狂乱 後編

 有名な宝器には自然と名が与えられるものだが、ザシャの愛用するそれは意外と無銘である。


 歴代使用者達は皆ただ「鞭」と呼称した。実際、持ち手と紐の部分からなるシンプルな構造をしている。


 元来鞭とは殺戮を目的とした武器ではない。

 家畜の調教、あるいは人間への刑罰。

 いずれも「屈服せしめ、我が意に従わせる」ことが目的であり、むしろ死なせてしまうことは使い手の意図に反するものなのである。


 特級宝器とは、深層に至った冒険者の願望を具現化する。

 鞭は支配の願望を再現した宝器だとある者は語る。

 否、暴力の願望器であると別の者が言う。


 いずれにせよ、生み出した人間はよほど人を――個人であれ集団であれ、恨んでいたのだろうと凶悪な性能から推測されている。


 形状に沿うように、この宝器の特徴はシンプルだ。


 能力を解放せずに使用すれば、ただ丈の長く丈夫なだけの鞭に過ぎない。


 もう少し力を使えば、丈が伸びる。

 それだけ聞くといささか拍子抜けするかもしれないが、侮りがたいのはその長さと威力だ。

 過去の記録がでっち上げでなければ、使用者から数キロ離れた建物を倒壊させたこともあると伝えられている。


 ただし、元々長尺鞭は扱いにくいのに加え、丈が伸びた状態の鞭は。自分を中心とした周囲に無差別に攻撃を加えるのだ。時には使用者すら、攻撃の対象に加えてしまう。


 そしてこの武器の奥の手とは自爆である。持ち主の命を刈り取り、それを養分にするがごとく勝手に一人で暴れ回って、時間が経つとまるで遊び疲れた子供のように急にふつりと動かなくなる。


 使用者を選ぶが、使い方によっては地上の好きな場所に凶悪な魔物を出現させることと同義――それゆえに特級に分類され、恐れられてきた。



 ザシャ=アグリパ=ワズーリがこの鞭と非常に相性がいいのは、まず彼が亜人でありワズーリの一族であったことが一つの要因として考えられる。


 何しろ魔獣を飼い慣らしている一族の末裔で、趣味の時間をもっぱら他人を弄ぶ事に割いていた男の愛を一身に受けて育っていた。


 やたら手慣れた鞭の扱い方だった。そんな風に、誰かが最初に宝器を得た少年の所作を評している。


 そしてこの男は己が傷つくことを恐れない。

 気にしていない、他の人間のように深刻に受け止められない、と表現するのがより正確な所だろう。彼は痛みを機能停止のサインと理的に受け止めるが、「痛いのは嫌」という生物の基本的感覚が欠落している。


 加虐衝動は自己防衛本能によって抑制されるものだ。「やりすぎ」という感覚と自重は、報復への懸念によって起こる。ザシャは報復を恐れる、という感情の仕組みに同意できない思考回路をしていた。


 そんな彼には、鞭の「使用者本人にすら牙を剥く」というデメリットが消失する。背後から撃たれようが、極論首を取られてすら、この亜人はさほど気にしないだろう。彼は裏切られたとは思うまい。


 加えて宝器コレクターは、「得物の取り扱い性能を高める」という別の宝器も所持品に加えた。「長尺では的を選べない」デメリットもこれで相殺される。


 使い手が武器に信頼とある種の愛情を捧げている一方、鞭の方も今回の使用者にベタ惚れであることは明白だった。ザシャが複数の宝器を所持している。その事実が、嫉妬深く気難しいと言われている鞭を完璧に御している証左に他ならない。


 二つ目の宝器を手にした瞬間、勝手に暴発し周囲を巻き添えにして塵と化した使用者すら過去には在ったのに、どういうわけか亜人にはずっと懐いたままだったようだ。


 そしてその奇妙な縁は、また一つ新たな絶望を体現させることとなる。


 ――数キロ先まで破壊の先端を伸ばすことが可能ならば。そして鞭が鞭である限り、柄を握る者の元から離れられない糸の一つである限り。


 呼び戻し、という方法もまた、可能なのである、と。



 両手を広げた男が、名もなきお気に入りに語りかけた。

 すると閉ざされ、封じられた場所からなお、正確に、従順に、彼の半身は要求に応じた。その献身は、帰宅した主人に駆け寄る犬に似ている。しかし、のたうつ様は大蛇――あるいはもっと醜悪な虫が暴れ回る姿によく似ていた。


 ユディス=レフォリア=カルディによって地下に封じられていた宝器は、とぐろを巻きまどろんでいた状態からほどけてしなり、誘うように開かれた右手を探して胴を伸ばす。自分と所有者の間のすべての障害を打ち据えて、打ち壊して、土中から床を突き破った。黒くしなる体が現れる。


 邪魔者が入ってこないように張られていた枢機卿の術も、地下に対しては防御がいささか弱かったらしい。あるいは人為的な外部からの働きかけに警戒しても、宝器自ら仕掛ける事は想定がなされていなかったか。


