ヒトの娘 気圧される

 迷宮領に集まる人間の多種多様さは、しばしば世界の縮図とたとえられる。


 区域によって建物も人も様変わりする様子は、ともすれば異国にでもさまよいこんだような錯覚を覚えそうになるほどだ。


 北部から中央区にかけてが、百年前の厄災後いち早くこの地に到着し、守り続けてきたいわば地元の人間達の居場所だ。

 一見すれば自由でまとまりがないが、その実女神を篤く崇拝し、また領主によく従って生きている。

 彼らがしっかりと土台を支えているからこそ、よそからいくら人が流れ込んできても迷宮領は独自性を保っていられる、とも言えるかもしれない。


 南部は他地区に比べて明るく、何よりも南の海からやってくる亜人達の流儀を反映した実力主義社会だ。しかしその享楽的な様は、どこか危うさを感じさせる点でもある。自由意識を重んじるあまり、統一された確たる一つの司令塔が存在しないことは、有事の懸念点にもなり得る。


 東部は静かで落ち着いている。時に暗いとすら言われるまでの実直さと厳格さを保ち続けられるのは、ひとえにユディス=レフォリア=カルディの人柄、またその努力の賜物なのだろう。彼女の一声で全ての人間達が迷いなく動く様は、頼もしくもあり、これはこれで別の憂慮事項でもあったりする。



 では残る西部とは──ヴェルセルヌ王国とはどんな場所なのか。「本国」の貴族達が、職人や商人を大勢引き連れてやってきて、贅沢三昧をしている所――とは大分偏見にまみれた物言いになるが、他地区に比べて華やかであることはれきとした事実である。

 南部の直截に過ぎ、ともすれば下品に抵触すら明るさとはまた違う、整えられた上品さ。


 たとえばそれは、この区画に溢れる色彩の豊富さであったり、所々あしらわれている装飾のきめ細やかさであるところから現れてくる。


 どこよりも豊かな地ヴェルセルヌでは、自然と余暇の過ごし方に工夫を凝らすようになり、それが「生活になくても困らないが、あれば豊かに日々を過ごせる物」の類いを発展させた。


 他国では道具にも服装にも実用が先に来がちだがが、王国で大事なのは見た目の方だ。

 冒険者の国、とも言われる迷宮領には、この辺りの暇の贅沢さがどうしても不足しがちである。


 また、ヴェルセルヌはどの国よりもはっきり身分、世襲制社会であることを特徴とする。


 かの国では人は生まれた家でほぼ一生が決まると言って過言ではない。

 貴族は世を支配する。

 商人は物を売り買いする。

 職人は物を作る。

 農民は畑を耕す。


 ひれ伏す者が立つ者に、女は男に、子は親に従う。それがこの国の道理、この国の真理。


 退屈な日々が永遠に続くことこそ平和の証左であるヴェルセルヌでは、伝統を重んじ、変化を嫌う気風が続いてきた。



 ――改めて並べてみれば、迷宮領とは真逆の性質、相性は最悪と言っていいほどなのではなかろうか。


 それなのにこの両国が互いに手を取らざるを得ないのは、迷宮領が他でもない迷宮を有するかつての帝都であり、ヴェルセルヌに迷宮領では育ち得ない種々の資源が存在するがゆえである。


