竜騎士 謎を追う 6

《……最初から、ずっと。妙な感覚は覚えていたんだ。あの子を見つけたときから》


 乾いた唇をきゅ、と噛み締め、竜騎士は続ける。


《だって俺はシュナに呼ばれて、あそこに行った。あの時シュナが、確かに助けを呼んでいた。元々、偶然じゃなくて、何か意味があるんだろうとは思っていたよ。でも……あれはきっと、トゥラ──いや、外に出たシュナが、俺を呼んで泣いていたんだ。そう考えると、すごく自然に状況が理解できる》


 滝の上と下。水の落ちる音もある。声を張らなければ、本来は聞こえない距離だ。

 それでも喋る言葉を、一字一句違わずちゃんと聞き届けられている。

 そんな奇妙な確信を持って、彼は先を続ける。


《どうして付近に足跡がなかったのか。どうして迷宮の入口に、誰かが慌てて出て行った跡があったのか。どうしてあの時彼女が……は、裸だったのか……。だ、だって竜は服、着てないもんね……?》


 反応は全く返ってこないが、彼は半ば口にすることで自分に確認するように、一つずつ、その後も「もしかして」と思っていた事を上げていく。


 性格が似ている。

 雰囲気が似ている。

 仕草が似ている。

 弱点も一致(耳が敏感)。

 出会ったのが(若干ずれるにしろほぼ)同時期。

 一緒にいる所を見たことがない。

 互いの前で相手の話をすると挙動不審になる。


 ──何よりも。

 深い深い、どの闇よりもなお純粋な黒の中に、無数にきらきらと光が瞬いている。その、満天の星空を思わせる、美しい瞳の輝き。


《……極めつけは。前にトゥラは俺に、俺がシュナに贈ったリボンを渡してきたことがあった。最初は、ああやっぱり、あの二人は俺の知らないところで何かやりとりをしているんだな、って思った。だけどそれも……同じ人物……生き物……ん? あれ? どっちなんだ? 結局シュナが本体なのかトゥラが本体なのか……》


 緑色の竜は反射的にカパッと口を開いたが、何か口に出すのは踏みとどまったらしい。


 人間に例えるならこめかみの辺りをひくつかせつつ、一応は黙って話を聞いている竜の視線を受け、「どっちが本体」問題に悩んでいたデュランがはっと我に返った。


《と、とにかく! リボンを渡してくれたのは、シュナは自分だって教えてくれてたんじゃないかなって。今までのあれこれを考えるとさ、そう考えるが一番自然というか、もう、そうとしか考えられないかなーっていうか……ど、どうでしょうか……?》

《……もし、仮にそれが事実なんだとすると》


 デュランの話が途切れ、自分の反応が求められる順番になると、緑色の竜はようやく声を上げる。


 が、普段大体皮肉っぽい口調の彼がやけに優しい猫なで声を出したので、聞いている方の肌にぶわっと一面鳥肌が立った。


《お前は超純粋箱入りな年頃の女子に「大丈夫、俺は乗りこなし上手だ、キラッ☆」とかほざいて好き勝手したり、尻とか腰とかスキンシップと称して撫で回したり、果ては身体の隅々見せつけて喜んでたりした事になるな》

《おい待て、前半はまだあれとして、最後のには一切覚えがな――》


 腕をさすりながら何を言われるんだろう、と恐々していた竜騎士が、ぎょっと目を剥いた。


 するとエゼレクスの口調もいつも通りに、いやいつも以上にピシャンとしたものになる。


《水浴びしたじゃん。シュナの前で全部さらけ出したじゃん。何なら一緒に入る? 俺の鍛えられた身体見る? って爽やかに誘ってたよね、威嚇するシュナに。まあ、あいつもね? ピーピー言いながら割とガン見してたの、本当どうかと思うけど。あの姫様ちょこちょこ好奇心の方が先行するんだよな、困ったもんだぜ》


 崖の上を指さし、反論しようと口を開けたままの竜騎士の顔色が、赤くなったり青くなったり忙しい。最終的に彼は、あらゆる感情を煮詰めて割り損ねた、という形相で止まった。


 まだ断罪は足りていないがまあひとまずこの辺で止めておいてやろう、という風情になった緑色の竜が、幾分余裕のある態度で結ぶ。


《まあ何にせよ脱いだ奴が許されないのは、秩序も中立も混沌も珍しく全会一致の意見なんで、そこんとこヨロシク》

《こういう時、どこに拳を振り上げればいいんだ……過去の自分かな……!》

《バーカバーカハーゲアーホ》


 普段なら笑って流すか反論する悪口を、この時の彼は神妙に受け止めた。


 何しろ指摘された通り、仮にもしデュランがエゼレクスに話してみた内容が事実なのだとすると、あまりにも大小の罪の数が多い。


(俺、トゥラのこと一回押し倒しかけたけど。酔っ払いの時も勘定すると二回かな……)


 目の前の竜がシュナの事を溺愛しているのはデュランとて察している。

 シュナとトゥラが同一人物だった場合、愛する娘さんに自分が地上で何を今までしてきたかバレたら、明日の朝日は二度と拝めないかもしれない。


 しかもトゥラに割と将来の約束をしたのだから、今は無罪になっても未来に約束された有罪の予定が入っている。


 そもそもシュナから「わたくしとトゥラ、どっちを選ぶの!」されたから「じゃ、じゃあトゥラさんを選びます……」とやむなく答えたのであって、同一人物なら全て解決するような、ますます問題が拗れるような……。


