人の目をかいくぐって迷宮に戻ることが至難の業であろうことは容易に想像できたが、シュナのしたいことを阻む見えない壁や鎖は、彼女の考える以上、はるかに多く存在するようだった。


 ならば諦めるのかと問われれば、それも無理だと返すしかない。


 人の社会がどうやって成り立っているのか、人々がどのようにして日々を暮らしているのかが実感として理解できてくると、なおさら迷宮から飛び出してきてしまったことについての罪悪感が深まる。


 シュナが迷宮の竜達を今必要としているのと同様に、竜達だってシュナのことを必要としているのではないか? シュナがいなくて困っているのではないか?

 いや、疑問形のレベルではない。確信だ。確実にシュナは彼らを困らせている。


 それに、迷宮にはイシュリタスが、シュナの母が――父親を失ったシュナが、唯一肉親と呼べる相手がいるのだ。

 たとえ正気をなくしており、どこまで対話が可能なのかわからない存在で、シュナに怖い思いをさせて一度は迷宮から出て行かせる原因を作った相手なのだとしても――このままほったらかし、離れるなんて無情なことができるわけがない。今はシュナだって、彼女に聞きたいことが、話したいことが山ほどあるのだ。


(ああ、雁字搦めのしがらみだらけ! 外に出たら好きなことが、自由があると思っていたのに。誰もが優しくしてくれても――ううん、むしろその方が、できることがなくなってしまうこともあるのね……)


 そしてここに来て、シュナがしたいことの一番の障害として立ち塞がったのがデュランなのである。

 目を覚ましたシュナにコレットと同じようなリアクションを取ったのはまだいいとして、その後の扱いが……なんというか、やりすぎだった。


 立ち上がろうとすれば、


「トゥラ、駄目だよまだ、寝てなくちゃ! いい? 絶対安静だからね」


 食事の声がかかってシュナが「ようやく外に行ける!」と気合いを入れようとすれば、


「ああ、悪いが、部屋に持ってきてくれ。トゥラはここで食べるから」


 と、涼しい顔で言ってのけた。


(そこまで徹底して閉じ込めなくてもいいじゃない!? わたくし、お外に行きたい! 出たい!)


 露骨に不満な顔をすれば、困ったような顔で微笑んで、


「その代わりたくさん本を持ってくるから……何がいい? 地図はどう? 歴史書は難しすぎるかな――」


 本の下りでは思わず一瞬よろめきかけたシュナだが、すぐに正気を取り戻した。


(違うのよ! わたくしはこうしている場合じゃないの、迷宮に戻らないといけないのよ! ちょっと皆で一日ほど目を離してくれれば、それでいいのよ!)


 しかしデュランはシュナを外に出す気はさらさらないらしく、コレットはじめ見張りまでしっかりつけて厳重警戒の構えのようだった。確かにいきなり倒れたら心配するのはわかるが、この状況はどうかと思う。


(これ、軟禁、ってものなのではないかしら! 過保護、ってものなのではないかしら! しかも雰囲気というかやり方というかが、どことなくお父様に似ている気がするのだけれど! この、物で釣って要求を通してくるところが! 気のせいかしら!?)


 と、シュナは(言葉が使えないので仕方なく)枕を叩いたりして自己主張しているのだが、なぜだろう、彼女の必死さに比べて周囲の反応が生温かい。なぜ微笑ましく見守られているのか。しかもなんだか周囲の人間達もそこまでデュランを非難しないというか、


「若様、心配性ですねえ……」

「まあ元々お付き合いしてる方が不調ですと、ちょっと鬱陶しいぐらいに構いたがる癖はありましたけど……」

「尽くしたい男なんですねえ……」


 なんて言い合った後、しみじみうなずき合って終わり、結局呆れる態度は示しても最終的にデュランの指示に皆従ってしまうのである。


(そっ、そうか……! お世話係の人達は、そうよね、デュランにあまり強いことは言えないのかもしれないわ。でも、他の方なら……!)


 本来ならいくら時間があっても足りないはずの読書の時間も上の空のシュナの念が通じたのだろうか。


 午前中一杯は本当に寝台暮らしだったが、午後になると来客があるとのことで、シュナは少し身支度を調えることになった。コルセットを締めるほど気合いは入れないにしても、さすがに寝間着のまま知らない人に会うのには抵抗がある。

 コレットはお化粧をどうするか迷っていたようだが、結局薄目にすることで落ち着いたらしい。


「人前に出て、見苦しく思われない程度にしておきましょう。終わったらまたベッドの中に逆戻りかもしれませんし、あまりしっかりしすぎても後が大変、お肌にもよくないですからね」


 そうなのか、と思っているシュナに、終わりましたよ、と声をかけて下がったコレットと入れ替わりになるようにデュランがやってきた。


「君の不調について……その。ちょっと、専門の人に一度見てもらおうってことになったんだけど……」

(呪いのことかしら)