 聖堂崩壊の刹那、いくつかの情景が切り取られた。


 騎士が振り下ろす刃より早く、自分の連れが戻ってきたことを理解し、勝ち誇る顔二なる亜人。


 その男を包むように飛び出した蠢く縄に弾かれ、後退する騎士。


 轟音に驚いて振り向く師弟。


 師は直後すぐ、片手で印を結んでその場から姿を消す。彼女が現れたのは、騎士に気絶させられた神官達だ。守護をした彼女は亜人に対峙しようとするが、後手に回ってしまうと数が、速さが追いつかない。そもそもこうなれば防戦一方、形勢不利が予測できていたから封じていた相手の手段ではなかったか。


 一方、弟子はわずか消えた師を追うように慌てて周囲を見回したが、土煙と瓦礫を散らす武器が視界に入るや否や、遅れて杖を構える。作り直した不可視の盾に、間髪置かずにうなる縄がたたきつけられた。ぐっと彼は奥歯を噛みしめてこらえる。一撃だけでもなんと重たいのか。耐える踵が軋んで悲鳴を上げた。


 足場が崩れる。柱が傾く。天井が落ちてくる。


 ぽつりと一人取り残されていた、娘。

 その遙か頭上、今宵は役割を与えられることもなく沈黙を続けていた豪奢な照明が、揺れる。


 彼女はまだ、喧噪の中で一人、虚無の中にいた。

 ――否。その瞳が、光を失った真っ黒な目が、見開かれ、微かに揺れていた。



 崩れる。

 落ちる。

 穴の空いた地面。


 怒り。悲しみ。憎しみ。

 してはいけないことをした。

 それを教えてくれた人がいなくなったから。


 誰か。

 誰だ?

 誰って何だ。


 頭蓋の下、人を最も人たらしめる臓器が震える。

 耳の奥で聞く体の警告は、何かぐつぐつと煮立つ音によく似ていた。



 ああ、もう、何も思い出せない、何も知らない、何も感じない、そのはずだけど。


 ――――。


 誰かを呼んだ。

 誰かが呼んでいた。

 暗闇の中、ずっと。

 置いていかないで、一人にしないで、死に物狂いでその音を追った。

 近づいてくる。こっちに来る。


「シュナ――っ!」


 ――もう少しで、つかめそうなのに。

 あまりにも遠いのだ。

 この隔たりが。



 月明かりはなかった。闇だ。男はキョロキョロと辺りを見回してから、ぐ、ぱ、と手を握り開き繰り返し、自分の感覚を確かめる。自分が意図したとおりに自分の体を動かせる事まで確認すると、彼は思いっきり体を折り、脇を向いて嘔吐いた。


「……ま、さすがに無傷とは行かないよねえ」


 嘆息し、ちょっと恨めしげに握ったグリップの先端を揺らす。


「でもまあ? 腹パン一発で済ませてくれたのは、安い方っちゃ安い方なんかね? おかげで一個保険が剥がれましたけど。まあこのぐらいは想定内ですけど。お前本当に隙あれば僕の内臓に来たがるよね……別にいいけどさぁ、もー」


 少し前、辺りをまるごと平らげる勢いで暴れ回った宝器は、今はぷらぷらと揺らされるまま、ただのちょっと長いだけの鞭になって大人しくしている。満足したのか、力を振るってエネルギー切れになったのか。


 どちらにせよ特に問題があるわけではない。


 彼は手元に戻った相棒から興味が薄れると、暗闇の中に金色の目をこらす。



 まずぼやりと浮かんだのは半透明の球体だ。

 聖堂の残骸だった中にたたずむ、ユディス=レフォリア=カルディである。


 他にもいくつか見える同じような明かりもまた、彼女に守護されたものだろう。


「すごいね。被害を聖堂だけに固定したの? しかもその内部にある関係者の守護まで間に合わせたんだ」


 ちら、と横目を流し、「まあ、間に合わなかったか、奴もいるようだけど」と彼は小さく口の中でつぶやき、再び枢機卿に目を向ける。


「……どう、して」


 立ちすくむ彼女の背から、震える少年の声が上がった。

 彼は覚えている。自分の盾がついに砕かれた瞬間。迫る衝撃の気配に下ろす瞼。そのほんの一瞬、わずかな隙間、飛び込んできた大きな背中。


 女はうつむいたまま答えない。ぽた、ぽたり、とうつむく顔から雫がしたたる。


「どうして、」

「わかりませんよ、わたくしにも」


 重ねて少年が――負傷した利き腕を押さえたままの彼が問いかければ、女神官は吐き捨てるように言う。


「ただ……手が伸びていたのです。頭で考えるより、ずっと先に」


 囁くようなかすれ声は、弱々しかった。



 つまるところ、女は一度は見捨てようとした弟子を切り捨てきれなかったようである。鞭の奇襲を相手に聖堂一つだけで被害を済ませたのは賞賛に値するかもしれないが、所詮やはり聖者気取りの凡人に過ぎないのだ。


