竜騎士 一周回って同情を買う

「そういえば着替えは? ……ない? それ一着? そっかあ……まあ、そうですよね……!」


 髪の毛を整え終わると、デュランがそんなことを聞いてきた。

 首を横に振って答えれば、彼はふっ……と視線を遠くした後、目元を押さえて俯く。


(そうね、ここはデュランの部屋だもの。わたくしの服がないのは当たり前だわ)


 そこまで考えて、ん? とシュナは首を傾げた。


(だったら支度のできるわたくしの部屋に戻ればいいだけの話では? というか、シャワーだって、自分の部屋で浴びればよかったのでは? ここ、王城よね。それとも同じような見た目の、別の建物なのかしら?)


 変なデュラン……と見つめていると、うんうん唸っていた男が顔を上げる。


「ちなみにトゥラさん。つかぬことをお伺いしますが……それ、どなたのお洋服です?」


 身にまとう衣を指さしての質問に、シュナは固まった。非常に返しに困る問いだったのだ。


 まず、事実としてこの服は元々シュナの父親であるファリオンの物である。

 彼から借りているのだから、彼の服――つまりデュランに対しては否、と答えるのが一般的な解釈になろう。


 しかし、借りているのではなく譲渡された、と考えるならどうだろうか。


 ファリオンはもうこの世にいない人間だ。

 それに前回の服も結局、次迷宮に帰るときに持って帰ろうと考えていたのに、事件に巻き込まれたり神殿に引き込まれたりしている間に、いつの間にかどこかに行ってしまった。

 竜達も(たぶん母も)シュナが父の服を完全に私物化していて何も文句は言うまい。


 となればこれはファリオンの物ではなくもうシュナの物なのだから、自分の服だという主張が正しいことになるのだろうか?


 そのような事実確認からして少々面倒なことになっているのだが、加えてデュランの質問の意図がどこにあるのか、という部分である。


 単純に、見たことのない服だから気になったのか。

 それとも服について問うたのは表層、他に真意が含まれているのか。



 基本的にデュラン=ドルシア=エド=ファフニルカは、親切で無害な優男だが、社交辞令を貼り付けて尋問するような側面も存在する。


 トゥラの正体について、探りを入れられているのかもしれない。

 しかし、だとすればなおさら、どのような答えが正しいのだろうか?


 とまあ、ぐるぐる考え込もうとしてはみたのだが、所詮小娘の浅知恵。嘘つきの対局とルビを振れるぐらい正直者であるところのシュナは、こと腹の探り合いという状況では常に敗北者たりえる定めだ。


 つまり結論を言えば、「たぶんそう……いや、違うかな……?」という表情で何度も首を捻っていたので、デュランにもなんとなくニュアンスが伝わったようだった。


 そして彼はそのことに、


「わかんないってことかな……? え、それどういう意味……待って、マジで、あの、これ以上罪を増やしたくない……!」


 等と言って頭を抱えて出したものだから、彼女としてはオロオロきょどきょどうろたえるばかりである。



 しかもここから更に状況が悪化した。


「若様ー、起きていらっしゃいますかー?」


 そんな風に、誰かが寝室のドアを叩いたのである。


 二人とも飛び上がった。文字通り、床から足が離れた。

 それ以上悲惨な音を立てなかったのは、たまたま動いた範囲にぶつかる物がなかったのと、寝室の床が柔らかなマットで覆われていたことだろう。


 さてシュナは事件事故が発生すると基本的に何もできずに立ち尽くすのだが、一方迷宮領次期当主はそれなりに修羅場慣れしている。


 彼はシュタッと地面に着地すると、素早くよろめく彼女に手を出して支えとなり、そして優雅にエスコートした。

 風呂場まで。

 そしてそっ……と音もなく扉を閉めた。

 完全に閉じきる直前、目配せをされたシュナは「とりあえずここに隠れておくように」という彼の意をくみ取ると、慌ててタイルの上にしゃがみ込み、口元を両手で押さえてじっと息を潜める。


 さっと寝室を見回し、動き、ヘアブラシ(仮)など彼女のいた痕跡がひとまず隠されたことをチェックしてから、領主子息は最後に鏡で自分の身だしなみをさっと確認し、寝室と廊下を隔てる場所に向かった。


「起きてますけど、何か?」


 やや乱暴に扉を開けば、再度ノックをしようとでもしていたのか、片手を上げたポーズの女性が驚いたように目を見開いた。濃い寒色の、ゆったりして身体の線が見えにくい衣に身を包んだ彼女は、学者先生、と呼ばれる立場の人間だ。


