若竜 竜騎士を見送る
ネドヴィクスは当初離れた所から本当に一歩も動かない、という構えだったが、リーデレットが何度か説得……というより物理的な体当たりを繰り返すと、渋々と言った様子を隠さず、それでも一応もう少し接近する。
《この子はシュナ。仲良くしてあげてね》
《既知。当然。無論。ネドヴィクス。従属》
《あら知ってたの……いやあのね、ネド。今従属って言った? 一緒にいてあげて世話をしてほしいってだけでなんだけど……》
《把握。遂行。予定》
《……本当に大丈夫なんだろうな?》
《……まあ、悪いようにはしないと思うわ。たぶん》
淡々と答えるピンクの竜を前に騎士二人は顔を合わせている。
《わたくし、シュナ》
《既知。自分。ネドヴィクス》
シュナが挨拶をしてみたら、一応答えは返してくれたようなので、悪い人(ではなく竜だが)ではないのだろう。
ただ、こう、恐ろしく会話を続けづらいのと、ちゃんと意思疎通できているのか大いに不安は残る。
《シュナ、本当に一人で寂しくない?》
《大丈夫!》
《ネドヴィクスと二人っきりで大丈夫?》
《……た、たぶん、大丈夫!》
《何なら俺、一緒に残ろうか》
「デュラン!」
全力で帰宅に後ろ向きの騎士に、女騎士は目をつり上げ、竜はきゅうん、と悲しく声を上げて尾をだらんと垂らした。
《だめよ、リーデレット様もああ言っているし……本当に、大丈夫だから》
《そっか……あのさ、
《もういらないわ。ううん、しばらくいらないわ!》
《そっか……そうだ、お土産は何が欲しい?》
《お土産があるの?》
《君のためなら俺はなんでもする。さあ、おねだりをするんだ》
《えっ……? わたくしは、なんでも嬉しいわ》
《わかった、俺の考える最強の土産を……》
《普通でいいわ、普通の奴がいい!》
《そう……?》
騎士の目が据わっていたので、シュナはちょっと引きながら答えた。彼女があまり物をねだらないのは、人のときだったら欲しかった物でも、竜になった今は果たして必要なのか確信が持てないという理由もある。
シュナの正面に陣取って執拗に質問を繰り返していたデュランだったが、言葉を句切って沈黙したかと思うと、ガバッとシュナに飛びついて首筋にぐりぐり赤い頭を押しつけながら嘆いた。
「あああ帰りたくないいい、でも帰らないとこのかわいこちゃんにお土産持ってこられないいい!」
「観光気分か! ちゃんと仕事しなさい! 目的をすり替えるんじゃないの!」
リーデレットが突っ込みを入れたが、騎士は聞いていないらしい。なおもシュナから離れようとせず、言い残したことはないかものすごく真剣に考え込んでいる。
《悪い人についていっちゃ駄目だからね!》
《まあっ! わたくし、そんな子どもじゃないわ!》
《うっ……浮気したら、泣くからね! 俺は大泣きするからね!》
《うわきって、なに……?》
「孤高の覇者様、そろそろ自分がファフニルカ侯爵の一人息子で、迷宮探索にも魔物討伐にも一番長けていて、地上に戻れば引く手あまたの騎士様ってことを思い出していただけないかしら。あたくし、貴公を正気に戻すために一発お殴り申し上げようか、今ちょっと真剣に悩んでいるのだけど」
腕組みをして催促するように指をトントンと叩いていたリーデレットは、一度手をほどいたかと思うと今度は拳を握りしめ、バキンボキンと平穏でない音を立てている。
いくらデュランが鎧を着込んでいると言っても、あれは気付けというより、とどめを刺す一撃なのではなかろうか……とシュナに怯えの震えが走ると、同じことを思ったのか、それとも悪あがきはここまでと悟ったのか、ようやくデュランは竜から離れ、リーデレットの方に足を向ける。
身体はリーデレットに向いているのだが、顔は何度も何度もシュナを振り返る。足が義務感で動いていても、顔の向きと表情と重心のかけ方が如実に気持ちはどこにあるのか表していた。
「あんたねえ、そんな……今生の別れじゃないんだから……ネドだっているんだし」
リーデレットは片手で顔を覆い、ふーっと大きく息を吐き出しながら、慰めるようにぽんとデュランの肩に手を置く。
「シュナーッ!」
「はいはい、遊びはここまでですよー、観念して帰りましょうねー」
……いや、あれは慰めとかそういう優しい物ではなくて、純粋にデュランを捕獲して引きずっていくための一手だったのか。
ずるずる踵を地面にめり込ませつつ連行される相棒の様子を見て、主にこう、本当に自分がついていなくてあの人大丈夫なのかな、とか色々心配な気持ちが湧き上がらないでもない。
