師弟

 竜騎士が部屋を出て行くと、今まで部屋の隅で大人しくしていた神官の少年が、恐る恐る、領主の様子をうかがいながら師に寄ってきて手をかざそうとする。

 すると女神官は、出された少年の手首をつかんで押しとどめた。


「プルシ、止しなさい」

「でも、師匠マイスタ……」

「無駄です。この傷はこれ以上癒えない。それに貴方も万全というわけではないのです。たとえ気休め程度だろうと今は貴重な癒やし手の一つ。この後の戦いのために、取っておきなさい」


 神殿で話していたときは突き放すようだったが、今の彼女の雰囲気は淡々としつつもどこか柔らかかった。

 頭を撫でられると、少年は口をへの字に曲げるも、大人しく引き下がった。


 そんな彼らに、えへんと咳払いして領主が近づいてくる。

 寝かされていたデュランがいなくなったことで空いたソファに二人を勧め、自分は机を挟んだ向かいに腰掛けた。


「さて枢機卿。息子が頭を冷やしている間、確認させてもらいたいことがあるのだが」

「何なりと」


 ユディス=レフォリア=カルディは終始落ち着き払ったものだ。


 その憎たらしさすら感じさせる揺るぎなさの傍らには、動揺あらわにおろおろと泣きそうな目で師と領主に視線を行ったり来たりさせる弟子がいる。

 そういえば初めて迷宮領に来た折も、この弟子の存在がかたくなな彼女の印象を随分と親しみやすいものにしたものだ、と領主はなんとはなしに過去を思い出す。


 幼子の手を引いて現れた、妙に老成した目の若い女。

 年を重ねてもあの頃と全く変わらない。彼女は常に、およそ若々しさというものからかけ離れていた。


 今は更に、その瞳は濁って痛ましい。

 だが、それに同情するほどダナン=ガルシア=エド=ファフニルカは人がよくなかった。彼はそれらの情報を記憶し、時に反応はするが、すぐさま個人の感情を切り離すこともできる。


 すっと頭が冷えていく感覚を覚えてから、領主は机上に広げられた地図をなぞり、先を続ける。


「儂の所には今現在、色んな阿鼻叫喚が絶賛お届け中なのだが。そのうちの一つにな、迷宮の冒険者達が皆弾き出された、というのがある」

「弾き、出された――?」

「冒険中、地上に強制退去させられたということでしょうか」


 少年は困惑したが、師は特に驚きを見せない。

 領主はうなずき、机上に広げた地図に指を動かした。


「そういうことらしい。しかも、一般入り口、北西の廟、それから……東にも今は空いとるんだったか? それら迷宮との出入り口はすべて封鎖されており、侵入は不可能とのことだ」

「物理封鎖でしょうか」

「いんや。なんか見えない壁のようなものがあって、それ以上進めないのだそうな。廟の場合、穴に飛び込んでもぺっと吐き出されるらしい」

「全人類を排除しようというのです。拒絶の意思が表れるのも道理でしょう。魔物が現れ始めてもその状況は続くでしょうね」


 喋りながら指で地図上の場所を示せば、女神官のうつろな目がぼんやりとその指を追いかける。

 完全に失明したわけではなく、ある程度は感知できるようだ。あるいは、動く物は多少見えやすいのかもしれない。


「で……となると、今から迷宮に入ろうとしても無理、ということにならんか」

「迷宮に入っていた人間が、例外なくすべて全員外に出された、という確認は取れていますか」

「集計中だ。ま、仮に数が合っていたとしても、組合未許可組までは管理しきれておらんといえばそうなのだが」


 ダナンが顎に手を当ててうつむくと、彼女も思案するように視線を伏せたままである。


「ではワズーリはどうでしょう。おそらく、弾き出された人々は、迷宮内部では別々の場所にいましたが、外の同じ場所――例えば森の中など、ある程度固まって転移させられているはずです。その中にあの男はいましたか」

「うむ……そうさな、報告に上がってきてないということは、おらんかったのだろう」

「それならばおそらく、強制退去と封鎖が起こったのはわたくしとの邂逅の直後と考えられる。ここに竜騎士閣下をお連れする前でしょうね。臣とワズーリ、竜騎士閣下は戦闘になり、彼女は巻き込まれて負傷。現れた女神は娘を回収し、ワズーリはその後を追って地下へ……」


 そこで領主が待ったをかけた。

 先にも聞かされていたことだが、改めて状況を確認していくと、どうしても気になることがある。


「のう、枢機卿。なぜ女神様は、かの冒険者に対して何もしなかったのだ? どうも迷宮に勝手に入るのを見逃したように聞こえるのだが、妨害の一つすらなかったのはなぜだ」

「簡単なことです。あの場で彼女の娘に対して、。あの男は、。捕縛や嫌がらせの際、成り行きで多少小突いたことはあったでしょうが……どう考えても、人格を崩壊させた挙げ句頭を吹き飛ばした人間の方が脅威でしょう? 」


