狂乱 中編
突っ込んできた鎧の男の姿にうっすら口の端を上げた亜人だったが、直後抱え込んでいた感覚が消え失せた。相変わらず彼の腕の中に娘はいるはずなのだが、ただ残像だけがそこにあり、触れようとすると腕がすり抜けていくではないか。
ちらりと流した目線の先、女神官がこちらに杖を向けていた。唇が微かに動き、何事かの呪いを唱えている。大方察するに、転移術か幻術の応用なのだろう。
「レフォリア=カルディ――!」
その彼女に向かって、離れた場所から光の球が飛んでくる。ユディス=レフォリア=カルディが微動だにしなかったのは、軌道から攻撃が直撃しないという確信があったためだろうか。聖堂のほとんど端と端、師弟が互いをにらみ合う。
その状況を確認してから、亜人は体をのけぞらせた。首のあった場所を剣が薙ぐ。そのまま後ろ向きにバク転した彼に、なおも鎧の男は踏み込み、刃を振り下ろした。盾を失った亜人の金目がきらりと輝き、振り下ろされた刃に両手が突き出される。
自暴自棄な抵抗にも見えた構えはしかし、正確に狙いを果たした。髪と肌をいくらかかすめた刃は、両腕を戒めていた鎖を断ち切る。
「サンキュ。地味に邪魔だったんだよね、コレ」
軽口を叩いた亜人は、次の一撃をかわすためにぐっと体を屈める。そのついでに手を伸ばし、脇に転がっていた神官に手を伸ばして杖を拾い上げた。次の剣の一撃はそれで防ぐ。
「ね。どしたん? ユディちゃんじゃなくてこっちに来るって随分感情的じゃない。僕の前ではいっつもお利口さんだったのに、何にそんなに腹を立ててるの? ちょっと吐いてみろって、聞きたいことあるなら答えてやるからさ、
組み合っているとギシギシと杖が嫌な音を立てた。しかし、下方で受けているザシャの方に余裕は見える。
「……お前は、気がついていたのか」
「ん? 何に? トゥラちゃんが特別だってこと? シュナちゃんが迷宮の至宝だったってこと? 二人が同一人物だったってこと?」
金属の高い音が鳴り、男達は共に飛びすさる。そこに術の撃ち合いの余波が弾けた。
「カルディ、こんなこと正しくない! それがわかっているから、あなただって――」
「わかっている? 何を。お前は何を知っていると言うのですか――」
呪文をぶつける合間に、二人の間でも会話が飛び交っているらしい。
背中でそれを聞きながら、亜人は次々と穴の空いていく聖堂の中を駆け、デュランもまたその後を追う。
「僕が最初に見たのはトゥラちゃんの方だったけど、あんなん見れば普通じゃないってすぐわかるじゃん? でもまあ、これ全部つながるなって確証は、リボンだなあ。あれでわかったよ。女神の娘が恋でもしたせいで、人間に化けてお外に出てきたんだって」
柱の一つを回り込むように駆け抜けた亜人は、対峙した鎧の男の一撃を再び杖で打ち返してから、先ほどの彼の問いかけに対する答えを続けた。
「なーに、その顔。自分のしたこと覚えてない? シュナにピンク、トゥラに白。なのにオルテハが手を出そうとしたトゥラちゃんはピンクのリボン持ってた。せっかくもらった物だからなくしたくなかったのか、お前にアピールするつもりだったのかはさすがに知らないけどね。あんま興味もないし」
踏み込んだのは亜人、受けたのはデュランの方だ。鎧の下で歯を食いしばる彼の目には、少し前までの激情が薄れ、代わりに動揺するかのような揺れが現れていた。
振った杖をくるりと回転させた亜人は、今度は突きを繰り出す。二度まで受けたデュランだが、三度目はもろに鳩尾に入った。鎧で守られてはいるが、押されて後退する。