「なんだ、出てくるの遅いから、ひょっとしてまだ寝てるのかと思った」

「そう考えたなら騒がしくしないでくれ、おかげで眠気も飛んだよ……」

「あはは、ごめんごめん。休日だからってのんびりしてたのに急かしちゃったのかな。でもま、別に大した用事じゃないんだ」


 ひとまず絶対に避けなければならない状況は今のところ回避できているとして、最悪ではないが最良とも言えない微妙な人選が来たな……。


 などとこっそり心の中で思っている青年に、女性学者はノック担当と逆の手に抱え込んでいた荷物を差し出した。


「はいこれ、頼まれてた本」

「ありがとう……朝っぱらからこれを渡すためだけに?」


 渡された物には覚えがあるが、何事にも時間、場所、機会というものが存在するはずではないか。

 まあこの学者の場合、その辺かなり人に比べて適当というか、自分が思い立つとすぐ行動に出してしまうタイプの人間なのは今までの付き合いで知ってはいるが。


「うん。でも言うほど早いわけじゃないでしょ? 私もここの書庫に寄るのと、旦那様方にお会いするついでだし?」

「そう……もう片方のこれは? 本じゃないよね?」

「あーそれもついで。いや、私はただ自分の軽食を拝借しに行っただけなんだけどね? 厨房の奴らがさ、朝飯はくれてやるが、ちょうど良いから若様の様子見に行ってくれーって」

「ああ……なるほど?」


 本と共に渡された、布が被せられた小さなバスケットに、デュランは納得した顔になった。


 自分も元々用事があった上、頼まれ事をしたからやってきた。それならこちらの事情を知らない相手にとっては、そこそこ普通かつ合理的な訪問だ。たぶん、デュランが全く起きてこない様子だったら、この後医者を向かわせでもするつもりだったのだろう。


 関係者各位のさりげない心遣いに、「それなのに俺は昨晩の記憶が飛んだせいで修羅場です本当に申し訳ない」と気が遠くなりそうな竜騎士である。


「いやしかし、音に聞いてはいたが酷い顔だな! 二日酔いでも色男なのが逆にこれもう面白いけどな! 君本当顔はいいよな!」

「褒めてるのかな、それは!」

「あっはっは。まー、何があったのか知らないけど、若くて健康でも、やっぱ泥酔レベルの深酒はよくないと思うんだぞー」


 コレットが来るよりかはずっとマシなのだろうが、やっぱりこういう目に遭うのか……とこめかみに指を当てていた彼だったが、ふと手に持たされた本と朝飯を見つめているうちに何か思いついた顔になる。


「オルビアに診てもらえばいいと思うよ。じゃ――」

「いや、ハルファリエ博士。ちょっと待ってほしい。貴女を見込んで頼みたいことがあるんだ」


 用事は済んだ、とばかりに踵を返そうとした彼女の肩にポン、と手を置いて引き留める。

 御曹司の顔には、女性の心をときめかせる甘いマスクが乗っていた。


「え、何? やだ怖い、なんでそんな改まった言い方するの? しかも何その露骨に圧を放つ顔? やめてよね、まるで人に何か悪いことさせたがってるみたいな――」

「君がいつも入り浸っているボロ小屋に冷暖房と通信設備を完備したらどうなると思う?」

「おやおやおや? 穏やかじゃない。ボロ小屋呼ばわりは気に入らないが、しかし、その……へえ、冷暖房と通信設備? え、マジ? と、とりあえず話だけでも聞いちゃおうかなあ……」


 しかし学者、つまり研究馬鹿には男の魅力は通用しない。

 だが、逆に言えば彼女の興味事項、例えば日頃嘆いている研究室(自称)の環境整備だとかをちらつかせれば、ひとまず足を止めさせることには成功した。


 このための日頃のコミュニケーション、情報収集、そして今発揮されるべき話術、なのである。


 スキルの使い所間違ってないか、とほんのり頭の片隅に良心が囁きかける声が聞こえないでもないが、背に腹はかえられない。

 こっちは貞操がかかっているのだ。自分のではないが。いや自分のということになるのだろうか。


「いや、別に大したことじゃなくて。ちょっとしたお願いを聞いてほしい、それだけなんだ。シンプルに言うね? 俺の指示を聞く。今日一日付き合う。秘密厳守。ね、簡単でしょ?」

「あれ、結構条件重くない? 主に秘密厳守の部分がすごくすごくきな臭いよ? いや実に環境整備は心揺れるのだが、やっぱり嫌な予感するし――」

「ハルファリエ博士。迷宮行きたくない? 遺跡とか、現地で実施調査してみたくない?」

「いやそりゃもちろん行きたいけど? でも私、知っての通り何度かやらかしたから入場規制がかけられて――」

「俺は領主子息で特級冒険者だ」


 学者先生、と呼ばれているぐらいなのだ、女性は研究と興味の対象にふんだんに使われる頭脳を用いて、簡潔にデュランが口にした言葉の意味を理解した。


 ふむ、と口元に手を当てた彼女が、確認するように上目遣いをよこした。


「お願いは私にできること?」

「人を見る目はある。……たぶん」

「犯罪には加担しない? ――いや、これは正確な言い方ではないな。私が嫌がることでないか。そして、迷宮から追放されるような事ではないか。うん、大事なのはこの二点だな。そこが守られていれば、ま、最悪苦手分野でも努力はするよ」