 くっと枢機卿は口角を歪めた。


「だから女神は、臣だけを呪ったのです。……同時に対価も頂きましたけどね。契約に縛られるとは残酷なことです」


 しかし横の弟子が泣きそうになると、気配を感じたのだろうか、なだめるように彼の手を撫でる。びくっと動いた少年が、握り返すか迷うように手を動かし、結局はぐっと握りこぶしを作っただけで終わった。


「言うてもせんないことだろうが。確実に恨まれるとわかっていて、なぜ、とやはり思わずにいられんよ」


 なんとも言えない徒労感を覚えた領主が言えば、彼女は再び苦笑する。特になにがしかの応答はなかった。ダナンも期待して問うたわけではない。どうしても答えを、というのなら彼女は先ほど既に述べている。


 ――常にその時の最善を。最善が選べぬのなら、より良きを。それができずとも、最悪ではない道を。


「さて、迷宮入りに対しての話でした。ともあれ、ワズーリが地上にいないのでしたら、自動的に入った人間すべてが排除されるわけではない、あるいは何か回避する方法があるのでしょう。それに、最悪臣が無理だったとしても、竜騎士閣下は確実に不可視の壁を突破できる」

「ほう? なぜだね」

「領主閣下ともあらせられるお方が無粋なことをおっしゃる。古来より、固く閉ざされた道は愛によって開かれるものと相場が決まっています。男女の関係ならばなおさら」


 沈黙が落ちた。領主は困惑の顔を作り、枢機卿の横の弟子は一拍遅れてから耳元まで顔を赤くする。


 一人ユディス=レフォリア=カルディのみ、この場に流れた気まずい空気の理由が本気でわからない、という様子だった。


「何か」

「いや……あの、はい。うん」


 どうやら聖職者には全く他意はなかったらしい。それはそうだろう、お堅い事に定評のある女だ。むしろ一瞬、「えっあなたの性格でそんな事も言えちゃうのですか!?」などと妙にテンション上がりかけた自分の心の汚さをまざまざと突きつけられている。


 全然エロい比喩とかじゃなかったんですね……と勝手に撃沈している男達を放っておき、ユディスは地図をそっとなぞった。


「何にせよ、彼は彼女だけでなく、女神にとっても特別な存在。一度目は鎧を与え、二度目は蘇生した相手です。無碍に扱われることはありますまい」

「しかしそうなると逆に――デュランが例外中の例外として侵入可能、ということになるならな。増援も期待できない……そうならんか?」

「保険を考えるなら当然、迷宮入りの人数は増やした方がいい。けれど、基本的には特級冒険者以外、女神の意に真正面から反抗することは無理だ、とお考えください。臣一人でしたらなんとかねじ込めるかと思われますが、それ以上は難しいでしょう」

「どのみち地上でもおそらく試練を迎える必要があり、人員を残さねばならなくはあったのだが。いやしかし、この偏りは痛い……」

「マイスタ、待ってください。それは、どういうことですか?」


 大人達が顔を暗くしていると、不意にずっと静かだった弟子が割って入った。


「ぼくは……ぼくはてっきり、一緒に行くのだと……」

「あなたは地上に残るのですよ、プルシ。閣下にお供するのは臣のみです」


 諭すように言われると、少年は立ち上がった。


「なぜですか!? 今の貴方には、ぼくが必要なのではないのですか! やっぱりぼくは、ずっと足手まといだと……」

「違う。違います、プルシ」


 激高する弟子に向かって、師は手をさまよわせる。彼のいる大まかな位置はわかっても、輪郭や距離感まではつかみきれぬのだろう。


「プルシ。臣の犯した過ちの一つは、貴方を侮った事です。認めましょう。臣はあの時、間違えた。貴方の言う通りでした。自分の道が正しいと思うのなら、貴方にすべて話すべきだった。臣は貴方の自主性を重んじると言いながら、結局は貴方に否定されることを、自分の自信が揺らぐことを恐れていたのです」


 言葉を投げかけながら、おそらくは体を探して、不安定に揺れる指先を見ると、少年の怒りは鎮まっていき、彼は促されるように腰を下ろす。


「プルシ。あの時、臣は傲慢だった。お前が臣の枷になることを恐れました。けれど今は……お前が臣の唯一無二の一番の弟子だと知っているから、置いていこうと思うのです。この計画が成功しようと失敗しようと、。言っていることがわかりますね」


 ユディス=レフォリア=カルディの声には独特の響きが存在する。

 聞いている者の心に響くような、不思議な旋律だ。


「酷な事を言っています。この戦いは、残される方がずっと辛いことでしょう。特に臣の弟子となれば、この先石を投げられる事も当然あり得る。ですが貴方なら、きっとこの試練を乗り越え、多くの人の――臣よりもずっと大きな鐘となる。臣はそう信じていますよ、ルファタ」


 見開かれた目から、ひとしずく涙がこぼれ落ちる。

 少年は師の弟子を握り返し、震える声ではいと答えた。

 すると師は誇らしげに、そして幸せそうに表情を和らげた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る