「いや、何そのリアクション。逆に僕が聞きたいぐらいなんだけど、お前、マジに最近まで気がついてなかったの? てっきり最初からわかった上で、何か僕にはよくわかんない愛情だの深い思慮だので遊ばせてるんだと思ってたんだけど。え、マジで僕より気がつくの遅かったの? あんだけべったり四六時中一緒にいておいて?」
デュランは剣を構え直した。亜人は首を傾げ、持ち直した杖をとんと肩に軽く当てる。
「かっわいそー、シュナちゃん。こーんなボンクラをずっと頼ってたなんて。ぶっ壊されるとき、見物だったよ? あの子最期までお前の事呼んでたのにさ。デュラン、助けて、デュランって――」
「――黙れえっ!」
突進。それを軽く体を捻って難なくかわした亜人の目に、ほんのりと失望の色が宿った。
「浅いよ色男」
懐に入り込んだ亜人の片手が、喉に伸びる。どっと突かれ、デュランの息が止まった。
「――そういえば未経験だったわ、お前の鼻血顔。見せて?」
そのまま地面に相手を押し倒した亜人は、杖を投げ捨てると続けざま何度か顔を殴打する。相変わらず口の端はへらへらとだらしなく緩んでいるが、愉悦を浮かべていた目は今は驚くほどに据わりきっていた。
「でもねえ、ちょっと萎え。期待通りと予想通りって違うんだなこれが。お前の怒りなんてこんなもんなんですかね? 真面目にやらないとお前じゃなくてあの子にツケ払ってもらうけど――」
すると割れた鎧の下に再び消えかけた闘志が戻り、馬乗りになった男の腕をつかむ。そのまま上下を変えて腕をへし折られそうになったザシャは飛んで逃げる。喉を押さえ、咳き込みながら体を起こそうとする鎧の騎士に、亜人は金の目を細めて輝かせた。
「そう来なくっちゃ、かわいこちゃん」
「――いい加減にしなさい、プルシ」
男がペロリと唇を舐め上げたのと、いらだたしげに神官が吐き捨てたのはほぼ同時。
術士同士の争いは、最初こそ互角であるかのように見えたが、様子見を終えた枢機卿が一気に攻勢に出るとあっという間に収束した。
しかし、彼女が仕事を終えた、とばかりに娘に駆け寄ろうとすれば、そのたびに弟子は術で、あるいは我が身を以てその前に立ち塞がる。何度地に倒れ伏そうとも、立ち上がり続ける。
「いや、です。行かせない……行かせるものか」
彼が押さえた脇腹から、じゅうと音を立てて煙が吹き出た。肉の焦げる臭いがむわりと立ち上る。崩れ行く聖堂、その中で繰り広げられる騒動の中にあって、一人だけ静を保ち続ける娘。彼女を背に、当代一の術士の愛弟子は震える足に力を込める。杖が折れようと、両手を広げ、師の前に立ちはだかる壁となる。
「プルシ。もう手遅れです。仮にもし、ここで
「では、まっさらにした彼女を連れて行って、法国だけが救われて……それでいいと言うのですか? 他なんてどうでもいいと?」
その時、女神官の体からふっと力が抜けた。
「ルファタ。臣は今年で三十二歳になりました」
「……は?」
「お前は本当に、若かった頃のわたしによく似ている。理想で燃えていた、あの頃のわたしに」
彼女は目尻を下げ、一度も見せたことのない柔らかな――泣いているようにも見える、そんな微笑を浮かべた。
刹那、もう片方の戦場で、格闘の末互いの得物を拾い合った男達が再びぶつかり合う。衝撃を受ける度に悲鳴を上げていた借り物の杖が、ついに耐えかねて砕け、耳に痛い音が辺りにこだまする。
亜人は目を見開いた。
デュランが踏み込み、頭の上から剣を振り下ろそうとする。
亜人が笑って、迎えるように両手を開いた。
「おいで、相棒――皆を不幸にしてあげよう?」
宝器コレクターと呼ばれる男。
その持ち物の中でも最も凶悪と呼ばれる武器が、うなり声を上げて目を覚ました。
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