竜騎士 ドレス選び
(どうしてこんなことに……)
騎士は思わず窓の外に視線を投げかけていた。日はもう傾き、間もなく夜がやってくるのが見えている。
トゥラ、と彼が名付けた娘は今のところ関係者一同から歓迎されているようだ。それは彼にとっても非常に喜ばしいことであり、ひとまず安堵する。
発見時の状況、身元不明、記憶喪失、おまけに特殊な呪い持ち。
正直に言ってしまうと怪しい事この上ないのだが、デュランはこの時点でほとんど、何かがあったとしても彼女は巻き込まれた側なのだろうと推測していた。
もちろん何かしらの思惑を抱えている、全て演技である等、疑い出せば可能性にはきりがない。何しろここは迷宮領で、彼女は迷宮の側で見つけられたのだ。繰り返しになるが、状況を並べていくとむしろ不審者の要素しかない。
それなのにデュランにしろ他の人間達にしろ、あっという間に警戒心を解かせてしまうのはあの何の曇りもない(……ように少なくとも見える)微笑みのせいだろうか。
くりくりとした大きな目でじっと見つめられた後、にっこりと人好きのする笑顔を浮かべられたら、邪気を抜かれない方が無理があると言うものだろう。
――そう、優しさと好奇心に溢れた、大きなきらきら輝く黒い瞳。
トゥラの瞳は、つい先日デュランが迷宮で見つけて逆鱗に迎えた幼い竜のことを思い出させる。
というかもっと言ってしまえば、目だけにとどまらず、雰囲気や仕草までなんとなく似ているような気さえする。
だからだろうか、あっさりと彼女のことを信用してしまうし、なるべく助けてあげたい気持ちになるのは。
初対面のはずなのに、どうも他人の気がしないと言うか、構いたくて仕方なくなってくると言うか……。
(なんか、調子が狂う……いや別に、嫌だって言うわけじゃ、ないけど……)
煮え切らないような、釈然としない思いを抱えたまま騎士は一人唸っている。
……それにしても遅い。先ほどからずっと隣の小部屋で待たされているのだが、今度はまた随分と仕上げに時間がかかるデザインに挑んでいるらしい。一体何をそんなに気合いを入れているんだ、とデュランは頭を抱える。
朝食の後、侯爵夫妻に引き合わせた後は、ゆっくり城を案内して、疲れが見えるようだったらすぐ休ませて……なんてことをデュランは考えていたのに、実際は昼食の前に数部屋回れただけ、結局午後一杯のトゥラの予定は全て衣装選びに費やされることになった。
急に呼び出され、最初は若干渋っている様子もあった仕立屋だったが、トゥラを見た瞬間目の色を変えた。いつの間にか召喚されていたメイド達と共に、あーでもないこーでもないと熱心にデザインを練り始め、挙げ句城の衣装部屋を占領されたかと思うと着せ替えショーまで始まってしまった。
ちなみにデュランは何故か仕上がりを見て感想を述べる係にされている。どれも似合うから大丈夫なんて言えば「若様、真剣に考えて下さいませ!」と非難され、では自分の意見を述べてみると「若様ってそんな趣味だったんですね……」と生ぬるい目をされ、一体どう答えれば彼らは満足すると言うのか。
(これ、完全にトゥラを出しにして俺で遊んでないか? まあ俺はいつもこれだからもういいけど、トゥラは大丈夫かな……)
着せ替え人形にされている方は、目を丸くしつつ概ね楽しそうにしていて、褒められる度にちょっと困ったような、はにかんだような笑みを浮かべていた。可愛い綺麗とメイド達に口々に褒めそやされると、恐縮するような顔もするので、こういう経験が少なかったのか? という印象を受ける。
トゥラは若く顔立ちの整った娘なのに、よりによって顔の左側に大きく痣が広がっている。しかも医者によれば生まれつきという話だった。今まで見た目を楽しむなんて心境も、そもそも環境自体が彼女には与えられていなかったのかもしれない。
デュランは彼女が頬をほんのり赤く染めて嬉しそうにしていると、自分も嬉しい気持ちになり、なんともむず痒くなり……そして逆鱗が震えているような錯覚を定期的に覚える。
(トゥラのことになると、俺はどうも変になるみたいだけど……一番不可解なのがこれだ。なんだろう? 逆鱗が響いている? シュナが鳴いているってことか? でも別に、嫌な感じ、呼んでいるって感覚ではない。こう、共鳴している時に近いというか……何か誤受信でもしているのか? やっぱり自分自身じゃなくて玄人に笛の作成を頼んだ方がよかったかな。いやでもこれ、シュナの鱗だし、俺本人が弄れるなら他の奴にわざわざ渡す必要なんて全くないし……まさか俺自身の心臓に何か異常が? 嫌だなあ、気が進まないけど今度真面目に健康診断を……)
