竜 響く歌声

 羽音が響くと何頭かがぴくりと耳を動かし、顔を上げた。


 大きな黒い影が宙を進んでいくと、周囲からピイピイとかしましく音が鳴り響く。


 人間達は迷宮の出入り口付近を待機所と呼んでいたが、彼ら竜にとって本当の待機所はここにあった。

 そこは縦穴だ。円筒系で、上部から光が降り注ぐ。

 壁面のあちらこちらに空いている穴の中は部屋のようになっており、各々が好きな場所で居眠りをしている。


 穴の底には迷宮神水エリクシルで満たされた噴水があった。

 通り過ぎる度降りかかる同族からの挨拶に適当に返した黒い竜は、数度羽ばたいてから水場に着地し、大きな身体を折り曲げて淵に口をつける。


《お帰り、アグちん》


 知り合いの声が聞こえて彼は咄嗟に顔を上げた。

 緑色の身体の竜が、ばさばさ音をさせながら彼の横まで下りてくる。

 そのすぐ直後に、ピンク色の竜が同じように降り立った。

 どうやら二体とも気になって仕方なく、待ち構えていたと見える。


 周囲の他の竜も、穴の中からアグアリクスの様子を見下ろしてはいるが、気軽に絡もうとする様子はない。

 混沌の頂点は元から他竜に比べて著しく思いやりと慎みに欠けている(※アグアリクス評)し、逆鱗の竜の方は普段はもう少し大人しいのだが、目覚めた彼女の最初の寝守りを務めたのだから、当事者意識に燃えているのだろう。相変わらず会話ベタなので、エゼレクスに早く喋れとでも言うような目を向けている。


《で、どう? 聞き出せた? バレてない?》

《さて。どうやら適応と擬態には成功しているようだ。推測するに、防衛機能が作動したな。ファリオンの皮を被っているらしい》


 ほっ、と安堵の息があちこちから聞こえた。

 すぐにピイピイとうるさくなるが、アグアリクスがまた口を開くと皆そっと黙って耳を澄ませている。


《マジで!? そんなことできんの!? さっすがシュリ……いや、シュナ自身の能力なのかな。しかし本人まんまの見た目は絶対アウトとしても、ファリオン……ファリオンの見た目してんのかあ。あいつも結構目立つ特徴持ちだったからなあ、悪目立ちしない?》

《さてな。薄々勘づいてはいるようだが確信するには証拠不足であろう。そうそう、ついでだから伝承を当たれと助言しておいた。外の世界でどこまで正確な記録が残っているかは不明だがな》

《おい、大丈夫かよ、そんなサービスして……》

《しばらくは人間の常識とやらが妨げてくれるだろうよ。まあ、すぐに露見するのも問題だが、最終的には気がついてもらわねばな。困るのはシュナの方だろう?》


 エゼレクスは苦悩するかのような唸り声を上げた。ネドヴィクスはその横で考え事に忙しそうである。他の竜達も互いに顔を見合わせて首を捻るか、あるいは瞬きしながら縦穴の底に首を伸ばしている。

 アグアリクスは一度また流れる迷宮神水の中に頭を突っ込んで、補充を行った。満足いくまで喉を潤せてから、そうだ、と続きを始めた。


《それと我々にとっては朗報だ。迷宮の呪いが中途半端に発動したか、人間形態のシュナは言葉を話せないでいるらしい》

《ほー。そいつはよかった。あの物知らず、何を口走るかわかったもんじゃないからな。下手すりゃ自分からシュナだって名乗りかねない》

《その無知な箱入りを、シュナと名乗る行動の意味と重要性を、何もわかっていないまま叩き出してしまったのは我々の不手際だぞ》


 大いに心当たりのあるらしいエゼレクスは仏頂面になって黙った。代わりに隣のネドヴィクスがおもむろにカパッと口を開く。


《提案。騎士。情報。開示。協力。要請》

《却下。不確定要素が多すぎる。というかメリットが薄い割りにリスクしかない。議会でもそういう結論になったはずだろ。そりゃアグちんもちょっとはヒント出したみたいだけど、お宅の所に転がり込んだ女の子、うちのシュナですよろしくお願いしますって、ド直球に言えって? 無理無理駄目駄目絶対ナシ、あんなに可愛くて美人でおまけにさらに価値があるけど何も物知りませんって自己紹介させることになるんだよ? ぼく知ってるよ。カモネギって言うんだよ、そういうの》

