竜騎士 秩序と話す 前編

 リーデレットから話を聞いたデュランは、素早く鎧を身にまとうとその足で迷宮に向かうことにした。


 道すがら辺りの様子を軽く見ると、大きな所は問題なく通ることが出来るが、森の中は数日前の嵐の名残がまだ残っているようであちこち荒れた様子が見える。


(一応、今のところ死人は報告されていないが、怪我人は出ている……川周りは久しぶりに増水したから、救貧院はしばらく忙しくなりそうだな。風がかなり激しかったのも地味に痛い。城や新市街は特に問題ないようだが、旧市街は古い建物が多いからこういう時に弱いな。森でこれだけ倒木が多いなら、街道の方も逆に報告がないことが怖い。一度きちんと調べたいな。それから船の損害も……)


 嵐の夜からここ三日ほどの間、彼はあちこちを駆け回って被害を調べたり対応にあたったりと忙しかった。

 今日はちょうど、最優先の仕事はあらかた終わったので一休み、といったところで、このタイミングでトゥラが目を覚ましてくれたのは結構ありがたかった。もう少し前に起き出してきていたら、デュラン自ら世話を焼くことはできなかっただろう。


 本来なら、侯爵子息ともあろうものが素性の知れない行き倒れ一人にそこまで気を掛けているような場合ではないのかもしれないが……なんとなく、トゥラのことはないがしろにしてはいけない、そんな気がする。


 何かこう、言葉にしようとすると難しいのだが。無視だけは絶対に駄目な気がする。自分で言うのもあれだが、こういう勘は結構当たる方だ。

 たとえば、いつもと少しだけ様子の違う恋人に、ああなんとなくこれは構ってあげないとまずいんじゃないかなと察する。あれだ。あの感覚だ。折角察したのに、ついつい自分の忙しさと相手の優しさにかまけてちょっと放置――いや放置はさすがにしていないが、どうしても後手に回るというか「ごめんちょっと後にして」が増えてしまう――と、ある日覚悟を決めたような顔で呼び出され、最後は大体皆同じ決まり文句の、


「私たち、別れましょう」


 ……思い出したらちょっと悲しくなってきた。淡々と言われるのも辛いが、号泣されながらも辛い。

 基本拒まず主義な騎士は、引く手あまたでもあるが、別れるときフラれる方という役割も決まり切っている。


(……何でこんなこと考えてるんだ、俺。やっぱり疲れてるのかな)


 だって仕方ないじゃないか、デュランは侯爵子息で筆頭竜騎士だ、有事の際、どうしても一人の女につきっきりというわけにはいかないのである。


 ……いかないはずなのに、なぜ自分は気がついたら例の行き倒れに積極的に世話を焼いており、嵐の怒濤の対応が一段落してようやく手に入れたはずの休日一日を潰してつきっきりで面倒を見ているのか。


(そもそもなんで今恋人のことなんか考えたんだ……トゥラは俺が面倒見る相手ってだけで、別にそんな……)


 誰に向けているのかわからない言い訳を心の中で唱えていたら迷宮の入り口にやってきた。見張り役だったのだろう、立っていた騎士がデュランに気がつくとより一層ぴしりと背筋を伸ばす。


「閣下! わざわざ足を運んでいただけるとは……」

「ご苦労、ミガから話を聞いて来た。……誰か襲われたか?」

「大丈夫です。竜達は集まっているだけのようで、以降の変化はありません。竜騎士が対話を試みても応じませんが、冒険者に襲いかかるようなこともなく……あ、でも何人かはちょっとからかわれたみたいですが。装備を持っていかれて追いかけっこになった者が数名いたとの報告がされています。最終的には返却されたようで、特に問題はないかと……」


