居候 お風呂パニック
さて夕食ミッションをこなして、後はもう布団に倒れ込むだけだと思っていたシュナだったが、
「お嬢様、三日間寝たきりでしたから、今日は寝る前にさっぱりしたいですよね? ご安心下さい、お城の設備はばっちりですよ! さあ、シャワーにしますか、お風呂にしますか――それとも、あ・た・し? ふふふ、結構マッサージ得意なんですよ、さあどんと来いなのです!」
なんてコレットに言われ、目を丸くするどころかもはや点になって立ち尽くしてしまった。
(しゃわー……おふろ……)
「……あの。大変申し訳ございませんでした。はしゃぎすぎました。身内ネタでした。お嬢様がお優しい方なのでつい調子に乗りました。挽回のチャンスをいただけませんか。真面目にやりますので……!」
シュナが呆然としているのを、コレットはどうやら自分がミスをして白けさせたとでも解釈したらしく、なにやら顔を赤くして必死に謝ってきている。シュナはどことなく困った表情を含んだ曖昧な笑顔のまま、コレットの言ったことに思いを馳せた。
――風呂。一応どういうものなのか存在は知っている。雑にまとめると水浴びの同類だ。たぶんそういう理解で合っているはずだ。
確かシャワーがこう、蛇口を捻ると上から大量の水が降ってくるシステムで身体の汚れを落とす用、お風呂が湯船に湯を張って身体を沈め、リラックスする用……という感じに大体機能が別れていたような気がする。一般家庭ではあればシャワー、なければ盥や桶に水を張って身体を拭いたり、軽く流したりする。湯船が存在するような家はある程度裕福で余裕のある証拠なのだ。
とまあ、なんかそういう記述を本で読んだり父から教えてもらったような記憶がほんのりとある。
ちなみに蛇口の概念と使用方法は、朝コレットから手洗い周りのあれこれを教わったときについでに学んだのでばっちりだ。どの蛇口をどちら向きに回すと何が起こるかまでは、まだまだ習得不足だが。
……が、しかし。
改めて考えると、シャワーもお風呂も意味がわからない。現実にそれが可能なこととしてピンと来ない、というか。
そもそも考えてみれば、塔の中で生活をしていたシュナにとって最も欠けていた人間的生活要素とは、まさに火の存在だったのではないか。水と火、どちらも人には欠かせないはずなのに、塔の中のシュナには極端にそれらが不足していた気がする。
特に水は自分でも度々使った経験があるが、火とシュナとはものすごく縁が薄い。何しろ父が例によって例のごとく、物語の中の人間と自分の違いについて娘が尋ねてみると何とも言えない微笑みを浮かべ、
「火は危ないから、シュナは使わなくていいんだよ。必要なときは、私が用意するから」
などとのたまって話題を終わらせたからだ。
それでも諦めきれなかった幼いシュナが何度もお願いを重ねたら、いかにも渋々と言う態度のまま目の前でマッチを擦ってくれたことはあった。けれどそれもほんの一瞬、シュナが歓声を上げて近づこうとした瞬間、すぐに消して遠ざけられてしまった。
「お父様、わたくし、らんぷが欲しいわ! 油を差して、火をつけるの! お外の世界にはあるんでしょう? やってみたい!」
「……扱いが難しいから、もっと大きくなったらね」
さらに思い出して見れば、誕生日プレゼントとして強請って、やんわり笑顔で流されたこともあったような。しかもあの笑顔、結構引きつっていた。かなり露骨にシュナが火に触ることを嫌がっていた。
ちなみにその年のプレゼントは結局、握ると発熱する不思議な石を渡された。父なりの妥協というか、できるだけ要望に応えようという気概はあったのかもしれない。それはそれで夢中になったので、火の扱いについてはすっかりそのまま忘れ去っていた。一応竜になったら口から炎を出せるようになるのだから、野望が果たされたと言えない事もないが……色々わかるようになってきた今記憶を掘り起こすと、昔の自分はあまりにも父に簡単にあしらわれすぎていやしないだろうか。しかも父のごまかし方、結構雑なんじゃなかろうか。
(……わたくしの昔の無知については深く反省するとして。身体を拭いて清潔にしたり、髪を桶に溜めた水で洗ったりということは、あるけれど……そういえばわたくし、お湯ってそもそも触れたことがあったかしら……?)