《選別。人間……》

《ネドヴィクス》


 ピイピイやり合おうとした二匹だが、秩序と正統がたしなめると黙り、揃って黒い竜の方に顔を向ける。


《確かにお前の逆鱗もデュランも、善き心を持ち能力のある人間だ。こちらの事情を明らかにし、助力を請えば必ず力になってくれるだろう。……だが、至宝を求めるものとは、個のみではない。秘密を守ろうとするなら彼らへの負担は増し、協力者を増やそうとするならほころびが生まれよう。お前の半身を信頼していないわけではないが、過信もできぬという話なのだよ。人の集団は我々とは性質が異なる》


 年長者が幾分か若い竜に言い聞かせるように言うと、ピンクの竜は黙り込むが、表情には不満が表れている。


《それに。忘れたとは言わせないぞ。我らが主の慟哭を》


 アグアリクスが最後に静かに付け加えると、ピンクの竜ははっと顔を上げてから恥じ入るように伏せる。

 しんと静まりかえった場に、ぶー、とエゼレクスの鼻息が鳴り響いた。


《百年前のことを持ち出すなら。ぼくはそれこそ、人間の協力を得ようとすること自体、しなくていいと思ってるけどね。デュランはいい奴だよ? でも所詮人間だ。秘密は秘密のまま、迷宮に来たときだけちょっと力を借りればいーじゃん》

《自分でも何度か繰り返し言ったことだろう。主はもう全盛期の力を発揮できない。そして我々は外の世界に対して無力だ》

《だから、外に出て行くこと自体が間違ってるんだってば》

《それはお前の主張であって、主や本人の意思ではなかろう。シュナの未来を考えるのなら、人の手は必ず必要になる。シュナとシュリが二人とも応じた次代候補ぐらい、少しは信じてやれ》

《あのさあ。思い出してほしいことがあるんだよね。シュリが選んだ男って、ファリオンだよ? 別に人の趣味についてとやかく言うつもりはないけど、ぼくらの女神様がぞっこんだった男って、あのファリオンだったわけだよ? で? 信じるの? あの人の審美眼というか、男を見る目》


 ピタッ、と会話が止まった。あ、の形に口を開いたネドヴィクスがエゼレクスからゆっくりアグアリクスの方に顔を向ける。


《変人。奇人。変態。狂人》


 ネドヴィクスのボソッとした声に誰も否定やツッコミを入れない。いや、入れたくても入れられない、の方が正しいのだろうか。


《……ま、ぼくらの予想のつねに斜め上を行ってはいたけど、そこを加味しても確かに悪い奴じゃなかった。それは認めるよ》


 最終的にこの何とも言えない場の空気を作り出す元になった本人が堪えられなくなったのか、そっとフォローするように言った。アグアリクスは咳払いのような音を立てている。


《我は秩序と正統。主に従うのみよ。我らが肯ってやらずに、一体誰があの女に寄り添うてやれると言うのだ。望みを託した半身を奪われ、自ら死ぬことすら許されず、ただ我が子への情念のみを縁とし、永劫の苦痛の中でかろうじて正気を保とうとしている。我ら以外の、誰があの愚かで哀れなのために嘆いてくれるというのだ。涙を流す意味を教えた男も、もうこの世のどこにもおらぬ》


 無音が辺りを支配した。誰も言葉を出さなければ、身動きの音すら聞こえない。


 すると、まるでその空白の隙間にそっと潜り込むように。どこからか、少女のような女性のような、誰かの歌う旋律が途切れ途切れに流れてくる。


 ――星を。星を見に行こう。いつか流れ星に、願い事を祈りに行こう……。


 それは歌詞というより、念だった。音に合わせて迷宮を漂う、女の寂しい一人歌だ。飽きもせず繰り返される旋律を、追いかけるようにどこかの竜が鳴き声を上げる。

 一匹が二匹に、三匹に……やがて縦穴中の竜が、同じ旋律を繰り返す。


 ――おやすみなさい、愛しいあなた。夜の帳が下りてくる。暗い夜でももう大丈夫。ずっとずっと、ここにいる。あなたが夢を覚ましに来るまで、わたしはここで待っている……。


 優しくも物悲しげな響きの歌は、合唱になると不思議な強さと力を帯び、やがて尾を引くような余韻を残して消えていく。

 最初に歌った主の声が消えても、何頭かは旋律を繰り返す。


《……今日は少し、ご機嫌みたいだね。きっとちゃんと、いい夢を見られているんだ》


 エゼレクスが目を細めるのとほぼ同時、アグアリクスもネドヴィクスも同じ表情をする。種族特有の、不思議な共鳴。


 彼らは首を上げ、円筒の上部、光が差し込んでくるところを見つめて、喉の奥を震わせた。


 それはどこか、祈りを捧げる人の姿に似ていた。

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