 デュランは一瞬笑いそうになったが、咳払いしてすぐに真面目モードの顔に戻した。

 彼にとっては嬉しい戯れでも、人によっては迷惑や恐怖の対象ですらあるだろう。やはり竜達がまとまって入り口に居座っているという報告を、笑って見過ごしているわけにもいかない。おまけにリーデレットから、「ネドがどうも、あんたが来ないか気にしてるっぽいんだけど……」なんてことも言われてしまったし。


「わかった。いくら襲ってこないとは言え、高位の竜が入り口に座り込んでいたら冒険者達も気が気じゃないだろう。どいてもらえるように話してくる」


 騎士はほっとしたような顔になった。デュランは大きく深呼吸する。


(……さて。ここ数日一番の難所といったところか。一体何を話すことになるのやら)


 気合いを入れるように両頬を叩いてから、縦穴を下りていく。




 門をくぐり、待機所に出てすぐ報告されていた異変を見つけることができた。


 岩場のあちらこちらに、竜、竜、竜――見渡す限り、色とりどりの竜の群れだ。寝ていたり、どこに向けているのかわからない視線のまま像のように突っ立っていたり、じゃれ合っていたり……勝手気ままにしているが、待合所にこれだけの数現れるのは難しい。ざっと見て何頭いるのかわからない。とにかくどこを見ても竜の姿が目に入る。


 デュランが門をくぐった瞬間、それらはぱっとこちらに目を向けたかと思うと、


《わー臭いのが来たー!》

《逃げろー!》

《わーわー!》


 なんて口々に勝手にはやし立て、ピイピイ鳴きながら飛び立って行ってしまった。餌をついばむ鳩の群れの中に突っ込んだ時に似ているが、それよりこちらの方が大分図体がでかい。羽音がうるさいなんてものではなく、竜騎士は耳を塞いで思いっきり顔をしかめた。


《臭……くないよ! 迷宮の中ならともかく、外にいるときはちゃんと毎日風呂入ってるから清潔だよ!》


 羽ばたきの音をやり過ごした後、竜騎士が笛を取り出して怒りと共に息を吹き込むと、ふう、と上からため息の音が降ってきた。


《仕方あるまい。その鎧は我々にとっては実に不快極まりない異臭を放つ。よくもまあ身につけて平気な顔をしていられるものよ》


 デュランが落ち着いた低い声の主を探すと、ちょうど門の真上の崖に、大きな黒い影が一つ、どっしりと構えている。少し遠い位置にいるのでわかりにくいが、他の竜達より一回り大きな身体と頑丈でとげとげしい鱗を持ち、顔の片側に赤い模様のついていている、特徴的な姿をしていた。


《アグアリクス……》


 竜の中でも“秩序と正統”の呼び名を持つこの個体は、初めての相手には自らを「ただ少しデフォルトより身体の大きいだけの統括者」等と名乗るが、とんでもない。基本的に個々の立場は対等な竜の中にあって、彼らの総意をまとめる役と他の竜に指令を下す権限を持ち、明確に一目置かれている高位の存在だ。


 あちらから用事がなければ人の吹く笛に応じることもないし、その背に乗ったことのある人間となればさらに数は限られてくる。全ての竜に乗る男、と言われたデュランだって一度しか乗せてもらったことがない。……逆に一度乗せてもらえたことが奇跡のようなものの気がするが。


 ――なので。

 ものすごく頑張って見上げないと姿が見えない所にいるのだが、いまいちこう、降りて来いと言いづらい。

 若い竜騎士に向かって、遙かな高見から黒い竜は顔を伏せた。寝そべった人間が組んだ両手に顎をつけているような格好のまま、話を進める。


《久しいな、若造。こちらから呼びつけたような所もある、世間話で場を濁すのは柄ではないから早速本題に入ろう。シュナという個体についての話だ》


 デュランの身体が緊張で強張った。


《……それで俺を呼んだのか?》

《いかにも。我々としてもどう対応したものか悩ましい所もあり、今しばし見守っていたかったのだが……色々と事情が変わったのでな。主にどこぞのアホがやめろと言っているのにちょっかいをかけてくれたせいでな》