《フン。何面白い顔になってるのさ。仮につったろ、仮に。ボクは答えないからね。ちゃんとそういう大事なことは本人にお聞きよ。部外者じゃなくてさ》


 ドツボにはまりかけ、ついに頭を抱えてうずくまった竜騎士に、上空からありがたい助言なのか苦言なのかが降ってきた。


《ごもっともですが……あの、そうなるとさ》

《何》

《積み重ねてきた自分のかっこ悪さに当分立ち直れそうにないんだけど……》

《日頃の行いって知ってる?》

《だって……竜じゃん! 竜と人じゃん! 思わないじゃん! 同じ人だなんて!》


 思わず絶叫してしまうのも無理はないと言えた。


 彼は知っている。

 迷宮の生物は外に出られない。

 実際に、苦しみ悶えながら絶命する──その瞬間を見た事があるのだ。



 冒険者になる人間は、必ず迷宮の理を、座学で、そして経験で学んでいく。


 竜騎士は彼らよりも更に深い迷宮への理解が求められる。何しろパートナーに竜を迎えるのだ。冒険者よりも更に狭き門なのである。竜騎士志望者にのみ課せられる試験というのも存在している。


 その中の一つが、迷宮内部の生き物を捕獲する、というものだ。


 竜以外の、なんでもいいから迷宮の生物を確保する。指定された場所まで自力で連れてこられればベスト、大物を仕留めた場合などは、相手を安全に運搬可能な状態にさえできればいい、ということになっている。


 全員が無事に戻ってきた後は、「今日持ち帰った生き物は家に連れて帰ること」と試験官に申し渡される。

 ある者は知らぬまま無邪気に喜び、またある者はこれから起こる事を察して憂鬱な顔になる。


 ――迷宮で生まれたものは、何者であろうと迷宮の外に逃れることは許されない。


 身の丈と成果物の難易度や釣り合い。そういうものも試験官達は見ているが、最大の目的は候補生達に、迷宮の生物の末路を覚えさせる、ということである。


 似て非なるもの。

 絶対に越えられない線。


 これは、自分のパートナーとなる竜に対して、不幸な事故を起こさぬための予防措置でもある。



 だから、筆頭竜騎士とも言われるデュランにはしばらく、「竜が迷宮の外に出られるはずがない」という先入観が染みついて離れなかったのかもしれない。


 実体験に基づく教訓は強固だった。

 並べてみれば、「これだけ証拠が揃っているのに、なぜここまで積み重ねられなければ気がつけなかった?」と思うほどのヒントの数々は、ずっと彼の良識に抑えつけられ続けていた。


《バッカだなあ、お前、一体どこに十九年暮らしてるんだよ?》


 フン、と緑色の竜は鼻で笑う。実に彼らしく、皮肉たっぷりの声を遙か高みから振らせる。


《世界の中心であり果てであり、始まりにして終焉。迷宮ここでは、。すべての常識が非常識に、非常識が常識になり得る。ふさわしい対価を差し出したのなら、望みは全てお前のもの》


 歌のように、抑揚とリズムをつけた言葉はよく響いた。エゼレクスの声は聞き取りやすい。堂々たる態度に重みのような迫力が出ると、「そうだこの竜混沌属性の序列頂点だった」ということを思い出させる貫禄が出てくる。


 そんな相手に、竜騎士は上目遣いになる。いや、相手が物理的に上にいるから必ずしもやりたくてやっているわけではないのだが。


《……俺、ふさわしい対価、出せてます?》

《知らねえよ聞くなよぶち転がすぞ》

《スミマセン……》

《大体さっきも行ったけど、ボクは一言も肯定はしてないんだからな。お前が勝手に、自分で独り言呟いて、悩んで、唸ってるだけなんだからな》

《否定もしてないけどね……》


 この竜はもし違っていた場合、不正解回答を出した事をここぞとばかりにつついてくるはずだ。


 ということは、この態度はほぼ肯定と同義、デュランは自分の推測が九割方正しいのだろうということを確信する。


 大体おかしいと思っていたのだ、竜達はこぞってシュナのことを姫様と呼ぶものだから……。


《――あの。エゼレクスさん》

《しつこいなお前も。何》

《つかぬことをお伺いしますが、シュナ……シュナさん……シュナ様ってその……ものすごく、超、お姫様であそばされたり……する……?》


 相手の顔色を窺いながらだんだん敬称がグレードアップしていく。


 シュナはトゥラ。トゥラはシュナ。

 だとすると、この二人に関するあれこれは概ね解決するが、ではシュナでありトゥラである彼女とは一体何者なのか、という最大の問いが残る。


 そこでデュランは思い出す。


《昔話でも当たるといいのではないか?》


 とか前に言っていた黒色の竜の言葉を。


 亜人冒険者に襲われた時、迷宮の女神直々の降臨があったことを。


 そして女神の竜の姿が、すさまじくシュナと似ているという事実を。


(シュナトゥラ問題を思いついたときから、ほんのり予感はあったけど。俺、思った以上に、取り返しのつかないこと、してないか……?)


 身体が震えてきた。武者震いだろうか。たぶん純粋に恐怖だ。


 そんな若造を呆れたように見下ろした緑の竜が、大きく翼を広げ、口を開いた。


《らしくねえな、今更キョドついてんじゃねえよ。なんでアグが背中を貸したんだと思う? どうしてシュリが鎧を与えたんだと思う? 心底気に入らないけどな。お前はもう、とっくの昔に、自分で選べる時なんか越えちまってるのさ》


 エゼレクスが吹き起こした突風に、デュランは両足で踏ん張り、頭を手で庇う。


 頭上を大きな影が羽音と共に過ぎていこうとする。


《あがけ、最期まで。生き抜け、精一杯。人間にできるのは、ずっと前からそれだけだよ》


 存外優しげな声を最後に捨て台詞としてよこした後、異端の竜は話すべきことはなくなったとばかりに飛び去り、瞬きの間にどこにもいなくなってしまっていた。

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