竜姫 迷宮を知る 後編

《昔……?》

《ファリオンが探検をしていたような頃のことであるな。あの頃は迷宮の地図を描くことができた。場が動かなかったためだ》


 アグアリクスは飛びながら説明を続ける。今日はどうも以前来たときより天候がよくないように思える。砂煙で視界が曇り、遠くまで見通しにくい。いつの間にか二竜の横あたりまで出てきていたエゼレクスとネドヴィクスが、さりげなく砂の間の吹き荒れる風とそれに伴う軽度の砂嵐からシュナを庇う位置をキープしていた。


《例えばここ第二階層、砂の間は四つの第三階層と繋がっていた。第三階層エリアAから第三階層エリアD。人間達の言葉では順に、大火の間、大池の間、大地の間、そして先ほどの大木の間。そこから更に第四階層、同じくエリアAからD――炎の間、水の間、崖の間、森の間へとそれぞれが続く。第四階層は各エリアにエリアターゲットと呼ばれる魔物が配置され、それらを仕留めるとキーをドロップする。四種集めたところで砂の間に戻り、遺跡にピースを嵌めると第五階層へ経路パスが開通し、更に――》

《…………》

《……要するに。進むには面倒な手続きが必要だが、逆に言えばそれさえ守れば先に進める。そういう場所だったのだよ》


 シュナの「ごめんなさい頑張って頭を働かせようとしてはいるのですがやっぱり何言ってるのか割とわからないです」という空気が伝わったのだろう。アグアリクスは途中で盛大に話を端折ってまとめた感じがあったが、詳細を丁寧に解説されてもきっと理解できなかったのでかえってありがたいと思う。


《じゃあ……誰でも今よりもっと楽に冒険ができて奥に行けたってこと? それなのにどうして迷宮なんて名前がつくの?》

《いくつか理由はある。そうさな、過去の迷宮とて間違いなく迷路なのだが、昔は順路さえ知っていれば、入って目的を果たして出てくることができる、そういう場だったのだよ。賢き者なら迷わずに済む。あるいは、悩ましい道筋の中に一つだけ正しい答えが用意されている。そういう意味での迷宮だな》


 アグアリクスが前方に出たのでシュナは前が見えなくなった。直後、びゅうと音を立てて強風が前方から吹き付ける。アグアリクスの身体は大きく、一方シュナは小柄だ。影に入ると、完全に庇われてこちらは快適に飛ぶことができる。


《また一説によれば、ラビリンスもダンジョンも大元は囚人のための監獄を意味、あるいは暗示させる言葉だったとか。迷わせたいのは外部からの侵入者ではなく、内部からの逃亡者。閉じ込める場所は地下。ならばこれ以上ふさわしい名前もあるまい》


 彼が自嘲するように口元を歪めたような気がしてシュナはドキッとした。


 ――何人たりとも出られない。


 繰り返し聞いたフレーズが頭によぎると、心臓がうるさく胸を叩く。


《もう一つの理由はもっと単純な話だよ。第一階層で準備を整え、第二階層で慣らした冒険者達が真っ先に挑む第三階層だが、力量も装備も十分とは言えない初心者ならまず、一番攻略が楽なエリアC――すなわち大地の間から進んでいくこととなる。そこしか行けぬとも言えるがな。ともあれ、あそこは無数にある穴の中をひたすら進んでいく、そういう場だ。同じような構造の部屋と道が続き、魔物と交戦等して気がつけば現在地も目的地もわからなくなっている――洗礼とすら言えよう、冒険経験があれば誰しも一度は通る道だ、その印象が強く残っておるのだろうな》

《一番攻略が簡単な場所でそれって……帰れない人も多いのではないの……?》

《何、魔物に知性はないが、難易度は調整可能、救済措置も存在する。そのためのわれわれでもある》


 そうか良かった、とほっとしかけたシュナだが、アグアリクスがさらりと零した言葉の意味を理解するとさーっと血の気が引ていくのを感じる。


 それはつまり、気に入った相手なら危ないとみれば助けに入るが、気に入らない相手なら見殺しにする……そういうことなのではないか?