 威風堂々としている彼にしては珍しく、不機嫌を隠しもせず舌打ちをしそうな勢いだった。何か黒いオーラのようなものが出ている気がした。

 その話し方とちょっかい、という言葉の心当たりからして、たぶんエゼレクスのことを言っているのだ、とデュランはすぐにピンときた。



 アグアリクスは秩序の竜、エゼレクスは混沌の竜。秩序は女神の意思に従うが、混沌は意思に背く性質を持つ。そしてアグアリクスは秩序の最上位の竜だが、エゼレクスは混沌の最上位だったはず。


 ……まあ、つまり。簡単に言うとこの二人は仲が悪い。

 むしろ昔から、エゼレクスが喧嘩を吹っかけてアグアリクスに噛みつかれる、というのが一種のお決まりパターンになっているらしかった。エゼレクスがやり返すことが少ないのは、


《あいつめちゃくちゃかてーから歯が通らねえんだよ!》


 と本人が憤慨しつつ話していたことがあっただろうか。エゼレクスの方は攻撃重視だが、アグアリクスの身体は防御重視で作られているらしい。確かに見た目からしてどの竜よりも硬そうだし、正直最初乗っていいと言われたとき「ええ……見た目はかっこいいけど乗ったら股間が死にそう……」なんて素直な感想を少年デュランは抱いたものだ。


 ちなみにどういう仕組みになっているのか謎だが、どれほど鱗がとげとげしい竜でも人を乗せると決めるとちゃんと安全地帯というか、乗るための場所ができる。逆に乗せてもらっている方の人は、相手の気分次第でいつでも乗竜拒否をされる可能性があるということでもある。シュナのように元からすべすべの鱗を持っている竜なら余計な心配に悩まされることもないが、なかなかに竜騎士はスリリングな職業なのだ。



 そんな事情をほんのり思い出していたデュランは、アグアリクスがエゼレクスへの呪詛から戻ってきたことに気がついて自分も意識を取り戻す。


《本来秘匿事項だが、牽制の意味も込めて一つこちらから開示しておこう。薄々察知はしているだろうが、あの竜は他竜とかなり性質が異なる。我々と違って未熟で不安定、お前達風に言うと幼い。故に他個体と異なり、多くの学習と休息を必要とする》


 やはり、と思う部分と、新たに疑問に思う部分。

 デュランは注意深く、どんな異変も逃すまいという思いでアグアリクスに目を向けたまま、口を開いた。


《エゼレクスは、シュナは今、眠っていると言っていたけど――》

《うっかり逆鱗の契約を交わした相手が、飛び方も知らない幼竜をこき使ってあちこち飛び回らせた挙げ句、初陣まで経験させるからだろう。疲れて当然ではないか》


 これにはかなりグサッと来た。本当はその後の質問のために切り出した言葉だったのだが、鋭い突っ込みを受けて竜騎士は言葉に詰まった。

 いつも飄々としているエゼレクスに稀に本気の怒りを向けられるのも辛いが、こう、いつも真面目なアグアリクスに淡々とただ事実を並べることで諭されるのは、また別の所を抉られる感じがある。

 アグアリクスの銀色の瞳がじっとデュランを見つめ、ゆっくりと瞬いた。


《シュナはまだ、自らを知らない。人の幼児と同じく、大丈夫と言いながら駆け回って、体力が尽きれば前触れなくいきなり倒れる。己の限界も理解できていなければ、調整も困難なのだ。五年のブランクがあるとは言え元筆頭竜騎士、手綱はきちんと握っておいてやれ》


 はい、仰るとおりでございます、申し訳ございませんでした、としか言いようがない。


(なんか最近の俺、こういうのばっかりだな……!)


 今こそ、相棒に慰めてほしい時なのだが。

 残念ながらその相棒を疲労困憊にさせたのは自分自身なのだと振り返らされて、ひどく落ち込む竜騎士であった。

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