memoria05: Mother

『この子がね、あたしが担当している子なの』


 シンジルイケイカクが始まってから、偽物の神の所にやってくるのはほとんど女だけになっていた。


 その彼女も、どうやら新しいニンゲンに興味津々であるらしい。


『最初は、全然相手にされなくて、あたしみたいな落ちこぼれが、最先端の研究になんか関われるはずがなくて。でも、その……あたしには、懐いてくれて、それで』


 水槽に押しつけられる端末の画面から、イシュリタスはシンジンルイを把握する。おそらく撮影したのは×××なのだろう。貫頭衣を着させられた幼児が、おっかなびっくり目を丸くしている様子が映っている。


『シンジンルイは、人に獣の要素が加えられているのですか?』

『ええ、そう。強化人間ですからね』


 イシュリタスに指摘されると、女は見せていた画面を自分の手元に戻し、幼児の頭部をなぞる。普通の人間とは違い、画像の子供の耳はふさふさとした毛に覆われていた。よく見れば、貫頭衣の下から尻尾もはみ出ている。イヌ、とこっそりイシュリタスは分析を終えていた。


『それに……新人類ではなくて、奉仕種族なんですけど。どうしても古い言い方から直しきれなくて』


 彼女は苦笑するようにそう漏らした。

 きっとセンセイ辺りに、「これは人類ではない、まだわからんのか!」なんて怒鳴りつけられでもしたのだろう。イシュリタスはそう推測する。



 新人類計画、と一口に言っているが、生み出されようとしている新たな種族はいずれも現人類の問題を解決することを目的としていた。


 ×××が世話を任されたのは、最も奉仕要素の強い第一奉仕種族だ。労働を代行させる。獣の要素はより肉体を強化するため、加えて現人類にも奉仕種族側にもわかりやすく「自分たちは種が違う」と見分けやすくするためのデザイン、だったはずだ。


 他には超能力を強化する第二奉仕種族、それと最も凡庸な第三奉仕種族。


 確か第二は、現人類の中から素養のあるニンゲンを連れてきていたはずだ。元々その希少性と特異性ゆえに現人類のコミュニティから浮きがちだった人々を集めてきて、色々と調べている。


 第二種族は現人類に比べ、概ね体が弱くストレスにも弱い。その代わりに、弱い身を守るためのように超能力を発達させる。

 個々人の差が大きく多種多様な中で、特に現人類に興味を持たれていた力は、意識を飛ばす、というものだった。


 第二奉仕種族の力を安定して再現できるようになった時、初めて第三奉仕種族に価値が出てくる。


 彼らは現状、現人類とさほど変わらない――というより、実在するニンゲンのクローン体なのだった。


 何しろこの種族は現人類の入れ物にすることを前提としている。今の所は主に、臓器提供元として運用が進められていた。

 現運用のために基本的には従順で忠実な人格となるよう教育されているが、プロジェクトが進めば、本物と同じような人格を形成させるプランを導入する予定である。


 擬似的な不死、あるいは若返り。

 将来的に、彼ら複製体の中にオリジナルの意識を移植する――人類が目指しているひとまずの終着点はそこだった。



『百年生きられるようになっても、結局半分以上は思うようにならない体をなんとかなだめながら、不都合な人生を強いられる――これは人類にとっての不当であり損失に他ならない』


 女がつぶやく言葉は、他のニンゲンのものだろう。センセイかもしれない。センセイの事を話すとき、彼女は尊敬と恐れと、そんな感情が交じり合ったような複雑なものになる。


 けれど手元のイヌとの混ざり物である子供を見つめていると、自然とこわばった筋肉から力が抜け、微笑みが口元に浮かべられた。


『×××は、充実していますね』


 イシュリタスが声をかけると、彼女は目を上げ、顔を赤らめた。


『……お母さん、って』


 やがてほとんど消えかけの声で、彼女は言う。


『本当はいけないんですけど……でもあたし、どうしてもあの子達を……物みたいに、思えなくて。そう思って接していたら、少しずつ、近づいてきてくれるようになって……お母さん、って。あたし、もう、なれないと思っていたのに』


