竜姫 戦闘に巻き込まれる

 あまりにも予想外な事態に遭遇すると生物は立ち尽くす。目の前の出来事に対して脳の処理が追いつかなくなるのだろう。

 シュナは完全に思考停止した。危険地帯に突っ込んでいく自分の姿が見える。手の届く場所に降りてきた竜に、攻撃的すぎる植物の根がびゅんと音を立てて迫った。


 ネドヴィクスはそれを、身体をひょいと捻ってかわす。シュナを抱えたままこともなげに相手の軌道を読み切って、危なげなくすいすいと泳ぐように進んでいった。


 が、主体的に動いている方がいくら楽々こなしていても、受動的に事態を受け止める方にとってはこれから何が起こるのか、そもそも今何が起こっているのかもわかっていない状況であるわけで。


 シュナの視界に信じられない物を見つけてあんぐり口を開く竜騎士の姿が映った。いや、彼は今完全武装している状態なので鎧で覆われていて顔は見えないのだが、明らかにこちらを二度見した。何なら三回目もあった。

 渦中のシュナ同様、彼も咄嗟に言葉が浮かばないらしく、根の猛攻をかいくぐって突進してくるピンクの竜を息を呑んで見守る。


《目標確認。座標固定。軌道確保。障壁展開。再展開。強化。再強化。――準備完了》


 バシン! と揺れた感覚があったが、痛みはない。どうやらネドヴィクスが周囲に張った見えない壁に、根の一つが当たったらしい。彼は特に気にする様子を見せず、早口で何か唱え出す。これもシンクロとやらの効能なのだろうか、それとも元々の竜の能力なのだろうか。大分離れた位置にいるはずのウィザルティクスが応じるようにやはり何か口にしているのが、シュナの頭の中に響き渡る。


《アンカー確認。座標取得。マーキング完了。魔法陣展開。再展開。準備完了》

《秒読み開始。五、四、三──》

《――デュラン、伏せて!》


 ようやく、ピンク色の竜が自分を抱えたまま、救出対象まで一直線に突っ込もうとしていることに気がついたシュナが間一髪叫ぶ。竜騎士の反応は素早かった。最後に一度大きく剣を振って振り下ろされた根を弾くと横に突き立て、抱えていた人物に覆い被さるように地に突っ伏した。その直後、到着したシュナは直前で急ブレーキを踏むように翼を広げて速度調整したピンクの竜に、存外優しくそっと下ろされる。彼はシュナとデュランの上に、まとめて庇うように大きく翼を広げ、喉を震わせて奇妙な旋律を奏でた。


 ほぼ同時。遙か上空でかっとまばゆい光が走った。ネドヴィクスの下から身体をねじって上を見上げたシュナは目を丸くする。


 巨大花の大きく広げた花弁と同じか、更にそれより大きな光の模様が遙か上空に浮かんでいた。幾重もの幾何学模様がくるくると周り、光の中からまた光が生まれて落ちてくる。


 雨だ。水ではない。雷? それよりはぬるい気がする。炎? それよりは鋭い気がする。無数の光の弾は、花の花弁に、茎に、葉に、無数の醜悪な根に――公正に、無慈悲に、降り注ぐ。触れた箇所から花の姿がみるみる損なわれていく。まず穴が空く。そこから水が浸透するように、あるいは炎が飲み込むように、ビシビシと音を立てながら穴が大きく広がっていき、その分巨体がへこんで、萎んでいく。


 化け物が絶叫を上げて涎を吐き散らすのが見える。その長い舌もすぐに千切れた。攻撃の始まったばかりの頃、一瞬だけ敵に向かって伸びたのが見えた気もするが、遙か高みから無数の暴力を振らせる迷宮の管理人に対してあまりにも遠い。


 シュナはぎゅっと目を閉じた。花の下、根の間にいるとは言え、ウィザルティクスの放つ光は当然シュナ達の上にもやってくる。ネドヴィクスが広げている障壁とやらのおかげで、光の弾も暴れる植物の攻撃も彼らには届かないのだが、気配は感じるし、たまにバリンと何か割れるような音が耳に入るのが実に心臓に悪い。


 どのぐらいだろう。単純な時間にすると大した長さではなかったろう、攻撃はすぐに終わった。何しろ花が、部屋のあれこれごと跡形もなく消し飛んだため。


 ウィザルティクスの攻撃は植物を消し去った。それは地面に深く根を張り、部屋ごと支配していた。丸ごとなくなるとどうなるのか?


