居候 侯爵一家との対面
多少道中でゴタゴタがあったものの、シュナはデュランに案内されて目的地までやってくることができたようだ。
食事の時周りに控えていたのは黒と白の服装をした人々だが、今はそれ以外に鎧をまとった人々の姿を見つける。
デュランが着ている鎧やシュナが以前見たことがあるもの、廊下に飾ってあったものはどれも、身体全体を顔まで全部硬い金属製の硬い素材で覆う形状をしていた。
今廊下に立っている彼らの着ている鎧は、目に見えてわかる金属製部分が少なめだ。胸部と胴体、腰周り、腕と脚、それから肩。その間の部分には普通の……普通の? 服が見えている。
そういえばリーデレットの着ていた鎧と似たような、というかほぼ同じ形状の気がする。ということはこれがもしかして、騎士の標準的な見た目なのだろうか。
(そもそも騎士って、何かしら? ご本では、馬に乗るから騎士、王様に仕える……とあったはずだけれど)
「騎士だよ。お城や領を守っている人達なんだ」
シュナの視線の先に気がついたらしいデュランが、軽く説明をしてくれた。はっとして、慌てて頭を下げる。好奇心による観察が一番先に出てきてしまうのは彼女の悪い癖だ。本人もそう思ってはいるが、なかなかすぐには直らない。
ここの人達は食堂と違って、シュナの挨拶に特に反応を返してくる様子がなかった。メイドや執事達も、騎士達もどちらもだ。それどころか視線も真ん前を向いたまま。
もしかしてよくできた置物なのか? と一瞬思いそうになるが、よく見ると瞬きをしているのでちゃんと人間なのだろうと思う。
「お仕事中なだけだから……大丈夫、ちゃんと伝わってるし、普段は皆優しい人達だよ」
無作法で嫌われてしまったのだろうか……としゅんと頭を下げた彼女に、デュランがそっと囁いた。
(そういえばここの人達は、先ほどの場所の人達より……落ち着いている? 年を取っている? そんな人が多い気がするわ。何か理由があるのかしら。そういう人達が集まっているから、像のようなの? それともこういうことができる人が選ばれると、自然とそういう人達が多くなるということなの?)
知らないことにはきりがなく、興味には果てがなく、シュナは全てに忙しく楽しくて仕方ない。
そのまま浮かれっぱなしになりそうになる気持ちを、扉が開く音を合図に引き締める。
(ご挨拶よ。しゃんとしないと!)
姿勢をピシッと伸ばし、気合いを入れて足を進めると、重みのある暖色で統一された空間が広がっている。シュナは真っ先に暖炉に行きそうになった目を、慌てて室内の二人の男女の方に向けた。部屋の中には他に人はいないらしい。後ろで扉が閉まった音がして、ごくっと唾を飲み込む。
「侯爵閣下、侯爵夫人。こちらがトゥラです。トゥラ、この二人が侯爵夫妻だ」
シュナはデュランのエスコートから自然な動きで離れ、少しだけ進んでから優雅に一礼し、にっこり笑う。言葉が喋れたのなら、自分から改めて名乗るべきなのだろうが、今はこれが精一杯だ。
(……しかめっ面の方がよかったかしら)
部屋に漂う緊張感にふと後から思うが、今から怖い顔になるのも違う気がするので、いつも通りニコニコしておく。
男性の方は服装がまさにシュナの思い描いた貴族そのものといった服装だ。華やかで贅沢、わかりやすく富と立場を象徴する金糸の刺繍。
――が、こう言ってはなんだが、着られている方がちょっと迫力負けしているというか、なんとも印象の薄く凡庸な顔である。正直デュランと全く似ていない。けれど赤い髪の色は同じだ。
一方、横の女性は侯爵夫妻、と紹介されなければもっと別の立場の人かと思っていまいそうなほど、質素で暗い色合いのドレスを身にまとっている。けれど材質やよく見たときの意匠は、控えている人達の誰よりも気合いが入っているようだ。
全体的にシルエットはほっそりと引き締まっていて、すらりと背が高く――勘違いでなければ夫である侯爵よりも身長があった。たぶんデュランの手足が長く、人の時のシュナが少し頑張って見上げないと顔が見えないような長身なのは、母親の方に似たのだろう。
(似ているような、そうでもないような……?)