 そして遡れば主従の関係でもある。


 百年前、ソラブシリカの傍系の高貴なる王は、掘り出してきた馬の骨に侯の座を与え、「行って支配しろ」と命じた。


 結果としてその馬の骨は有言実行し、元気な怪物に育った。主の思惑を遥か下方に置き去りにして。


 しかし、いち早く「正統なるお方」──血筋から言えば次の皇帝に最も近かった人間が泊を与えて送り込まねば、生涯埋もれたまま終わっていたであろうこともまた事実。


 迷宮領は歴史の因縁と文化や食糧資源がために、王国を捨てることはできない。


 一方、王国には他に組む相手がいない。その他の国とは相容れないためだ。


 法国は宗教が違う。

 領は人種が違う。


 自国こそ世界の中心と信じて疑わぬ楽園の住人達に、卑しい獣共の手を取る道理がない。

 食べて遊んでいくだけなら不自由しない土地柄なのであるし、あえて侵略するほど他の国が魅力的でないというのも本音の一つといったところか。


 そもそも仮に野心があったところで、実行力がない。

 ヴェルセルヌは伝統的に戦下手である。

 正確には、赤の他人、他国との戦争が苦手だ。

 相手を知らない、知ろうとも思っていない無関心さのために。


 翻って知り合い同士、身内争いならむしろお家芸の域まで行く。

 平民達は首のすげ替えに寛容だ。何しろよっぽど外れ籤を引くことにならなければ、誰も彼も大差ないのだし。

 どこかままごとじみた死者を出さない争いの様子は、時に「さすが芸術の国は賊まで優雅だ、何しろ首領が現役貴族ゆえ」と揶揄されるまである。


 先も述べたとおり、衣食住の環境ならば間違いなくこの国が最もよい。

 見知らぬ遠くの野蛮人より隣人。

 襲いやすい上に良い物を持っている。

 ある意味では合理的ですらある。



 ――と、授業で講師は述べていただろうか。

 シュナには到底理解できそうにない理屈だった。


(食べ物にもお洋服にも住む場所にも困っていないのに、どうして仲良くできないのかしら……)


 天涯孤独に王手をかけている娘には、隣人だからこそ感じる煩わしさや、血縁が拗らせる人間関係を深刻に語られてもいまいちピンと来ない。


 いや、恨みの根の深さならいやというほどかつて思い知らされた。


 ヴェルセルヌはかつての旧ソラブシリカ帝国、皇帝の出身地でもある。

 知識を得たシュナは、今や父を襲った集団の正体にも、その理由にも確信があった。


(お父様は……王家の血を引いていた、それだけで追いかけ回された。ちっとも他の人を邪魔なんかするつもりなんか、なかったのに)


 ひっそりと人目を忍び、隠れ住んでいた自分たちをあえて暴き立てた――その系譜に連なる、あるいはそれこそ正しいと信じていた人達の末裔。


 直接の恨みはないが、貴族の澄ました態度はかつて自分を物のように扱おうとした高慢な男のことも思い出させ、なんとなく苦手意識を抱えたままである。



 が、しかし、泣き言ばかり言っていられない。


 デュランは将来の迷宮領当主。その彼と一緒に暮らしていくという事は、必然的に王国貴族達とそれなりの頻度で関わらざるを得ない、ということ。


 だかれこれは、いわば予行練習なのだわ!


 と勇ましく気力を奮い立たせていたはずの娘は、馬車から降りて早速回れ右したくなっていた。


「ようこそいらっしゃいました!」


 ずらりと左右に整列する、見目麗しい人の群れ。

 立ちこめるは咽せそうになるほどのかぐわしい香り、どこからか聞こえてくるは妙なる調べ。


 道には赤い敷物が敷かれ、先に続く建物の色は、青い屋根と白い壁がよく晴れの日に映える……豪邸というか、もう城だろう、これは。


 北東には領主の館があるのに、下手をすると――いやもう確実に、見た目だけならこちらの方が充分派手派手しい。


(す……すごい自己主張……!)


 早速白目になりかけるのを頭の片隅に残ったなけなしの理性で堪えながら、娘は感想を総括する。


 ただ、思わず一緒に来た護衛や付き人達を見回せば、他の者達も目を見張ったりあんぐり口を開けっぱなしにしたりげっそり疲れたような顔をしたり……という様子なので、よかった少なくとも城勤めの皆は自分と同じだ、とほっと胸をなで下ろす。


 否。ほっとするのは早すぎる。


(……あら? それってつまり、常ならざるほどあちらが気合いを入れて出迎えている、ということなのでは……)


 それってもしかせずとも自分にとっては割とまずい状況なのでは。


 たらりと冷や汗が背を伝うも、時既に遅し。ここは相手の家である。


(やっぱりもう少し経験値を積んでからお受けすればよろしかったかしら……)


 と結構後悔しながら、エスコート役に半ば引きずられていく小娘なのであった。

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