 単純な結論だ。まさか、と思ったその瞬間、ふっと足下の感覚が消える。


《――ああああああああ!》


 今度こそシュナは絶叫した。確かに自分もデュランに「この人焼き払う!?」なんて血迷った台詞を吐いた覚えはあったが、本当に実行する奴があるだろうか。いや、実行するのはまだいい。味方ごとどころか、部屋を全部消し飛ばすなんて所業があっていいのか。


 残されたわずかな瓦礫と共に落下していく感覚の中、シュナはふと視界に竜騎士の姿を見かける。

 反射だった。ほとんど無意識、頭が状況を理解して判断を下すのよりももっと早く、翼に力がこもる。


 落ちる騎士の下に潜り込んで受け止め、素早く上方に舞い戻る。


 見下ろした先、床が落ちた場所は、竜が飛び回るには狭いが、人がそのまま落下して無事で済むには少々広すぎるように思えるスペースが広がっていた。ガラガラと崩れる音が一段落して動く物が見えなくなってようやく、ほーっとシュナは息を吐く。どっと全身から汗が噴き出るような心持ちだ。


《こ……怖かった! 怖かったわ!》

《そっ……そうだよね、あれは怖いな! 巻き込んでごめんな!》


 一歩間違えていたら――なんて思うとさーっと身体から血の気が失せてそのまま気絶しそうだ。が、ここで自分が落ちたら、と思わせる存在が首を叩いてくれるので正気を保っていられる。


 つい最近までアグアリクスと一緒に「あんよが上手!」みたいな訓練をしていた初心者竜に空中ダイビングを決めさせるという鬼畜の所業に出たピンクの竜だが、悠々とシュナの周りを飛んでいて特に悪びれた様子もない。

 ネドヴィクスに、それから上からゆっくり下りてくるウィザルティクスの姿に目を移して何か言おうとしたデュランだったが、思い直したように首を振った。


《……ごめん、シュナ。あと少しだけ頑張ってくれるか。どこか降りられないかな? 治療をしたいんだ》

《怪我しているの?》

《俺じゃないよ。でも……すぐにどうこうなるってわけじゃないが、放っておいていいような状態でもないから》


 そこでシュナはさらなる同行者の存在を思い出した。今までずっと自己主張がなかったせいもあるが、それはひょっとして怪我のせいなのかと顔色を青くする。慌てて瓦礫の中から比較的安全そうな場所を見繕い、ゆっくり降下する。ちょうど、上から落ちてきた床が比較的原形をとどめている円形の場所があったので、そこを選んだ。


 シュナから降りたデュランは、自分のマントを敷いてからその上にそっと人を横たえた。


「閣下、そんな……大丈夫です、私……自業自得ですし……」


 予想よりずっと高くか細い声にシュナは驚き、まじまじ改めて相手を観察して更に目を見張る。


(女の子だわ! わたくしよりも小さい……若い……?)


 前に迷宮で出会った冒険者の男と同じような服装をしているが、ずっと華奢で小さく、装備も少ないように見える。まだ子どもじゃないか、どうしてこんな所に、と思っているシュナの視界の端では、デュランがポケットを漁っている。


「馬鹿言え。足の骨はもう折れてる。他の部分だって怪しいんだぞ。その上装備だってない。ここで置いていけと言われてそうする冒険者がいるか」


 彼の言葉に釣られるようになんとなく視線を向け、シュナはぴゃっと声を上げて竦んだ。

 確かに少女の片足は、はっきり曲がってはいけない方向に伸びている。自力で歩くのは無理だろう。


 いくつか小瓶を取り出したデュランが、それを持ったまま少女の横に膝を突いて問いかける。


「今回の冒険で使用した本数と種類は? わかるなら時間も」

「一番低レアの物を一本……ここであの花の魔物と会う、少し前ぐらいです」

「容量は少ないが結構近いな……以前に離脱症状が出たことは?」

「いえ……」

「なら大丈夫かな……最悪ポーション抜きもあるし、俺の相棒もいる。とりあえず飲んで。話はそれからだ」


 最終的にデュランは青い小瓶を渡した。少女は竜騎士の助けを借りて身体を起こすと、大人しく受け取って口に含んでいる。

 治療となるとシュナにできることはない。二人をおろおろ見守っていると、バサバサ羽音が聞こえた。


《ふっふっふ、姫様、どうだったでありますか!? 此方のこと、見直したのでありましょう!》


 さあ褒めろ! と言わんばかりの勢いで降りてくる竜に、思わず半眼を向けてしまったのは無理のないことだろう。

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