行儀良く、大人しく! の意識の下で早速むくむく膨らみそうになっている好奇心を全力で自制しているシュナの横で、沈黙の中、まず侯爵が手を上げ――。
「おお……おおお! ふおおおおおおお!」
……なぜか顔を覆って叫びだした。
「侯爵様」
「侯爵閣下」
さすがにぎょっとしてしまったシュナの前方と横方向から、素早く二つの声が上がり、同時に咳払いも聞こえる。タイミングも完璧に一致していた。
(これが親子ってものなのかしら!)
なんて勝手に感動しているシュナの前で、顔から手を離した侯爵が真面目な雰囲気になった。たるんでいた気持ちを姿勢と共にピンと伸ばし、言葉を待つ。
「大義である。儂がダナン=ガルシア=エド=ファフニルカ。ファフニルカ侯爵である。……えーと、偉い人間ということになっているので周りに合わせて適当にあがめ奉るように」
「旦那様、真面目にやって下さいませ」
「立て直した威厳が二秒と持たなかったじゃないか!」
再びすぐに今までの緊張はなんだったのか、といいたくなるような緩い空気が流れ始め、妻と息子双方から怒りの声が上がった。
が、侯爵はまたも両手で顔を覆い、もじもじ身体をくねらせる。
「はー無理。無理無理無理、恥ずかしくて無理。直視できない。はー可愛い。はー幸せ。この年でこんな美人の娘ができるなんて、はー。はあああ!」
「俺はこの年でこんな父親を披露しなければいけないことが恥ずかしいよ……!」
デュランが横で同じく両手で顔を覆った。
(まあ、仕草がそっくり! それにわたくし、ちょっと驚いたけど楽しい方は大好きよ)
とシュナは思っているのだが、いかんせん言葉にならないのでくいくいとデュランの服を握ってみるのみにとどめる。彼は申し訳なさそうな顔を向けてきたが、満面の笑みで返すと……慰めたつもりだったのに、更に微妙な顔になったような……。
「気が早いですよ侯爵閣下。それから今の表現では語弊があります」
はあ、と重苦しいため息と共に、パシンと音が鳴った。夫人が手にしていた扇子を勢いよく閉じたらしい。シュナは再びピンと背筋を正す。
「あたくしはシシリア=ナヴィア=エド=ファフニルカ。横の人の妻です。うさんくさいかもしれませんが、そちらの人がこの城の主であり、迷宮の管理人であり、あたくしの夫であることは事実なので、そこは勘違いしないで下さいませ。勘違いさせるようなこの人が悪いんですけれどね。普段はもう少し真面目に務めて下さるのですが、今日はどうも浮かれているようなの。後できっちり言い聞かせておきますから、あなたはくれぐれも真似をしないように」
男性陣はほんわかしているが、この女性はしっかりしていて色々と厳しそうだ。
神妙な顔でシュナは頷く。
「うーん、我が妻ながら実に家庭教師」
と横でボソッと言った侯爵は夫人に睨まれて……なぜか嬉しそうだ。
人の世界は奥深い、としみじみ感じそうになったシュナは、再び鋭い視線に射すくめられてぴゃっと口の中で悲鳴を噛みしめる。
「あなたの事情は倅から聞いています。身を寄せる当てがない方は救貧院で預かるのが基本ですが、あなたは意思疎通が困難等、少々複雑な事情をお持ちのよう。状況が変わらなければ、当家で預かることになるでしょう。とは言え、あなたの格好、態度が侯爵家の面子に関わることもあるでしょうから、行儀作法などはビシバシ躾けていくつもりですのでそのつもりで」
「母さん、あの、こう、できる限り優しくしてあげて……」
「案ずるでない、息子や。シシーは叱る担当、儂は甘やかす担当。適材適所よ」
「汚い、自分だけいいところ持ってってる!」
男性陣に釣られちゃ駄目、この雰囲気に呑まれて自分までへにゃんとなったら負け、と必死に心の中で繰り返し、平常心を保とうとしているシュナの前で、夫人のきびきびした言葉は続く。
「というわけで早速、あたくしから申し上げたいことがあります」
「母さん……!」
「仕立屋をすぐ呼びましょう。色合いはこれでいいと思いますが、やはりあたくしのお古を多少手直しした程度ではイメージもサイズも合いません。もっと我が家のセンスで彩り、群がる有象無象を見た目から圧倒していく必要があります」
「あれ、もしかして俺の思った以上に歓迎してる……?」