 すぐにシュナはピンときた。

 最初にお医者さんの検査を受けたとき、彼女はシュナの一部の症状を「自分では手に負えない、おそらく呪いがかかっている」と言い、また「専門家に詳しく診てもらった方がいい」とも言っていた。


 デュランのいかにも渋そうな様子を見ているに、彼本人が呼んだのではなく、シュナが倒れて部屋に籠もりきり(いや籠もっているのは自主的ではなく外圧のせいなのだが)の様子を見て誰かが気を利かせてくれたに違いない。


「今から来るのは、ユディスという女の人だ。隣の国、神聖ラグマ法国の枢機卿カルディ――枢機卿ってわかるかな? ざっくり言うと、法王ヒエロの次に偉い聖職者。ただ、迷宮の探索家でもあって、まあ法国の人間らしく頭の固い所はあるんだけど、それでも一応結構話のできる方の人ではあるから、大丈夫だと思う……ええと、たぶんね? むしろ本国よりはね? 無理は強いない方だから……状況によるけど」


 デュランのいかにも愁いに満ちた態度もなかなかの不安要素だが、シュナにとっては新しい情報が色々と入ってきていて、その辺から既に大丈夫じゃない。


(カルディ? ヒエロ? 聖職者? 隣国? 本国? ……外の世界ってどうなっているの? 別の国の人と会うってどういうこと? しかも偉い人なのでしょう?)

「大丈夫、俺が側にいるから……」

(本当に? ねえ、本当に!?)


 最近少しずつデュランの言う「大丈夫」って実はそれほどでもないのではなかろうか、と認識を改めつつあるシュナの心境はともあれ、準備が整うと人は動き、扉が開かれてしまう。


 用意された椅子の上で緊張を深めたシュナの前に現れたのは二人の人物だ。


 一人は大人、一人はたぶんまだ子ども……少年だ。同じような服……ローブ、と言うのだろうか? に身を包み、同じような帽子を被り、同じような杖を手に持ち、地面について歩く。

 ただ、少年に比べて大人の方が全体的に装飾が華やかで、ではこちらがきっとカルディなのだろう、とシュナは推測する。

 女性とあらかじめ紹介されていなければわからなかったかもしれない。まず顔立ちがちょっと独特だ。老いているのか若いのかもはっきりとせず、眉はほとんど眉頭のみ残った独特の丸い形をしている。その上シルエットの出にくい服に身を包んでいて、緑がかった髪を顎の辺りでばっさり切ってしまっているのだ。

 女性は髪が長いものだと思っていたシュナは驚いたが、そういえば聖職者とか言っていただろうか? ならば彼らは男女問わず髪を短く切る習慣があったはずだ、そういうことなのだろう。あの眉も、よく見れば剃って化粧しているようだ。


 少年の方は、まだあどけない丸みを残した普通の顔立ちだった。焦げ茶の頭に、同じく焦げ茶の目。こちらはちゃんと普通の眉が残っていたので、シュナはなんとなくほっとした気分になる。


「本日はお招きに預かりまして」

「いや、こちらから来てくれと頼んだんだ。ありがとう、レフォリア=カルディ。……レフォリオ=プルシも、か」


 デュランが呼びかけたことでカルディと確定した人物は、外見も男女不詳気味なら声も中性的のどっちつかずだ。男性にしては高いように思えるし、女性にしては低く感じられる。喋り方には抑揚がなく、感情が抜けていてなんだか不気味だ。


「勇猛にして誠実たる獅子のお言葉に、何の否やがございましょう。ルファタはわたくしの補佐として連れてきました。階級は司祭プルシですが、一番優秀な才能溢れる弟子です。いずれ臣を超えることになりましょう」

「カルディ……」


 なるほどこの二人は師弟関係なのか、としげしげ見守っているシュナがふと少年の高い声に釣られて彼を見ると、カルディそっくりの無表情を保っていた彼が、褒められた瞬間動揺をあらわに顔を真っ赤に染める。

 若者らしく初々しい様子にシュナは微笑ましさを感じるが、椅子の横でまるで二人を威嚇するように立っているデュランは、まだ眉の皺が取れない。

 あちらにも不穏な気配が伝わったのだろう、カルディがそっと呟くように言った。


「ご不満が?」

「いや……トゥラ、話した人だ」


 デュランは怖い顔のままシュナを紹介した。彼女は慌てて立ち上がろうとしたがとどめられたので、椅子の上で会釈をする。カルディの方が彼女の近くまでやってくると、音もなく膝を折り、頭を下げた。


「お初にお目にかかります。わたくしは、ユディス=レフォリア=カルディと申します。こちらは我が愛弟子、ルファタ=レフォリオ=プルシ」


 ――その片膝をつく仕草に、強烈な既視感を覚えた。くらり、と視界が揺れる。


(初めて? 本当に? どこかで……)

「以後お見知りおきを、いとけなき無垢なる子鹿よ」


 じっとこちらを見つめる目の鋭さに、シュナは射すくめられて身体を小さくした。

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