竜騎士 謎を追う 8
軽々と塀を跳び越え、半ば破る勢いで扉を開いた。
近くにいた人からどよめきが上がるが、入ってきたのが若様と知ると素早く目的地まで案内をする。
「状況は!」
「やあ超特急便、素晴らしいペースだ!」
「そんなことよりニルヴァは無事か!?」
「息はしています。今の所、だけど」
竜騎士に応じたのは女性二人分の声だ。
片方は城に常勤している医師ポラリサ=オルビアだ。
頭も服も真っ白な彼女は、寝かされた少女の横に道具を広げ、片膝をついている。
少々意外な顔ぶれは、その隣になぜか陣取っている学者、ゼレスタ=ハルファリエ。
ニルヴァが寝かされているのは私室スペースの客間の一つ、深夜にさしかかっているこの時間に学者がはびこっていることにはいささか疑問を覚えるところだ。
「オルビア先生は呪術専門外。まあ私も専門家ってわけじゃないが、いないよりは役に立つ。何に使うのかわからない無駄知識をいろいろここに仕込んでいるからね!」
相手の顔を見て何を思われているのかわかったのだろうか、学者はチャーミングに片目をつむり、頭をトントンと指で叩いて示した。
この学者が知識欲を優先させていろいろなところに潜り込む癖は周知の事実、加えて地味に顔が広い。
医者のオルビアもまた、学者の友人の一人、ランチどころかディナーも定期的に一緒する程度の仲ではあるはずだ。ならばまあ、ギリギリ納得できないこともない。
実際、少女が寝かされた床に描かれている何かの魔方陣のようなものは、医者ではなく学者の方が担当したものらしい。
老女はデュランを手招くと、少女の首を指差した。
「手短に。推測するに、告発を阻止する呪術でしょう。転移でここまで飛ばされてきたこの子が何か喋ろうとした瞬間、首に徴が浮かび上がり、呼吸困難に陥ったとのことです」
「第一発見者が私の生徒の一人で助かったよ、尋常でない様子から呪術だと判断して咄嗟に少女の周りに円を描いた。欠けてない円の描写は筆記術式による保護の基本! これがちょっとだけでも効いたみたいだね、おかげで私達が来てもう少し楽になれるまでこの子の体が持った」
少女の最も近くにいたのは医者と学者だったが、客室には幾人か使用人が残っている。
その中に、チョークを持ったまま震えている年若のメイドの姿を見て、デュランはなんとなく事情を把握した。
おしゃべり好きな彼女達は、流行の物、それに少々怪しげな占いの類いも共通の趣味の一つである。
学者の伝授するまじないの多くは精神論に過ぎないが、幾分有効なものも混じっていたということなのだろう。
「呪術って基本的に、発動しちゃうともう止められないんだよね。術者を殺す、あるいは術者に返すって事もできなくはないけど、どっちにせよ相手が何者なのかわかってないといけない。破るには、術者以上の実力がないといけない。困った、この状況だと仕掛けた相手が誰かわからない。聞こうにもニルヴァは術を破らなければ喋れない。そこで私は考えた。一時的に停止ないし保留の状態にするぐらいなら――」
「ゼレスタ、講釈は人の命がかかっていないときにやってちょうだい! 優先度!」
幾何学模様をなぞりながら得意げに演説を始めようとした学者を、医師は短く叱咤する。普段は温厚な人間が怒ると余計に迫力があるものだ。指摘された知的好奇心の塊は咳払いし、横道から本題に戻ってくる。
「失敬。つまり、我々で頑張って即時完了しないようにとどめている状態だけど、このままだと時計の針を遅くしているだけ、最終的には死を免れない。君の鎧はいかなる危害をも寄せ付けない無双の宝器だ……こういうの、なんとかできたりしないかな」
「わかった。やってみる」
合図を受けると、医者と学者は少女から離れる。
ニルヴァ=ラングリースは魔方陣の中央で、仰向けになっていた。
両手を胸の前で合わせ、浅く胸を上下させている。