「若様若様! いかがでしょう!? こちらにおいでになって、ご覧になってくださいませ!」
ようやくお呼びの声がかかった。騎士はぐるぐる考え込んでいた状態からはっと我に返り、大きなため息を吐き出して応じる。
「今度はまた随分と長引――いや、それは駄目でしょ!?」
「え?」
「え、じゃない、見ればわかるだろう、逆になぜこれで行けると思った、アホか! というか普段着を選んでいたはずじゃないか、なんでそんなどう見てもがっつり夜用ですってドレスを着せているんだ!?」
「いいじゃないですか若様、どうせそのうち必要になるんですし」
「いやいやいやいや、あのね……!?」
最初の衣装を見せられた時なども、実は思わず息を呑んでいたりはしたのだが、なんとか堪えて誤魔化せる範囲だった。心臓が変に高鳴っても、一応女性陣の「あなた、どれがいーい♡」系のお買い物に付き合わされた経験もある。なんか今日は本調子じゃないなと思いつつ、笑みで平常心を取り繕っていた。
しかし今度ばかりは絶叫を抑えきれない。視界の端で仕立屋とメイド達が「いえーい!」なんてハイタッチしているのが忌々しくて仕方ない。何がいえーい、だ!
オフショルダーのドレス自体に問題はない。モデルにももちろん文句はない。
だが、それら二つが合わさったことにより、なだらかな肩から鎖骨下の膨らみ、そして流れるように谷間に視線が誘導される――これがよくない。ひじょーによろしくない。ついでにちょっと前の記憶――そう、彼は彼女の服の下がどうなっているかうっかり見ちゃった経験があるのだ――まで鮮烈に思い起こさせられそうになるので、精神衛生上本当によろしくない。目のやり所に困る。
「でも美点は伸ばしていくのが基本でしてよ? お嬢様はせっかく良いものをお持ちなのです、この武器で男共を虜にしつつ女性達の戦意を喪失させるのです」
「あのな……トゥラ本人がそう言っているならまあ、いいけど。嫌がってたらどうするんだ」
デュランは軽く周囲のきゃあきゃあ騒いでいる女性陣を睨みつけてから、もじもじ手を合わせたまま立ちっぱなしにさせられている娘に歩み寄る。
彼の反応が今までの衣装と違ったからだろう、心配そうに上目遣いになる彼女と目の高さを合わせて、ゆっくり言い聞かせるように語りかける。
「それを着て、パーティーに行きたい?」
トゥラは困ったような顔で、わたわたと手を動かしていた。デュランはじっと彼女の目と仕草を見つめる。
「はい? ……いいえ? どちらでもない? ……パーティーには行きたい? ドレスは? 恥ずかしい……でも嫌いじゃない? じゃあ、行ってみたいけど、まだ自信がない?」
一つ一つ確認するように言葉に出すと、トゥラはこくこく頷いてデュランをじっと見た。
彼もまた、潤んだ黒い瞳を覗き込んだ。
「ドレス……その。……似合ってるよ。すごく素敵だ。だけど……ちょっと、大胆すぎるというか……君がしたいことなら最大限協力するよ。君が行きたいところなら俺が連れて行く。でも、君のことを大事にしたいし、君自身にも大事にしてほしい。色々考えながら、焦らず進めていこう。だから……」
しん、と部屋の中が静まりかえる。茶化す者も、囁きを交わそうとする者もいない。すっと息を吸ってから、低く小さく続きを言う。
「それを着るならしばらく、俺の前だけにして」
胸が震えた。身体の奥に、音が響いた。笛が鳴る。竜が鳴いている。自分のものではない心臓が、近くで跳ねるのを感じる――。
トゥラはデュランを見つめ返し、ゆっくりと頷いた。
(ああ、やっぱり。この目があまりに黒くて、吸い込まれそうで。それで俺は、少しおかしくなっているんだ、きっと……)
くらりとしそうになる感覚の中、デュランはこっそり胸の中で言い訳をした。誰に向けているのかもわからない言い訳を、曖昧な中で繰り返して――。
侯爵子息、竜騎士ともあろうものがすっかり油断していた。
おそらく感謝の気持ちを表すためにだろう、ぎゅっと不意打ちで抱きついてきたトゥラに、彼は今度こそ頭が真っ白になって完全に思考停止した。
部屋の中は静寂から一転して、再び喧騒にまみれることになった。
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