「……大丈夫。事が明るみになった場合、周り中から責められるのってきっと俺だから……」


 哀愁漂う言葉を「ふーん」で一蹴した後、学者はデュランに了承の意思を伝えた。


 彼は彼女を中途半端な位置から部屋の中まで招き入れ、バスルームに向かう。


 ソファにどっかり腰を下ろしていた学者は、束の間くつろいでいたが、手を引かれてやってきた娘を見るとさすがにあんぐり顎を落とした。


「デュラン、君――いや、そりゃね、いつかはそうなるだろう時間の問題だろうって話は、我々の間でも常にあったよ? 賭けもしてたぐらいだよ? でも君、昨晩は泥酔してたんでしょ? 勢いで連れ込んだの? うっかりフィーバーしちゃったの? ちょっとそれはいくらなんでも酷いと思うんだけどな、男としても次期領主としても――」

「ベタなリアクションをどうも、ふざけるな!」

「ふざけでもしないと逆に受け止めがたい事態だろう、これ!」


 怒鳴り合う男女の姿に、娘が身をすくませる。

 それにはっとなったデュランが彼女をなだめてから、学者の方にすすすっと歩み寄っていき、そっと耳打ちした。


「恥を偲んで正直に言う……俺もどうしてこうなってるのかわからない」

「と、おっしゃいますと」

「俺はちゃんと昨日一人で寝た。間違いなく一人で帰ってきたし、部屋までたどり着いたし、そこはたぶんアリバイある。で、いくら酔っ払ってても誰か部屋の中に先んじていたら気がつく。だから寝込むまでは一人だった……はず! たぶん!」

「ふんふん……?」

「それなのに朝起きたら二人になってた。……何言ってんだお前って顔してるけど、だから繰り返しになるけど、俺だって何が起きたのかわかってないんです!」

「ミステリーかホラーかコメディか迷うところだね。ああそれとも、悲劇?」

「現実をエンターテインメントとして楽しまないでくれないか!」

「だって私にとっては他人事だし。さて、なんだっけ? 指示厳守、時間厳守、秘密厳守? それで私の研究室の拡張と、迷宮行きを保証してくれるんだよね?」


 さらりと切り捨てられてデュランは傷ついた顔になったが、確認されたことについては無言のままのっそり頷いて返した。


 すると学者はすっとソファーから立ち上がると、娘の前に立ち、相手を赤面させるほど顔をのぞき込んでから、またデュランの方に向き直った。


「ま、やっぱまずこういうときは内診じゃない? 私も一応知識はあるけど、専門家じゃないからね。ああ専門家と言えば、君自身で確かめるという手も――」

「ごめん、今日ね、マジでそっち系のね、受け答えにね、笑って返せる余裕がなくてね、本当ね」

「悪かった。今のは私が悪かった。以後からかわない。約束する」


 かつてなほど低音の早口が男の口から発せられると、へらりと口の端をだらしなくゆるませた学者が真面目モードに戻った。

 一瞬何かただならぬ気配を感じたシュナが、思わずそっと女性の背後に隠れている。


「そうなるとやはりオルビアの管轄になるね。君が二日酔いで倒れてるってシナリオで連れてくるのはどうだろう?」

「さすが博士の資格持ってる人間は話が早くて助かる」

「まあなんていうか……うん。私も君を駄目人間だと思っている一人だけど、今回のは駄目の方向性が違うというか、ちょっとらしくないと思うんだ。なので、君は無罪か、万が一やっちまっててもなんかこうしょうがない背景があったんだな、という仮説の元に行動しようと思う。こんなものは推測と言うよりはただの妄想に近いが、まあなんだ、友人知人のよしみって奴さ。仮に君の言ってることが全部本当だったとしたら、そりゃあ誰だって途方に暮れるだろうしね」

「ありがとう……あ、あと先生。この部屋出るなら、ついでに外を出歩けるような服も持ってきていただけると、こう、助かるかなと……」


 学者の女性は肩をすくめ、ひらひら手を振って了承の意思を示すと、注意深く部屋を出て行った。


(……デュランが出ておいでって言うからそうしたけど、良かったのかしら)


 人が出て行った方向と青年を交互に見つめていると、彼が大きく息を吐き出し、ほんのりと疲れの滲む顔で笑った。


「朝ご飯……食べようか」



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