 冷めた気持ちで亜人は顔をそらし、足を踏み出す。

 止める者はいない。ユディス=レフォリア=カルディは両手で杖を突いたまま、ぽたぽたと垂れる液体を拭おうともしなかった。


 ザシャが爪先を向けた方には、何か白い切れ端のようなものが見えている。

 もう少し近づいてみれば、それは神官達とおそろいの外套なのだとわかる。

 さらに、外套を着込んだ人物を、真っ黒な鎧の男が抱え込んでいるのだと、見下ろす位置まで来るとようやく確認ができた。


 ――いや、逆だ。元は男が娘を庇うように抱きしめていたのだろうが、今は娘が彼を抱えている。覆いを失ってぐったり目をつむる顔に手を当て、けれど撫でるでもなく、ただ彼に膝を貸してぼんやりと見つめている。


 ザシャは目を細めた。

 投げ出された男の腹部から、何か鋭利な物が突き出ている。

 推測するに天井から落下した巨大な照明の一部だろう。背中から貫通したと見た。

 無双の鎧は彼の精神状態を反映して弱体化していたし、その前の戦闘で顔が見えるほど砕けていたのだ。運悪く割れ目に突き立ったか、それとも単純に限界だったのか。


 馬鹿な男だ、と亜人は冷ややかに思う。

 娘には枢機卿がこれでもかというほど防護の術を重ねがけしている。庇ったところで突き飛ばさずに抱きしめたなら、もろともに串刺しになる可能性すらあっただろう。


 それでも、咄嗟のことだったから。

 彼はきっと、離したくなかったのだ。最期になるならなおさら、一度離れてしまって手を、そのままにはしておきたくなかったのだ。


 そういう男だ。そういう所を見てみたかった。それも確かだ。だが、これではあまりにも……。


「ね。人が死ぬのって、呆気ないよね。存外つまらない幕引きになっちゃったけど、どうする?」


 ひゅん、と鞭を鳴らし、彼は問いかけた。

 ほとんど虫の息の男にではない。彼の傍らで座り込んでいる娘に向かって、しゃべりかけているのである。


「僕さ。君たちに死んでほしいけど、こんなつまらない死に方をしてほしかったわけじゃないんだ。もっとさ? すごく、あがいて、すがりついて、しがみついて、僕の数々の努力をなんだかよくわからない奇跡でひっくり返して、さも生だの愛だの尊いって囀る――そういうのが見たかったワケ。わかる?」


 彼女は答えない。が、ゆっくりとザシャの方に顔を向けた。

 黒い目が、揺れている。何か、内側にしまい込まれたものを出そうとするかのように。


師匠マイスタ! このままでは――師匠?」


 亜人も無傷ではなさそうだが、比較的自由に動けている。

 それが戦えない娘と、戦闘不能になった騎士に何かしようとしているのを見て、弟子は慌てた声を上げた。やはり師は動かない。彼は不審に思って近づき、落ち続ける液体に、染みに気がつき、師の顔を見てようやく事態を悟った。


極点越えテルミナ・グア――!」


 レフォリア=カルディの両目は出血していた。おかげで彼女は、ろくに周囲が見えていないらしい。


 冒険者達の迷宮神水エリクシルの使いすぎの術士版、と言ってしまうのが一番簡素なこの現象の説明だろう。


 術を使いすぎれば、大概は倦怠感や睡魔が訪れ、強制的に休まざるを得ない。しかし、体が知らせる活動限界を超えて――あるいは内在する魔力を過剰に増幅させるようなことがあれば、限界を迎えた体にガタが来る。

 目の出血は典型的な、術の使いすぎで体が壊れ始めた症状の一つだった。


 こうなってしまうと、治癒術も効かない。毒で弱っている体に更に毒を盛るような事だからだ。


 駆け寄って支えようとする少年を、師は手で拒む。


わたくしのことなどどうでもいい。それより、彼女を……」


 少年ははっと振り返る。


 亜人は娘を突き飛ばしてどかせ、男の腹を踏みつけた。

 うめき声は上がるが、それだけだ。もうデュランには、立ち上がる力どころか目を開けることすらろくにできないらしい。


 そんな彼に、娘が這うようにしてにじり寄ってきた。何にも興味を示さなくなっていたはずの彼女の黒い瞳が、今、踏みにじられる鎧の男に引き寄せられている。


「どうする? どっちが先がいい? 遊ぶ順番、選ばせてあげる。


 氷よりもずっと低い目をしていた亜人が、ふと娘に興味を戻した。


 猫を撫でるような甘い声で、わざわざしゃがみ込み、目線を合わせて問いかける。


「それとも、それ以外に賭けてみようか? 百年前と同じように――奇跡を起こせば、助かるかもよ?」


 いけない、と叫んだのは、弟子かそれとも師か。


 ただ、何者かに阻まれる前に、彼女の唇は、忘却の彼方に流したはずの言葉を紡いだ。




 開けオルタペンド 迷宮セザミア


 どうかこの人を助けて


 と。



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