竜姫 迷う

 シュナはしばらく黙り込んでいる。目を逸らそうとしてもデュランは許してくれない。


《シュナ》


 促すように、あるいは焦れた思いを竜騎士はそのまま言葉にする。

 シュナはゆっくりと身を引いた。デュランは無理に追おうとはせず、手を引いて様子を見守っている。


《……それを知って》


 最初の一言をぽっと出してから、次の言葉を出すまでちょっと詰まった。

 考え、手繰り、探り探りゆっくりと彼女は喋る。

 デュランも、少し離れた場所の竜達も固唾を飲んで彼女の挙動を見守っていた。


《たとえば。その人が今……何かに巻き込まれていたとして。それを知って、あなたはどうするの?》

《助けに行く》


 返答は短く素早い。シュナは思わず息を呑んだ。竜騎士はじっとシュナの黒い目を見つめたまま、はっきりした口調で続ける。


《側にいる、誰にも傷つけさせないって言ったんだ。嘘にしたくない》

《どうして? 会ったばかりの人なんでしょう?》


 暗にそこまで気にして貰えるほどの者ではない、と萎縮しつつシュナが言うと、彼はぴくりと眉を動かした。


《そうするべきだと思っているから》

《それはあなたが竜騎士だから? 未来の侯爵様だから? そういう義務感?》

《それもある。ないとは言わないよ。でも何より、俺自身の考え。そうしたいと、俺自身が思っている》

《それは、その人のことを好きってこと?》

「……えっ?」


 虚を突かれたらしく、デュランは思いっきり口から声を出していた。一瞬あんぐり口を開けていたが、慌てたように笛を取り、目を泳がせつつ答えようとする。


《す……好きか嫌いで言ったら、その……嫌いじゃない……いやむしろ好き……なのかな……? とは思う……思いますよ、はい……》

《そ、そう……》


 純粋な疑問ゆえの問いだったのだが、なんだか彼がちょっと照れて答えているのを見るとこちらまで恥ずかしさが伝染しそうになる。

 というか、思いっきり知らない人の体で話しているが、トゥラはシュナ本人のことである。今間接的にではあるが自分の事が好きか直球で聞いたのだとわかって、シュナもわたつきそうになる。かーっと上がりそうになる熱を堪え、彼女は慌てて言葉をひねり出した。


《も、もし、その人が。あなた自身はその人のことを嫌いじゃないけれど、周りはそうではなくて……一緒にいてはいけないとわかったから。その人自身も、あなたのことは嫌いではないけれど、これ以上一緒にはいられないと思ったから……それで、離れていったとする。そうしたら?》


 彼は腕を組み、考え込むような仕草をした。わずかにできた眉の皺を、シュナはハラハラと見守っている。


《俺を嫌いになったわけじゃないんだよね? 本心では一緒にいたいと思っている。でも、他に仕方ない――と、思うような理由があるから、身を引くって状況?》

《……ええ》

《なら、やっぱり俺は彼女を探すし、一緒にいられる道を考える。本人が嫌がってるならそれ以上追いかけるのはないよ。気持ちが離れたのに深追いするのはマナー違反だ。でも、まだお互いがお互いを憎からず思っていて、一緒にいたいと思っているのに別れるとか、そういうのは納得できない。……や、まあ、その、今回の場合は別に付き合ってるとかそういうのじゃないけど。でも……一言の相談もなく、勝手に結論を一人で出されるのは、俺は嫌だな》


 ぐさぐさぐさ、と心に何か突き刺さる幻聴が聞こえる、幻覚を感じる。もう今日何度びくびくと身体を小さくしたかわからないが、たぶん今が精神的にも外見的にも一番縮こまっている。


 やや遠くのウィザルティクスが今にもデュランに飛びかかりそうなポーズを取ろうとしていたが、ネドヴィクスに尻尾を踏まれて押さえ込まれている。


《離せー、あいつー、ギッタンギッタンにしてやるのでありますー! こっちの事情も知らず好き勝手言いやがって、キイイイイ!》

《愚行。シュナ。正体。露見》

《うぐぐぐぐぐ……》


 ネドヴィクスの言う通りだ。下手に割ってこられたら、今のシュナの綱渡りの成果が全て無に帰す。というか彼らの言葉自体、聞こえてかなりヒヤッとしたのだが、不思議とデュランは特に反応を示していない。


 ……そういえば竜の言葉は、彼らが伝えたい相手にだけ届く、だったろうか。だとすると彼の耳には、お目付役達の声が今ピイピイとしか聞こえていないのかもしれない。


 シュナはちらちらデュランの渋さ全開の顔色を窺いながら、しどろもどろに間を持たせようと、ついでに彼の言葉に何か反論を試みようとする。


《でも……》

《でもも何もない。どうして試してもいないうちから諦めないといけないんだ》

《だって……》

《もし俺に迷惑がかかるとか言うんなら、ああそうさ、今現在ものすごく迷惑を被ってるよ》


 きゅううう、とシュナの喉から音が漏れた。普段ならこの辺で我に返って許してくれそうなデュランだが、よっぽど鬱憤が溜まっていたのだろう。未だ顔から皺が消えない。

 後ろから、ギシャー! バシン! バタン! と結構派手な音が聞こえる。察するに飛び上がろうとしたウィザルティクスがネドヴィクスに伸されたものと思われる。しかし真面目モードに入り込んでいるデュランは、外野の乱闘音など意識していないようだった。


《だけど……違うだろ。そういうのじゃないだろ。俺がいつ出て行けなんて言った? 勝手に空想の気持ちを捏造しないでくれ。側にいる、守る。何回言ったと思ってる。どうして信用してくれない。そんなに俺は頼りないか?》


 ――違うの、深いことは全く考えてなかったの、ただこう、行ける! と思った事をそのまま実行した結果が今というか――ああ、わたくしのばか! 頼りないのも信用できないのもわたくし自身よ!


