竜姫 推理してみる

 待機所にたどり着き、見覚えのある滝までやってくるとシュナはざぶんと一息に水の中に飛び込んだ。

 砂の間を飛ぶとどうも全身埃っぽくなってなんとなく気持ち悪い。

 他の竜達はさほど気にならないらしく、興味深そうに彼女を眺めながら各々好きな場所に降りたって好きなように過ごしている。


 冷たい水でさっぱりした身体を乾かしている間、シュナは今まで得られた情報を整理する。


 百年前、迷宮の女神であるイシュリタス――シュリはファリオンという男と出会い、彼の一つ目の願望に応えてシュナを生んだ。

 共に暮らしているうち、シュリは強く外の世界を意識するようになり、二つ目の願望として彼を娘と共に地上に送り出した。


 ところが地上ではファリオンが迷宮から戻ったことが伝わり、彼は人間達から追われた。


《……あのね。気になっていたことがあったの。百年前、お父様は甲冑の男達に追われていた。それはどうして?》

《理由は二つほど考えられる》


 応じたのはアグアリクスだ。エゼレクスは先ほどから欠伸を繰り返し、丸くなってうとうとしているらしい。崖の適当な所に巨体を器用に収めさせた彼は、そのままシュナに言葉を返す。初登場時も思ったのだが、どうもこの竜、無意味に高所を確保したがる性質があるのではなかろうか。なんて見上げているシュナの身体を、自然乾燥の手伝いをしているつもりなのかそれとも本人がやりたいだけなのか、ネドヴィクスが濡れた場所をざらざらした舌で拭き取ろうと繰り返している。


《ファリオンは元々、地上から追放されて迷宮にやってきたと自称していた。詳細をつぶさに知っているわけではないが、本人の語った内容やあれこれ聞こえてくる情報から推し量るに、権力闘争にでも巻き込まれたのだろうよ。あの男本人には政治的野心も悪気もなかったが、火種を生みやすい性質を持っていたことは否めぬな。なんというか……デュランとはまた別方面に目立つ男であった。退廃的と言うのかな、あれは。シュリはそんな所も魅力的だとか戯言を抜か……口にしていたことがあったが、古竜にはその辺の機微はよくわからぬ》


 後半解説が雑になった、あとさりげなく両親に対する彼の一部価値観が垣間見えた気がするが、なんとなくシュナもアグアリクスの言わんとしていることはわかる。


(デュランのように、華やかで圧倒的存在感を放っているわけではなかった。でも、お父様には確かに、ただ地味というより、もっと危うくて目が離せない所があった。何かを隠していることはわかるのに、それが何なのかは教えてくれない。あの人のそういうところは、とても謎めいていて……あら? 待って。今の外界のわたくしって、お父様とほぼ同じ境遇なのではないかしら? 顔は同じだし、喋れない秘密を抱えているし……つまり、目立たない方がいいのに、実はわたくしの自覚している以上に、ものすごく人目を集めているってことなのでは!?)


 どうしよう今から更に外見を変えられないだろうか、いやそれはそれでもっと怪しいか、と今更じわじわ危機感を抱いて焦っている姫の頭上からため息の音が降ってくる。


《要するに、彼が生きていると都合の悪い人間がいたのだ。ファリオン一人だけなら、隠れて人目に出ることもなく暮らしていくこともできたろうが……》


 気遣うように向けられた目に、シュナはぎゅっと心が痛むのを感じた。


《……そうね。最後の年なんてほとんど会えなかったけど……それでも毎年、誕生日の日は必ず、素敵な贈り物を持ってきて、一晩中一緒に過ごしてもらえたの。特別な日、特別な人だから、って》


 責任はなくとも、要因ではある。

 あの日、きっと何度も彼女を見捨てて逃げる機会だって、選択だってあったはず。

 でも彼は迎えに来た。最後までシュナの側にいた。


 シュナはゆるゆるとゆっくり頭を振った。毛繕いをしていたネドヴィクスが、シュナが動くときだけぱっと身体を離して止まるが、少しするとそろりそろりと再開させる。しかし熱心なのは結構なことだが、鱗の向きといちいち逆方向に撫でるのはいかがなものか。シュナは竜の中では出っ張っている部分が少なく、触り心地も良い方なのだろうが、真逆の方向になぞったらそれなりに嫌な感触がするはずなのだが。


《あの……アグアリクス。お父様が追われていた理由は二つあったのでしょう? もう一つって?》

《人々が追っていたのはファリオンだけではなかった。恐らくファリオンが戻ってからさほど時を置かずして、女神が男に託した宝物――迷宮の至宝が地上に出た、という噂が急速に広まっていったのだろう》

《迷宮の至宝というのは……わたくしのことね》

《そうだ》

《わたくしが女神様の娘だから? 本当は出られないはずの迷宮から出られるから、そう呼ばれるの?》

《うむ》

《でも……だったらどうして? おかしなことがあるのよ。外で調べてみて、お父様のことや、その至宝の伝説のことを聞いて、ずっと不思議に思っていたの。? だってわたくしが生まれたことを知っているのなんて、それこそお父様にお母様、それからあなたたち……そのぐらいだったはずでしょう?》


 胸の中にあるモヤモヤの一つをようやく言葉にできて、シュナは多少心が軽くなったような感覚を覚えている。


 女神がかつてたった一人の男に託した至高の宝物――それが恐らく自分の事を意味するとは理解できても、では誰がどうして、何のためにそのようなことを言い出したのかが解せない。

 父が言いふらしたはずはない。母だってとてもそうは思えない。竜達はお喋りだから、シュナの誕生時につい口を滑らせたという可能性もあるのだろうか? それなら今度は逆に、シュナが人間の娘であることが伝わっていないことが解せない。


 思い返せばあの夜。銀甲冑の男の一人が、父に迷宮の至宝の所在を尋ね、そして――シュナを見て、何かに気がついたような素振りを示した。あの瞬間、男はシュナの正体、すなわち彼女こそが迷宮の至宝であることに気がついた。そしてそのせいで、父は甲冑の男に襲いかからねばならなかった。そう理解すると自然だし、ならばそこから逆に、男は迷宮の至宝の正体について、それまで知らなかったことになる。


(伝わっていることといないこと……そのちぐはぐさが、気持ち悪い)


 そこでシュナはピイ、と思わず声を漏らした。キュイキュイと横で抗議の音が鳴るが、ネドヴィクスはエゼレクスにあっという間に追い払われ、シュナの横には大きな欠伸をくあっと上げた緑の竜が陣取った。


《面白そうな話してたからちょっと眠気を我慢して割り込んでみるよ。……ていうかなんだいこの逆立ちっぷりは、ネド! お前ほんっとに、コミュニケーション能力壊滅的だよな!》


 じろじろシュナを至近距離で眺めたエゼレクスは、ぶふっと大きく鼻息を鳴らす。少し離れた所からブーブー不満を訴える声が聞こえてきたが、エゼレクスは無視して丁寧にシュナの毛並み(鱗並み?)を整え始めた。器用にも彼はその合間にシュナの疑問に答えようとする。


《こればかりは外の世界で起きた事だからぼくらは推測するしかない部分も多いけど……迷宮の至宝という話が広まった原因はね。たぶん……予言さ》

《……予言?》

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