しかし、今まで得た情報から、デュランは問題なく外で暮らしていた人間で、一人で迷宮内部をうろうろしても無事で済むような実力者なのだ。ではむしろ心配をせねばならないのは未経験だらけの自分の方、とシュナは己を奮い立たせる。
「ネド、後はよろしくねー!」
《肯定》
《いってらっしゃーい》
リーデレットが崖の上から元気に手を振った。
彼女の逆鱗は短く、産まれたばかりの若竜はいささか暢気で素直な見送り言葉で応じた。
しかしあの金髪の女性、細身で華奢なのにどこからデュランを力尽くで引っ張っていけるだけの力を出しているのだろう。世の中にはまだまだ不思議ばかりだ。
騎士達の姿が見えなくなると、辺りにはしーんと沈黙が落ちた。
シュナはこっそりピンクの竜を見る。
不動だ。瞬きすらしない。徹底して動かない。
《あの……》
《対話。判断。保留。故。基本。不能》
ピンクの竜はほとんど口を動かさずにそう答えてきた。
シュナは一瞬硬直するが、冷静になって考えてみる。単語の羅列から意味を推測してみて……。
《……それは、わたくしとあなたは、お話できないってこと?》
《肯定》
シュナはがっくりうなだれた。むうと頬を膨らませてふてくされた表情になってから、どっかり身体を横たえる。
《じゃあ、わたくし、寝る! お話ししてくれないなら、デュランが帰ってくるまで寝ちゃうんだから!》
《了承。監視。任務。遂行》
……たぶんこれは、わかったよ、問題ないから眠ってなさい、というようなことなのだろう。
横になって目を閉じてみたシュナだが、そもそもどうしても睡眠が欲しいと言うほど疲れているわけでもなく、以前の寝起きの心地悪さやあまり見知らぬ相手が側にいる緊張もあってか、意識ははっきりしたままだ。
《提案。睡眠。導入。ネドヴィクス。可能》
居心地が悪くて寝返りを打つと、抑揚のない声が投げかけられた。
シュナはちょっと考えてから、ピンクの竜をじっと見る。
《あなたが子守歌を歌ってくれるの?》
《……コモリウタ》
これは初めての反応だ。単語をそのまま繰り返したと言うことは、わからない、という意味だろうか。
《知らない? 子どもを寝かせるために、親が歌うのよ》
《……困惑。ネドヴィクス。不足。可能。音波》
うーん? と今度はシュナが疑問符を浮かべる。子守歌は歌えないが、別の手を使う、ということだろうか?
ネドヴィクスは実践した方が早いとばかりに、口を少しだけ開けて喉を震わせ始めた。
不思議な響きが、波がシュナを包み込む。
すると彼女の瞼はあっという間に閉じ、意識もすとんと落ちていく。
ゆらゆらと、水の中に浮かぶような感覚は。
どこか懐かしく、安心できるのに悲しく……どこまでも、寂しかった。
ぱちり、とシュナは目が開くのを感じる。眩しくてぴゃっと声を上げてから、今度はゆっくりと身体を起こした。
寝ぼけ眼で周りを見渡すと、側にピンク色の竜が立っている。
《……ネドヴィクス?》
《肯定》
《おはよう。ありがとう、ずっとそこにいてくれたの?》
《了承。感謝。配慮。不要》
……邪魔なく眠りを取れて寝起きもすっきりした頭だが、この竜はまだよくわからない。
《わたくしが寝ている間、何か変わったことはあった?》
《否定》
《デュランは? リーデレット様は?》
《不帰。未遂》
《ええと……まだ帰ってきてないのね》
それならば、と少し考えたシュナは、側の川まで飛んでいくことにした。
寝起きなのだ、さっぱりしたい。ざぶん、と身体を水の中に沈め、歓声を上げる。
《冷たい! 気持ちいい!》
《疑問。姫。洗浄。嗜好》
ネドヴィクスは律儀にも後をついてきたが、水の中には入らず岸でシュナを見守っているつもりらしい。
《あなたは洗わないの?》
《不要。竜。清潔》
《そうなの?》
《戦闘。後。不浄。故。洗浄》
《……基本は綺麗だから洗わないけど、汚れたら洗うのね》
《肯定》
相変わらず言っていることは半分以上わからないのだが、眠れなかったら助けてくれたし、聞けば無言ではなくちゃんと何かしら反応が返ってくる辺り、全くの不親切というわけではなさそうだ。
存分にすっきりしてから、では案外会話もできるのではないか、と考えていると、そんなシュナの様子を見て向こうも何か思う所があったのだろうか。ネドヴィクスがかぱりと口を開いた。
《竜。皆。判断。保留。姫。対応。不明。前例。無。故。対話。非推奨。自分。欲求。姫。対話。選好》
《ええと、ええと……その。竜には竜の事情があって、本当はわたくしとはあまりお話をしちゃいけないってことになっているのだけど、あなた自身はわたくしと話をしてもいいと思ってる……ってこと?》
《肯定。姫。聡明》