 無性に今気絶したい。しかしさすがに無責任だと思うし、竜のシュナの身体は頑丈だ。


 ただ、さすがに長々いつになく強めの言葉を聞かされていたシュナがすっかり目を剥いて震えているのに気がついたのだろう。デュランははっとなり、多少柔らかな空気が戻ってくる。


《――あ。ごめん。なんか、熱が入っちゃって……駄目だな。ちょっと彼女は君と似ているところがあって、こうしていると、まるで本人を目の前にしているような気さえしてきちゃって……あれ? これ、トゥラにも似たようなことを言ったことがある気が……》


(そうね……確かにわたくしも聞き覚えがあるわ。あの時も、その通りだものって、思ったもの……)


 後方からゲホゴホ咳き込む激しい音の後、バシン! とまた音がして静かになる。

 ちらっとデュランがそちらを見た気配があったが、訝しそうな表情になっただけですぐまたシュナに視線を戻した。


(もう、ここまでわかってしまっているのなら。隠す意味なんてあるの? きっと気がつくのは時間の問題。それならもう、今ここで……)


 不意にシュナの中にそんな思いが去来する。

 自分が嘘をつけないせいも原因の一つではあるのかもしれないが、シュナが完璧にやり過ごせたとしてもデュランは遅かれ早かれ核心に迫ってきそうな気がした。


 誰よりもシュナの側にいるのだし、迷宮にも詳しい。勘が鋭くて、察しもいい。

 むしろ下手な工作をしようとして、不審を芽生えさせてしまう方がお互いにとってよくないのではないか。


 口を開き、実は、と声にしようとしたシュナの頭に、咄嗟に蘇ったものがある。



 ――死ぬよりもっと辛い目に遭うって想像できる?


 花の香りがぶわりと広がった。

 シュナにそっくりな竜が、銀色の竜を光らせてこちらをひたと見据えている。

 黄金色の液体で満たされた棺桶。

 眠るように横たわる父。


 ――目の前で愛しい人がむごたらしい目に遭わされても何もできない。それをあなたにさせろと言うの?


 母の形が歪み、花畑が闇の中に沈む。

 暗い森の中、金属の音が鳴り響く。


 ――必ず確保しろ! 持ち主の生き死には問わん!


 空を裂き、肉を断つ音。

 倒れ伏す父。

 腹からとめどなく、川のように流れていく血。

 瞬きを失って硬直した目。


 それが。

 父の姿から、いつの間にか赤い髪、金色の目の青年に変わっている。

 光を失った目。だらりと垂れ下がった腕。力を、熱を失って、硬く冷たくなっていく身体。


 ――あれはきっと未来だ。

 守ってほしいと言った時、必ず起こる可能性だ。



《……シュナ?》

《――――》


 しばらく喉が強張って動かない。苦しい呼吸を繰り返すうち、少しずつ解けてくる。

 息の大きな吸い方を思い出したところで、彼女はけして喉を通ることのできない言葉に気がついた。


 心配そうに見守る赤い髪の騎士。

 彼はシュナを、トゥラを守ろうとしてくれるかもしれない。いや、そうだろう。

 だからこそ、言えない。言ってはいけない。

 母の忠告の意味を理解した。胸を引き裂かれるような痛みを感じる。


(あなたを信用していないのではない。あなたを頼りたくないのではない。ただ、あなたを危険に遭わせて、失う――それが何よりも恐ろしい。わたくしは一度、知っているのだから)


 ――それなのに。


 繋いでくれるように伸ばされる、その手を振り払うこともできない自分は、なんと弱いのか。


《……知っているわ。あなたの言った人のこと。今どうしているかも、わかる》

《シュナ》

《お願い、理由は聞かないで》


 嘘をつき通すこともできず、真実を明かすこともできない。

 どちらつかず、宙ぶらりんな状態。進むのも戻るのも良いとは思えなくて、まるで本当に迷宮に入り込んでしまったようだ。今が良い状況と言えないのはわかるのに、さっぱり良い入り口が見当たらない。


 打ち明けた時に訪れる危険も、言わないままで嫌われることも、どちらの可能性も悲しくて、辛い。選べと言われても立ち尽くす。選びたくない。何も捨てたくない。それが今のシュナの答えだった。そのことに気がついてしまった。


 せめて――。


 自分の弱さと罪深さに打ちひしがれそうになりながら、なおもシュナの口は動く。

 こんなことをしてもその場しのぎにしかならないとわかっているのに、今この瞬間、嫌われる勇気が持てずに言い訳を重ねる。


《その人は……今、大丈夫よ。安全な所にいる。それは確かなの、安心して。ただ……》


 シュナの言葉に目を輝かせ、安堵したような息を漏らしたデュランだったが、彼女の言葉にごくりと喉を鳴らし、続きを待っている。


《でも……》


 けれど最後まで言い切ることはできなかった。

 助けを求める鋭い笛の音が、部屋の隅の通路の奥からけたたましく鳴り響いてきたのだ。

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