伝承 竜乗りの男

 昔、昔。

 永久に栄えていくかと思われた帝国の地下には、迷宮が広がっていました。


 いつから存在していたのかはわかりません。

 けれど人はずっと昔から知っていました。

 そこは危険な穴の底。隔絶されたもう一つの世界。

 魔物を打ち倒し、幾多の危険な部屋を越えた勇気と運を持つ英雄には、望む物が与えられるのです。

 ――相応の対価と引き換えに。


 昔、昔。

 一人の若い男が、この深い穴に落とされました。

 何も持っていない彼のことを、一匹の竜がその爪に引っかけて運んでいきました。


 茨の冠に手鎖足鎖。

 あつらえられた新品のような白布の服。

 若い身体は全身傷だらけ。

 どこか満足げな表情。

 品のある顔に広がる醜い痣。

 諦めたような光のない目は、どこか澄みきった汚れなき暗闇のよう。


 矛盾し、相反する特徴を様々持っていた人間だったので、きっと竜は興味を抱いたのです。好奇心旺盛で人懐こい生き物ですから、男を自分の巣まで運んでいき、献身的に世話を始めました。

 戒めをほどき、傷を癒やし、迷宮の中で死んだ人間の遺品を片端から集めてきて並べて――時々うなされる彼の顔を舐めてみました。竜は悪戯好きな生き物でもありましたから。


 てっきり食べられるとばかり思っていた彼は、一向にそんな気配を見せない竜と、次第に回復していく自分に困っているようでした。


「お前、こんなことをしてどうなる。肥えさせて食べるのか?」


 彼は竜にそう問いかけました。竜は首を傾げ、ピイピイと囀りました。


《まさか。ぼくたちにそんなこと無意味だよ。それに人間がいつ死ぬかなんてぼくたちにはわからないもん、全て君たちの積み上げた選択の結果さ》


 男は相変わらず、何とも言えない顔で竜を見つめていました。

 竜は気がつきました。

 彼らの使う言葉と人間の使う言葉は違うので、聞き取ってもらえるのにはコツがいるのです。

 竜は自分の顎の下の鱗を引っぺがして、男に与えました。

 それを持っている間、男は竜の言葉を理解するようになりました。


《大体、ぼくたちを人食い呼ばわりするのは間違っているよ。ぼくらはただ、入って来た人間達を観察して、試して、それで駄目だった時は終わらせる、それだけなんだから》

「私を殺さないのは、観察のためか?」

《君みたいな面白そうな人を、どうしてぼくが殺さないといけないのさ?》


 相変わらず、自分の境遇には納得が行っていないようですが、次第に寝たきりの状態から身体が幾分か動かせるようになってくると、竜の後について迷宮を回るようになりました。

 時折危険な魔物にふらふら寄っていこうとしたこともありましたが、全て彼の隣の心強い相棒が退けました。


《だめだめそんな、つまらない死に方をしないで! もっと楽しませて! 君みたいな人、滅多にいないんだから!》


 囀るように、歌うように竜が吠えると、彼は重たいため息を吐き出しました。

 他にすることもなかったので、男は迷宮を回って拾いものをしては、細々と生きていました。


《ああでも、一つだけ注意しないといけないことがあった》


 ある日、黙々と鱗を持ちやすい形に加工している男の作業を見守りながら、竜が今思い出した、というように声を上げました。


《君のことは迷宮神水エリクシルで蘇生したのだけど、これは迷宮に流れる血であり涙なんだ。傷を癒やし、若さを保ち、あらゆる加護を授けるけれど、代わりに代償も負うことになる。迷宮神水エリクシルに身体を冒された者は、迷宮から出られなくなるんだよ。正確には、出て一定時間経過すると、自爆スイッチが入る、って言うのかな。だから迷宮の生物は誰もここから出られないのさ、皆身体に迷宮神水エリクシルが流れているから》


 男は「なんだそんなことか」という顔で竜を見ました。


 もとより地上に帰ることはできません。

 こうして蘇生されたのだから積極的に死を望むのも違う気がして生きていますが、彼の生きる理由は全て奪われ、失われていました。

 戻って何になるというのでしょう。きっとまたすぐに捕らえられて、無意味な苦痛を受けるだけなのです。


「それなら問題ない。私はここに死にに来た。少し時間に猶予ができたようだが、遅かれ早かれ同じこと。余計な事をするつもりはない」


 すぐに鱗の加工に戻った男を、竜はくりくりした目で面白そうに見つめました。


《そう? それならせっかくだから、迷宮の奥を目指してみなよ。ぼくもついていくよ。きっと楽しいから》

「それで何になる? そこに何かあると言うのか」

《一番奥までたどり着けたら、ぼくらの女神様に会えるよ。彼女は対価と引き換えに望みを叶える。……人の望むもの、なんでも》


 男は半分ほど伝説、誇張された噂の類だと思っていた女神がどうやら実在するらしいという内容に多少興味を惹かれたのか、顔を上げました。


「私に望むものがあるとでも? それとも折角だから死を賜ろうか」


 顔一杯に自嘲の笑みを浮かべた男に、竜はきらきらと輝く目で語りかけました。


《たとえば一緒にいてくださいって言ってみれば? あの人はとても誠実だから、約束を必ず守るよ》

「どうして、そんなことを……」

《ぼくは竜だから。君の竜だから。君の欲望ネガイなんて、お見通しなのさ。君、寂しいんでしょう。今度こそ君を大事にしてくれる、損なわれることもない人が現れると言ったら?》


 訳知り顔で笑う竜をきょとんと見つめてから、男は手元に目を落とします。

 一つ、二つ。ナイフを動かして、鱗を――ネックレスに加工したそれを胸元に提げてから、彼は立ち上がりました。


「そうだな。……死に損なったせいで、有り余るほど時間ができたんだ。それも悪くないかもしれない」

《そうだよ、その意気だ。ぼくに君の選択を見せてよ》


 竜の声に、彼はまた重たくため息を吐き出しました。

 けれどどこか諦めたようにも見える表情の中に、ほんのわずかどこか楽しそうな光を宿して――彼は伏せた竜の背にまたがったのでした。




 そうして一人と一匹は、二人して幾多の困難をくぐり抜け、ついに女神様のところにやってきました。


 男は女神様に望みを請いました。

 彼女は男の希望に応え――彼に迷宮の至宝を与えたのです。

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