来訪者ゲストは一歩足を踏み入れた瞬間から絶えず迷宮に値踏みされているのだよ。彼は、彼女は、彼らは何者か? その者の価値――その身に抱える欲望ネガイと、その身の払うことのできる代償たいかを。人としての経験が長い貴方には少々受け入れがたいことだったかな》


 シュナの想像を肯定するかのように、アグアリクスは喉の奥で笑い声を上げた。


《皆を助けようとは、思わないの? 間に合わなくて、心が苦しくなったり、とか……》

《思わぬ。助けを求められたが応じず、そのせいで相手が死んだ……そのような時に我々が罪悪感を覚えることはない。こちらが行かぬと決めた結果であれ、あちらの運か実力の低さのせいであれ、未熟者め、と思い、翌日には忘れる。そも人の期待するような罪悪感の概念が芽生える場合が存在するのかも疑問であるな。我々の倫理意識は人とはまた異なるもの。規範から逸脱すればもれなく呪殺の身、議論ならば楽しく交わすが、結局の所悩んでもどうにもならぬ》


 淡々と答えるアグアリクスは、シュナがペースを落として距離を離すと何も言わず自らも合わせるようにゆっくりと羽ばたいた。他の二竜も、先に進んだ後、ゆっくり旋回して戻ってきて、また何事もなかったように元の位置に戻る。


 シュナはじっと、顔色の窺いにくい黒い竜を見つめた。


《わたくし、おかしいのかしら。竜として……》

《変わっていることは悪いことと同義ではない。それでより多くの悩みを抱えるのなら難儀なものだが……同調シンクロの方法は学び、習得して生かしてほしいが、心や考え方まで同調せよと我が言うのはあまりにも考えが浅く、また禁則事項とも評するべき愚行であろう。悩むが良い、愛しき姫よ。貴方の道を決めるのは貴方だ。我は楽しみにしておるのだよ。貴方が何を考え、選択するのか》


(激励されているのでしょうけど、さりげなく大変なことを要求されてもいるような……)


 嬉しいような悲しいような微妙な気持ちになりつつ、シュナはうーん? と首を捻る。


《ええと……さっきのお話のこと、整理させてね。昔の迷宮は、もっと整っていた。でも、今の迷宮はぐちゃぐちゃになってしまっている。それは……アグアリクスお母様が弱っているせい?》

《そうだ》

《わたくしが、起きてしまったから?》

《違う。今の迷宮に変化したのは百年前――ファリオンが死んだ時からだ》

《……百年前?》


 シュナは今度こそ羽ばたくことすら忘れた。空中で停止した彼女に、後方に再び位置取りを変えて飛んでいたエゼレクスがぶつかりそうになり、奇声を上げながら慌てて逃げる。が、ネドヴィクスの方は避けきれなかったらしく、《ぶ》と一声上げて衝突した。一回り大きな竜に当たられて、ぽーんとシュナの軽い身体が飛ぶ。幸いだったのは衝突されたのが尻の部分だったから痛みは特になかったことだ。そのままどこかに飛ばされそうになったシュナを器用に捕まえたアグアリクスが、後方に首を回して顔をしかめたらしい。


《ネドヴィクス。気が緩んでいるぞ。精進せよ》

《……謝罪》

《ねえ、それより今、百年前って……どういうこと? まさかとは思うけれど、わたくしが眠っている間に、百年も経ってしまっていたということ!?》

《いや、その、まさかも何も……》

《あっれ? 知らなかった? ぼく何度か言った気がするし、迷宮の外で調べ物してたみたいだし、てっきりわかっているものかと》


 アグアリクスの困惑もさながら、彼が教師役を務めている事が面白くなかったらしく、奇妙な沈黙を保つことで地味な抗議を続けていたエゼレクスも衝撃のあまり口を開いたようだ。ネドヴィクスに至っては先ほどのこともあってか、反応しきれずに固まっているらしい。

 が、シュナの驚愕は、彼らより度合いが強く深刻であると自信を持って言える。


《しっ――》


 知らなかったわ、と言いかけて言葉を飲み込んだ。


 落ち着いて思い出して見たら、ちらほらヒント――中には直球の言葉で、キーワードは出てきていたではないか。誰もその情報を隠しもしていなかった。ただ、シュナがこう、頑なにスルーし続けていただけで。


 自分が白目を剥いている自覚がある。気がついてしまったら、なぜ自分が無意識のうちにその情報をなきものとして扱っていたのかという理由もなんとなくわかった。


《わ、わたくし……それでは、今まで自分は十八歳だと思っていたけれど、百十八歳になってしまうということなの……!?》

《う、うむ……?》

《えー。どうなんだろう? ぼくら加齢の概念ないしなあ……》

《凍結保存。故。年齢換算。無》

《まああれだ、次元凍結までシュリがやってたかはともかく、百年間の間君の状態は全く変わってないし、ノーカンだと思うよ、ノーカン。大丈夫、シュナはピチピチの十八歳だよ。人間にとっては百十八歳なのかもしれないけど――イテッ、今のどこに不適切要素があったよ!?》