竜だったときデュラン達が目の前で料理をしてくれたから、なんとなく原理はわかる。燃やして温めるのだろう、お湯ってそう作るのだ。
が、それが身体を洗い流したり、横たわって沈むほど大量にある、というのがイメージできない。まさかとは思うが、たとえば人工的に池を作って、そこにお湯を溜めて……なんてことをしたりするのだろうか。
(でもそれって、途方もない労力がかかると思うのだけど……まさかね……?)
そのまさかだった。
「お嬢様、せっかくですからお風呂にしましょう! ゆっくりお疲れを流しましょう!」
なんて謎のやる気に満ちているコレットに引っ張られるままに任せていたら、あれよあれよという間に部屋から連れ出され見知らぬ所に引っ張り込まれ、待機していたメイド達に一斉に飛びかかられたかと思ったら服を全部取られ(これだけでも十分パニックの元なのだが、非力で言語封印中の人間の身では抵抗不可能だった)、最終的に裸一貫で湯気と芳しい香りの立ちこめる謎空間に放り込まれた。
しかもなんだろう、気のせいでなければ妙なる調べまで聞こえてきているような……。
(身体を洗う……洗う……どうやって!? 本当にそういう場所なの!? 桶はどこ!? わたくしはまず、この広い場所のどこに行けばいいの!?)
シュナはタイル張りの空間で立ち尽くし、呆然と周囲を見渡した。
……ダメだ、まずその辺にある鏡の必然性が理解できないし、その近くにある蛇口を捻る勇気が湧かないし、三つぐらいある謎の水場のどこかで水なり湯なりを調達するのはわかるがどれを選ぶのが正解なのかわからないし、さらにもっと謎なのが、どう見ても身体を横たえる準備がされている場所だ。座るならまだわかる。なぜ寝る必要があるのか。
(おうちにかえりたい……)
情報量が多すぎて完全に飽和していた。
侯爵家のサプライズに屈しないと、つい先ほど固めたはずの決意が、早くもがらがらと音を立てて崩れ去った。そんな幻影が湯気の中に浮かぶ。
おそらくこの反応をある程度見越していたのだろう、様子を窺っていたらしいコレットが、シュナを放り込んだ一口から声を掛けてきた。
「お嬢様、こちらも初めてですか? あ、もしかして知っているのより大分豪華でした? うふふ、当家自慢の大浴場ですのよ。お身体を洗ったことはありますよね? それともやっぱりお背中をお流しするなど、一から十までお手伝いした方がいいでしょうか?」
(もう、好きにして……それと早く服を返して……!)
悲しいかな全裸ではデュランに助けを求めるわけにもいかないし、そもそも彼はお仕事で外していて今ここにいない。何か困ったらコレットを頼れと言われたが、そのコレットに若干困らされているときは一体どうすればいいのか。
完全に目から光を失ったシュナは、もはやキャーキャーかしましく騒ぎながら入って来たメイド達に完全にされるがままである。
……一応、髪を洗ってもらったり、湯船に浸かるのは気持ちいいことなのだということは学べたが(それとあの寝るスペースはマッサージのために使うのだと言うことも説明されて理解はしたが)、なんだか呆然としている間に全てが終わった。湯船に浸からされる時、「溺れちゃう!」と暴れる気力すら残っていなかった。
――おかげで、すっかり疲れ切っていたので。
やっとの思いで部屋に戻ってから、布団に入って眠りに落ちるまでがあっという間だったのは、不幸中の幸いと言えるのだろうか。
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