「甘いわ、息子よ。侯爵夫人が気に入らなければそもそも当家預かりなど不可能――あっごめんねシシー、なんでもないよ!」
……デュランや侯爵の翻訳及び夫人解釈を信じるのなら、少なくとも嫌われてはいないと考えて良さそうだ。
ほっとしそうになるのも束の間、近寄ってこられて固まっているシュナの前で、夫人は彼女のドレスの飾りを触ったり、ちょっと別の角度から唸りつつ見ていたりとなにやら忙しそうだ。
しかしデザインが気に入らないから服を作り直そう、までは解読できるのだが、その後最後に何を言っていたのかがいまいち理解できない。
(有象無象って何のことかしら? 圧倒って、なぜ? それにわたくし、こんな素敵なドレスをいただいて、十分だと思うのだけど……きっとこれからお世話になる人なのだもの、気に入ってもらえたのなら嬉しい。でも、返せるものも何もないのに、そんなにしてもらっていいのかしら……)
おろおろしている彼女から、いったん離れた夫人がデュランの方にくるりと顔を向ける。
「そうですわ。ドレスを選ぶ時はお前も一緒にいるといいでしょう、デュラン」
「えっ。何故?」
「彼女のドレス、選びたくないのですか?」
「いや――えっ、なんでそこで俺に聞くの、母さん!?」
シュナもどうしてここでデュランが出てくるのだろうと首を傾げているが、指名された本人が一番動揺しているらしい。
そっと背後から近づいてきたらしいファフニルカ侯爵が、息子の肩をぽん、と叩いた。
「よいではないか。自分の好みのドレスをたくさんオーダーして日替わりで着せ替えて悦に浸ればよいではないか。そうしたら出来上がりを見て儂、『あーそうか息子の趣味ってこっち系だったんだなー』、と成長を生温かく噛みしめるから。ちなみにデザイン重視も悪くはないが、あんまり凝った構造の服にすると後で事故が起こるぞ。見た目は華やかでいいが、作りはシンプルイズベスト。あ、別にお前の場合言うまでもなく知っているか」
「何の話だ!?」
「そのぐらいにしておきなさいませ、旦那様。いくらなんでもはしゃぎすぎです」
デュラン以上に話のわからないシュナは、笑顔のまま首を傾げているしかない。
夫人はぴしゃんと夫をたしなめてから、ふん、と鼻を鳴らした。
「そうですか。そんなにどうしても嫌だと言うなら無理には頼みませんよ。全部あたくしと侯爵のオーダーにしましょう。それでいいですか?」
「えっ」
「えっ」
反応したのは男二人両方だった。侯爵は嬉しそうに、デュランは心なしかショックを受けたような顔になっている。
「何か文句でも?」
「いや、あの、その、別にほら、どうしても嫌とまでは言ってないというか……」
「はっきり仰い」
「……せ、僭越ながら、選ばせていただきたい、かなー、って……」
「決まりですね。そういうわけで侯爵閣下は権利を喪失しましたので心得て下さいますように」
「ちぇー、儂も参加したかったのになー……」
……結局ドレスはデュランが選んでくれるということで落ち着いたらしい。
いいのだろうか、と思う気持ちはあれど、喋れない上にそもそもシュナのわからないところでどんどん話が進んでいく。
(わたくしはデュランに選んでもらえるって、ちょっと……ううん、かなり楽しみなのだけれど、本当にいいのかしら。それに、デュランはさっきから、何を赤くなっているの? 恥ずかしいことでもあるの?)
女性物を選ぶ、ということが男性にとって恥ずかしいのだろうか。しかし、嫌がっているのとはまた違う気もする。夫人につつかれたら、最終的には選んでいいと言ったのだし。
「お前にこんな奥ゆかしさが存在したとは。儂、驚き」
「は!? 違います! 俺は別に。その……何か変な暴走が起きないように、見張る係ってだけです……」
「ほーう。ふーん。へーえ」
「何だよ!?」
うーんうーん、と思考に忙しいシュナは、こそこそ話している男二人の話の内容を右から左に流している。
何とも言えないフワフワした空気は、夫人がパンと手を叩き、「そうと決まれば!」と早速指示を出し始めると霧散した。
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