竜姫 褒めて褒められる
帰り道は概ね平和に過ぎた。
ウィザルティクスが露払い役を勤めたおかげで、シュナは魔物との戦闘をせずに済む。彼はどうやらエゼレクス同様、戦闘の得意な竜らしい。シュナの見えない場所で多少の乱闘音を響かせては、するっと戻ってきて定位置に収まる。いつもこういう姿なら、確かに気位の高く人を選ぶ竜と言われて納得できるような気がした。
《姫様! 褒めてもいいのでありますよ!》
戻ってきたら胸を張ってそんなことを言うものだから、こういうところが……なんて思わず感じてしまう。
《ありがとう、ウィザルティクス。助かっているわ》
しかし頑張ってくれていることは確かなので、シュナは希望通りウィザルティクスを労った。すると背中のデュランが、
《俺のことも褒めてもいいんだよ、シュナ。いっぱい大好き、デュラン、とか、言ってくれてもいいんだよ》
なんて甘い声で囁いてくるものだから、銀色の竜の機嫌は急下降する。
しかし結局の所彼はデュランに近づけないので、ブーブー離れた所から声を上げる他何もできない。
シュナはちらっと背後を窺う。ニルヴァがどうやらこちらに注目していないことを確かめてから、竜騎士の希望通り応じた。
《デュラン。……いつも頑張っていると思うわ》
希望されていた賞賛よりいささか大人しいセンテンスかもしれなかった。いや、でもさすがにこう、「いっぱい大好き」はちょっとハードルが高い。率直に言って恥ずかしいではないか、一体何をさせようというのかこの男は。というか今割と飛ぶのだけでも大変なのだ、だから余裕がないと言うことで許されるはず。
多少の懸念はあったものの、竜騎士は特にシュナの声援に対して文句はないようだった。噛みしめて浸っている気配を背中から感じる。
(深いことを考えるのはやめましょう……デュランが喜んでいるのなら、きっとそれはいいことなのだわ)
実際、一瞬呆けてはいたが、やる気を注入された竜騎士はよく働いた。
時折後方を振り返っては、ネドヴィクスの上のニルヴァに声をかけている。少女は乗る瞬間は興奮で顔を紅潮させていたが、実際飛び出すとすぐに青ざめた。独特の揺れが酔うのか、単純に落ちそうなのが怖いのか。気を紛らわせるためだろうか、竜騎士は迷宮のことや外のこと、何気ない風情で雑談をしている。その合間に、時折シュナがふらつくと軌道を修正し、現在地や状況を確認してウィザルティクスとも連携を取っている。
《ウィザル。次の分かれ道は右に行きたい》
《それはあれでありますな、だから先行してヤバい物がないか調べてこいという意味でありますな。
《もちろん、その素晴らしい能力を見込んでお願いしているんだよ》
ぴー、とシュナのの口から思わず声が漏れる。
(わかってきたわ……デュランのこういうところって、実はとても怖い部分でもあるのだって……たぶん、本気で言っている分、ますます危ないのだわ……)
これまでの少ない経験からもすぐ推し量れるほど、ウィザルティクスは単純な竜である。一瞬間があって次に上がった声からは、少しだけにしろ険が取れていた。
《……右ルートだと遠回りでありますよ?》
《通路が広いはずだ。逆の道は、狭いし障害物もカーブも多い。俺とネドヴィクスはともかく、ニルヴァやシュナにはきつい。お前だって怪我はさせたくないだろう?》
《まあ、それはそうでありますが……》
《じゃあ頼んだ。シュナのためによろしく》
《この野郎……勘違いするなでありますよ! 此方は姫様のために働いているのでありますからな!》
《わかってるって》
(軽くあしらわれるってこういうことかしら……)
さすがに竜の扱いを心得、かつ人の中心に立っている男だ。銀色があっという間に通路の先に消えていく姿に感心していたら、またちょっとよろめいた。すぐにデュランが反応する。
《大丈夫、シュナ。焦らなくていい。少し右側に身体を傾けて……そこでキープ。呼吸して。力みすぎず……そう、その調子。上手だ》
「ああ、ニルヴァ。それだと前に出過ぎていて危ない。もっと腰を引いて。大丈夫、ネドはベテランだし支援型だから曲芸飛行はしないよ。真っ直ぐ進んでいるときは身体を起こして。……大丈夫、上がるときはちゃんと声をかけるから」
自分の竜の体勢を立て直させていたと思ったら背後のニルヴァの姿勢を指導する。気がつくのもすごいし、対応できるのもすごい。というかなぜできるのかわからない。
(……そんなすごい人の逆鱗なのよ、わたくしは。しっかりしないと。こんな所でフラフラしている場合じゃないわ!)
立て直したシュナが危なげなく右に曲がり、その先の障害物も軽やかに避けると、ポンポンとデュランの手が首筋を叩く。
そのまま狭い通路を進み、また少しゆとりのある部屋に入った所で、先行していたウィザルティクスがすっと戻ってきて横に並んだ。
《次の道は下に進むのであります》
《上の道じゃなくて?》
《元来た方は今捻れの予兆が出ているのであります。下の道の方が正解ルート、すぐ上に向かう道に変わるのでそこから第二階層に出るのであります》
《さすが秩序の竜。助かるよ》
《くっ……此方はこの苛立ちをどこにぶつければいいのでありますか!》
デュランは笑い声を上げてから、またニルヴァの方に注意を向け、優しく声をかけている。
砂の間まで無事に戻ると、行きよりも激しい砂嵐が一行を襲った。
風の勢いに流されそうになったシュナだったが、ウィザルティクスとネドヴィクスが並ぶと持ち直す。気がつくと、自分たちの周りだけ叩きつけるような砂と風が失せていた。
《障壁を展開したのであります。ビギナーズラックでありましょうかね。この中を初心者が歩いて帰るのはなかなか大変なのであります。豪華な足を得たことに感謝するのであります》
ウィザルティクスはニルヴァに向かってふん、と鼻を鳴らした。
「ここを過ぎたら待機所だ。大丈夫そうか?」
「はい。少し……慣れてきたみたいです」
顔色も持ち直して、確かに強がりではなさそうだった。きょろきょろと周りを見回して、ニルヴァは目を細める。
「いつもは下を歩いていますし、こんなに嵐が酷かったら目を開けているのも難しいですから……なんだか新鮮です」
「竜騎士の特権だ。楽しんでいくといい」
ニルヴァがくしゃりと笑った。
ずっと不安そうで、怯えが抜け切れていなかった彼女の見せた初めての自然な笑顔は、砂嵐の中で眩しく輝きを放って見えた。
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