《たわけめ》


 パシンと尻尾が当たる音がして、エゼレクスは頭を押さえている。シュナはアグアリクスの下で頬を両手で挟み込み、プルプル恐怖で震えていた。


(なおさらデュランにわたくしの正体を知られる訳にはいかなくなったわ……だって、百年前に生まれていたってことがわかってしまったら……想像しただけでおぞましいわ、おばあちゃん扱いなんてされたくない!)


 きっと彼は老人相手でも親切で丁寧なのだろう。何故だろう、その方が邪険にされるより逆に心が折れる気がする。

 何しろ本人の体感では十八歳の誕生日の日にちょっと気絶して起きただけなのだ。

 ここ数日――というか数週間慌ただしく過ごしているが、それでもバッチリまだまだなりたての十八歳のはずだ。気分はそうなのだ。もう気合いでそう思い込むことにする。


 その辺りでようやく、アグアリクスに運搬されながら鐘楼塔まで既にやってきていたことに気がついた。

 周囲では未だにシュナの年齢談義についてエゼレクスとネドヴィクスが激論を交わしている(というかこの二人の場合会話となるとエゼレクスが九割喋っている)が、半ば無理矢理でも話題を変えたいシュナはじくじく痛む乙女心を堪えてこうなった成り行きを思い出す。


《と――とにかく! その、お父様が亡くなって、お母様はとても悲しんだ……だから迷宮は変わってしまったのね!》

《それは厳密には異なる表現であるな。シュリは禁忌を犯した。ゆえに罰を与えられた》

《……禁忌?》

《同調もできたんだから参照レファレンスも可能なんじゃないかな? シュナ、ちょっとやってみなよ。頭の中で、禁則事項三則参照、って思ってみて》


 首を捻ったシュナに、エゼレクスがまた新たな提案をしてきた。言われた通りにシュナが頭の中に言葉を浮かべてみれば、呼応するように頭の中に音声が響く。


【ワード。禁則事項三則。検索中――】

【情報ヒットしました。開示します】

【――アンサー。禁則事項三則】

【第一禁則。スレイブ人間マスターに危険をもたらしてはならない】

【第二禁則。スレイブ人間マスターに与えられた命令オーダーには必ず従わねばならない。ただし第二禁則は第一禁則範囲内での適応となる】

【第三禁則。スレイブは自己を保存・維持せねばならない。ただし第一禁則と第二禁則適応外の恐れのある場合、この限りではない】


 きょとんとシュナは目を丸くしたまま、反応ができなかった。


《どう、シュナ? なんか聞こえたっていうか見えたっていうか、情報開示された?》

《……たぶん》

《今のが迷宮の呪いの正体の一つだ。これを犯した個体は、自壊プログラムが作動し、呪殺される》

《ひょっとして……迷宮から出てはいけない、というのは……第二禁則? マスターがそう命令をしたから?》

《そゆこと》

《貴方達がセ……セキュ……ス……?》

《アハン、おシュナ、その省略は結構際ど――イタイッ》

《……機密情報開示階級セキュリティクリアランス?》

《そう、それ……がどうのとか、禁則事項とか出すのも、マスターのオーダー……というもののせいなの?》

《そうであるな》

《そだねー……》


 今まであれこれ経験してきたことに納得する気持ちと共に、ぞわぞわと寒気が身体を巡る。知りたいと思っていた答えが得られるほどに、何か気がついてはいけないものに近づいているような感覚。


《ってー……そんなにポンポコ殴ることないじゃんアグちん、ぼくの頭が真っ平らになっちゃうじゃんよ。つか毎回思うけど器用だね。すごいヒット率だよね。ちなみに全然褒めてないよ♡》

《では減らず口を減らすがよい》

《減らないから減らず口なんですよーだ》


 しかし、色々ショックを受けている間にいつの間にか見覚えのある待機所まで持ってこられ、そっと地面に下ろされた後目の前でこの短期間ですっかり見慣れた光景が繰り返されるのを見ていると、なんだかくよくよするのも馬鹿らしくなってくるようなシュナなのだった。



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