その細い首にはまるで絞められたような痣が浮かび上がる。よく見れば這う虫のように首を一周する線は蠢いており、ただの怪我でないことは容易に理解できる。
びっしりと額に汗を浮かべた少女は、近づく何者かの気配にうっすら目を開いた。
デュランは背負っている大剣をゆっくり引き抜きながら、穏やかに、優しい声をかける。
「ニルヴァ。必ず助ける。俺を信じて……できるか?」
ひゅう、ひゅう、と喉の奥から細く空気の通る音を漏らし、少女は頷いて再びまぶたを閉じた。確認してから、鎧をまとった男は剣を構える。
(対象に集中……排除したいものを確認……)
深く息を吸って吐く。意識を研ぎ澄ませると、普段は見えていない物が見えてくる。鎧の力の一つなのだろう。討つべきものは何か――やがて目に、少女の首の周りでとぐろを描く蛇のようなものが見えた。
(この鎧は、守るための装い。この力は、護るための力)
誰かが耳にささやきかけた、その声を聞いたか聞かないかの瞬間に剣を振り下ろす。
少女の首すれすれに、けれど彼女の周りでぐるぐると回っていた醜悪な蛇のみを大剣は断ち切った。
鎧越しに見る風景に、蛇が断末魔をあげて煙のように消えていく様子が映る。
ほとんど同時に、ニルヴァ=ラングリースがゲホゲホと咳き込み始め、医者が駆け寄ってきた。
「首の痣は消えている。もう大丈夫だ」
「まだ無理をしないで!」
「閣下、あたし――」
のぞき込んだ学者がコメントすると、答えようとするように少女が起き上がろうとする。止めようとする老女の手を押し返し、上体を起こした。
「もう大丈夫。落ち着いて」
「あたし、あたし――」
「閣下!」
「今度は何!」
呪いは追い払ったとはいえ、今にも容態が急変しそうな顔色の少女をなだめようとしていた大人達が、騒がしく入ってきた者を一斉ににらみつける。
一瞬だけ視線の圧にひるみかけた騎士は、けれど気を取り直したように、デュランに向かってびしりと敬礼した。
「報告いたします。ジャグ=ラングリースを発見しました」
「無事なのか!?」
「意識はありませんが、息はしている、と――」
「父さん!」
「うおっと!?」
「駄目よ、まだ立てるような元気はないんだから!」
知らせを受け、最も反応した少女だが、伝令の騎士に駆けつける前、立ち上がろうとしてよろめいてしまう。
ちょうど受け止める形になった学者が慌てて小さな体を支え、次いで医者が声を上げる。
「ご苦労。こちらに移送は……厳しいかな。オルビア先生、行ってもらえますか?」
「城から出ろと? こちらにも患者は残っていますけど」
「応急手当ぐらいなら私にもできるよ」
「あたしはいいです、もう大丈夫。どうか、どうか父さんを、助けて……!」
学者がのんびり言うと、それに触発されるようにニルヴァも発言する。
父の話題になると血走った目を向ける少女を見て、医師は目だけで「とてもこのままでは行けない」とデュランに訴えかける。
「君本人がよくないなら、部下でいい。なるべく腕のいい医師を送りたいんだ」
「ええ、そういうことなら。すぐに手配しましょう」
「頼んだ」
「お願いします、お願いします――」
「ニルヴァ。もう大丈夫だから、落ち着いて」
部屋を出て行く医師を追いかけようとした少女を押しとどめ、デュランは彼女と同じ目の高さまで腰をかがめた。
血色の悪い顔にまだたくさんの汗を浮かべた少女は、彼と目が合うとびくりと肩をふるわせた。
「あ、あたし――」
「酷い目に遭わされたってことはわかってる。でももう、大丈夫だ」
「違うんです。あたし、あいつのこと、て、手伝って……あ、あの人が……」
「あの人? ニルヴァ、大丈夫だからゆっくり喋って」
何度も何度もなだめられると、ガタガタと体を震わせ、視線を床に落としたまま彼女は続けた。
「トゥラさんが、助けてくれたんです。あたしのこと――」
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