 ぐすぐすと鼻を鳴らし、女は乱暴に白衣の袖で顔を拭う。


 それからくしゃくしゃの、みっともない――けれどとても晴れやかな表情を、水槽の中の彼女に向けた。


『ねえ、女神様。本物と見分けのつかない偽物は――それはもう、本物って言ってしまっても、いいんですよね?』


 イシュリタスは沈黙した。回答までに時間を置いて思考すると考えたためだ。けれど女の言葉は独白で、特に相手の応答を求めてのものではないと知ると、鼻歌を歌うように出て行く彼女の背を見送り、一人水槽の中で目を閉じる。


 獣の耳をした子供と、彼女はさほど変わらない。いや、獣の耳の彼らの方が、着実に結果を積み上げているのなら、人類にとってより価値があるのだろう。


 女の通う頻度が減り、話す内容が自分の担当するシンジンルイのことばかりになっても、神は何一つ文句を言わなかった。

 いつも興味深そうに、じっと水槽越しに彼女を見つめ、話を聞いていた。


 ――だって。

 元々流れる時が違う。目の前をすぎる短命種達すべて、イシュリタスにとっては儚くいずれは消えゆく存在達に過ぎない。


 彼らがメンテナンスをなさなくなれば、自分も生命活動を休止するかもしれないが、同じ事だ。


 発掘されるまで、遺跡の中で眠り続けた旧神イシュの残骸。

 自分はその一部から培養されたものなのだから、ずっと長く眠り、一瞬だけ日の光を浴びて、また眠る――ただそれだけだ。還るべき所に、戻るだけ。


『見てください。二人で撮ったんです。あの子がいい成績を出せたから、ご褒美に何がいいって聞いたら、お母さんと思い出がほしいって……』


 お母さんと×××を呼んでいた子供は、成長薬とやらの投与で、今や彼女より背が高くなっていた。褐色の女の後ろから腕を回し、幸せそうに頬をこすりつけている。不安そうに流し目を送っていた頃とは打って変わって、健康で、満たされて、安心した姿がそこにあった。


 端末の画像を見せられたとき、直感的に今日が最後ではないかと思った。もう、自分は×××のすがる先ではなくなったのだ、と。


 彼女と彼女は対等ではない。イシュリタスはニンゲンのために作り出された神の失敗作で、彼女は失敗を続けてきたかもしれないけど、最初からずっと人間だった。



 いつも通り、出て行く姿を見送って、まどろむように目を閉じる。瞼の裏に、女の満足そうな顔を浮かべれば、これが終末なのだとしてもさほど悪くない、と偽物の神は感じた。




 ――だが、それで終わってはくれなかった。終わらなかったのだ。


 耳に痛い音が響き、神はぱっと目を開ける。


 部屋に飛び込んできた女は一目散に水槽の前までやってきて、何度も拳を打ち付けた。


 見たこともない、恐ろしく醜い顔だった。


 最初こそ驚いたように目を見張った神だが、ニンゲンよりもずっとこういう状況での思考の立ち直りが早い。

 錯乱する女が強化ガラスに気が済むまで八つ当たりをするのを待ち、その後も膝から崩れ落ちてうつむいた女が自ら言葉を発するまで、何も言わなかった。


『――しょぶん、された』


 やがて、褐色の唇が動く。唇が切れて血が流れていた。


『用済みだから、いらないって。あたしが行ったときには、もう薬で――先生は、お前には新しい被検体をやるから、同じように成果を出せ、って――』


 言葉は途中からすすり泣きに、やがて嗚咽に変わり果てた。


 幸せがたくさん込められていたはずの端末は、女の手から滑り落ち、床で粉々になって砕けていた。

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