……どうやら褒められているようだ。
こういうときってどういう顔をするのが正解なんだろう、それから次はどう話しかければいいんだろう、とわたわたしているシュナの頭上から、ぴゅうっと口笛を吹くような音が降ってきた。
《ネドは会話機能が充実してないんだから、話を聞きたいならもっと口数多いの選ばなきゃ、シュナ。お馬鹿さんだねえ》
聞き覚えのある声にはっとしたシュナが上方向に顔を向けると、ばっと岩陰から緑色の影が飛び出し、二匹の側に舞い降りてくる。
シュナがびっくりして目を丸くする横で……ネドヴィクスの方は、気のせいでなければ嫌そうな顔になった。
《ハーイ、シュナ。元気?》
つい先日、いきなり接触してきたかと思ったら消えた緑色の竜は、またも特に前触れなくやってきて軽やかに挨拶を投げかけてきた。
友好的であろうことはわかるが……なぜだろう、こう――。
《そうか、こういうのをうさんくさい、って言うのね!》
《君、可愛い顔して時々ざっくり刺すよね》
思わず口に出してしまったシュナに緑色の竜は反応の声を上げたが、不機嫌になった様子はない。シュナは首を傾げて記憶を手繰る。
《あなた……ええと、エゼレクス?》
《イグザクトリー。女神の隷属者であり監視人たる竜の一人。混沌と異端のエゼレクス。ちなみにネドは正式には中立と観察のネドヴィクス。まあ覚えても覚えなくてもいいよ、ただの記号だから》
この竜は色々と教えてくれる親切な気配もあるのだが、何しろこちらへの配慮が感じられず、未知の情報をぎゅうぎゅう詰めにしてくる傾向がある。会話するにあたって、ネドヴィクスとは真逆の厄介さを持っていると言うか……理解と推測で頭が忙しいという意味では、二匹とも大差ないとすら言る。
ええと、それってつまりどういうこと、と頭を抱えているシュナの横で、ネドヴィクスが……人間っぽく表現するなら眉根を寄せたまま、ぽつりと声を上げた。
《疑問。エゼレクス。謹慎中。姫。接触。不可能》
《ぼくにそんなもん通用するはずがないだろ。混沌の頂点様だぜ、こちとら》
《不良。馬鹿。アホ。間抜け》
《おいこら途中から罵倒が雑だぞ、もうちょいボキャブラリー頑張れ。……いや一応まだ何もしてないだろ、だからそう皆してぼくを見た途端速やかなアグアリクスへの通報の構えを取るのはやめるんだ。ぼくは不審者かよ。人間じゃあるまいし、そんな気軽に警告音出すんじゃないよ》
ピンクの竜は緑の竜が喋っている途中で喉を震わせ、先ほどシュナの耳を痛めた警告音を鳴らそうとしていたようだが、エゼレクスが不満の声を上げるとピタッと止まった。やれやれ、と緑の竜は頭を振る。
《はー、これで一安心。いやね、別にいいけど、いつものことだけどね? あいつに噛まれるとさ、結構いてーんだよ。何かした後ならともかく、何もしてないのにキスマークだけつけられるのはさすがに不本意だから》
《キスマーク。否定。噛み跡。正解。憤怒。証拠。正解》
《もっとリリカルでシニカルな表現を学びたまえ、ロボドラゴンや。と言うかまずは単語のつなぎ方から覚えよう? ぼくが冗長すぎるという反論をするには君、あまりに情緒なさすぎ》
横で会話を聞いて必死に状況を理解しようとしているシュナだが、何しろ緑の竜が恐ろしく早口なもので(しかも驚きの滑舌の良さで全く噛まないので)、聞き取るだけで精一杯。そう思っていたら、いきなりこちら側に話を振られた。
《で、シュナはこんな所で何してんの?》
《待機》
《……ええと。あのね、わたくし、デュランを待っているのよ。迷宮の外に用事があるんですって》
間髪入れずにネドヴィクスが先に答えた。少し遅れてから、シュナも続く。
エゼレクスの金色の目がきらりと光った。
《ふーん。ねえ、それじゃ暇じゃない? なんかぼくにお願いしてみない? ぼくのしたいことなら何でもしてあげるよ。あ、でもあんまシュリを刺激しすぎない方がいいけどね。何起こるかわかんないし》
《警告。軽薄。出しゃばり。目立ちたがり》
《うっさいよ口下手。お前じゃぼくを黙らせるのには役者不足だっつーの》
また竜二匹でピイピイ合戦が始まりそうになった所で、シュナは慌てて声をかけた。
《その、シュリってだれ? この前も言っていたわ》
聞きたい質問は山ほどあるが、最も気になっていたかつ今話題に出たことを、ここぞとばかりに押していく。
エゼレクスはきょとんと目を丸くし、何気なくあっさりと答えた。
《あれ? わかってなかったの? シュリは君の――お母さんじゃないか》
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