五章:秘密持ち 変化の兆しが訪れる

亜人 悪巧みをする 前編

 竜騎士が逆鱗と共に、波乱と安らぎのある一時を過ごしてから数日後の事だった。


 迷宮領という場所には様々に個性的な人間が集っている。けれどやはりなんとなく同郷同士は固まりやすいもの、かっちり決まっているわけではないが、各地方の居住エリアや活動エリアはなんとなく東西南北で分かれて緩やかにお互い棲み分けていた。


 北は現地の人間達の場所。迷宮への入り口にそれを見張る城、そして女神のためのささやかな神殿が存在する。城に近づけば騎士達の姿が増し、離れれば冒険者達の姿が目立つようになる。日中はどこも人で賑わっているが、より北に近づけば近づくほど夜間は静かだ。笑い声を上げながら様々な姿形の人々が忙しそうに歩き回っている様は、最も迷宮領らしいと言えよう。


 東が神聖ラグマ法国由来の人間達が集う場所。星神アルストラファルタをまつる神殿を中心に、ラグマ法国特有の帽子と巻頭衣を身につけた人々が行き交っている。ここはまた独特の雰囲気を放っていた。もともとラグマ法国の人間達は迷宮に快い感情を抱いていない。けれど実際その場所に住むとなれば、往来で大声の批判を上げるような態度もまた愚行。するとここに集まる、送られてくる人間達は自然と「表向き穏やかで寛容、面倒ごとを起こさない」者達になる。ユディス=レフォリア=カルディはその最たるものだろう。

 迷宮には怪我人がつきものだ。ポーションに頼るのにも限界があり、法国の慰術もまた冒険者達の生活に欠かせない。だが、この一見誰よりも親切に見える人間達は、ふとした拍子に全員が笑顔のまま手を振り払ってくる恐れがあるのだ。平和なのに奇妙な緊張感が漂っている。この地区はそんな空気をまとっている。


 西がヴェルセルヌ王国の人間達が籠もっている場所。貴族が滞在するための館を中心に、華やかな装いの人々が目立ちがちだ。領主の館と少々離れた場所に滞在者用の贅沢な建物がこしらえられているのは、初代領主が色々言われるのを嫌がって適当に理由をつけて離しただとか、王国の人間達が迷宮への入り口にほど近く、また一度は倒れた王城で過ごすのを嫌がって自主的にゴネただとか、穏やかではない噂に事欠かない。ともあれ、昔から続く本国と迷宮領の微妙な距離感をそのまま体現しているというわけだろう。

 ちなみに三国の中で最も土地が豊かであると評判のヴェルセルヌ王国は、美食国家でもある。初代迷宮領当主は名ばかり貴族、お察しの生まれ――要するに「腹に入って栄養になるならなんでもいい」精神、しかもお手本のような貧乏舌であり、さらに効率重視なところがあった。貴族となっても味覚的センスは変わらず、ファストフードの開発にはそこそこやる気を見せたが、食を楽しむ文化には終ぞ目覚めることがなかった。代を経て多少はマシになったが……まあ、そんなわけで、迷宮領がヴェルセルヌ王国からなんとなく離れがたい理由の一つは料理に起因しているのだった。


 空間の話に戻ると、残る南にはギルディア領の亜人達の姿が多く見受けられる。港に近いこの区域はギルディア領特有の陽気さと危うさを孕んでいた。表通りはほどほどの治安だが、一歩裏道に入れば命の保証はない。


「港側の暗い道は、たとえ真っ昼間でも絶対に通っちゃいけない。面倒でも表の明るく大きな道を歩くこと。近道なんてしたら人生を縮めることになる」


 とは迷宮領の子供達が物心ついてくるとたたき込まれる文言だ。騎士達も表側で騒動が起きれば速やかに鎮圧するが、暗がりで起きた事件には、凶悪なもの――たとえば殺人等に発展しない限り、多少目を瞑って見逃す傾向があった。互いに無言の不可侵同盟というか、自分たちの所で騒がれたら許さないが、代わりに相手に文句もつけない。そんな関係性を築いているのだった。



 さて、そんな迷宮領南部、港地区、危ない通路の一角。


 朝靄の中を、鼻歌を歌いながら歩く人物がある。ぴょこぴょこと動く耳も、左右に揺れる尻尾も灰色。目の色は金で、獣にしたら狼そのものだ。

 時折道の端にうずくまる、あるいはたむろする汚らしい服装の亜人達が音の方に不穏な目を向けるが、音源を確かめると誰しも、慌てたように顔をそらすか、あるいは怯えた様子で逃げていく。

 彼にとっては表通りも裏通りも大差ない。何しろ誰も敵わないから。


 特級冒険者ザシャ=アグリパ=ワズーリは、汚らしく薄汚れた小道を何度か回り、やがて今にも崩れ落ちそうな建物の中から一つの扉にたどり着く。


 慣れた様子で押し開けると、蝶番が軋む。彼が扉を閉めた後しばし待っていると、程なくして奥から小さなカウンターに人が顔を覗かせた。腹の出た中年の亜人はしかし、入ってきた人物を確認するや否や、露骨に「うっ!」と何かを喉に詰まらせたような顔になった。咥え煙草を落としそうになったのを慌てて押さえると、そのまま奥に引っ込みそうになる。


「オハヨー、ギザ。どしたの? 調子悪い? いい薬師紹介しよっか?」


 ザシャはそんな相手にかまわず、至って明るい調子の声をかけた。すると店主は観念して急病の装いは諦めたが、ぶつぶつ低い声で文句を言うのは忘れない。


「何がオハヨウだこの野郎、てめえの顔見たら吐きそうだぜ。それに薬だと? 一体何人それで今まで人生台無しにされたと思ってんだ、俺ァそれだけはやらないって決めてんだよ」

「酒と煙草だって似たようなもんだと思うけどねえ」

「酒はほどほど、煙草コレは死ぬまで。全然ちげーんだよ。……で、何しにきやがった。とうとう俺の宿まで犯行現場に仕立てようってのか?」

「あはは、ギザったらばっかだなあ! 足のつくような場所でいけないことなんてしないよぉ、あっという間にしょっぴかれてつまらないじゃん? ……あ、もし僕がそういうことをするならって仮定の話ね」


 冗談なのか本気なのかはかりかねる態度ですらすらと冒険者は述べた。薄目で特級冒険者を睨んでいる店主の方に数歩進むと、カウンターに笑顔のままバンと手を置く。


「オルテハいる? っていうか、きてるんでしょ? 部屋はどこ。鍵ちょーだい?」


 ザシャが手をずらすとその下から金貨が現れる。

 店主は「なんだ、あいつに用事かよ」とほっと息を吐き出し、少しだけ緊張を解いたようだった。しかし相変わらず表情が作る皺が深い。


「今はやめときな。マジで機嫌悪いぞ」

「お仕事? 趣味? どっち? 相手はまだ部屋にいる?」

「仕事だ。趣味ならこんな場末でやらねえよ、もっと高級な所に行く。お前だって知ってるだろ? で、野郎どもの方は夜明け前に全員叩き出して今はまだ優雅に寝こけてる最中だろうさ」

「はは、男複数同時なんて随分励んだじゃないか。つまり最高に不機嫌、ブチ切れてるってことだねえ。ま、無理もないのかな。優男毛嫌いしてるもんねえ」

「どーせテメーが撒いた種だろうが。その口ぶり、今度は何を仕込みやがった。ふざけんなよ、毎度のことだが」

「だからぁ、責任感じて? ご機嫌取りに来たんじゃないか。迷惑料だって出すし、何なら掃除だってしちゃう。……ああ、それともギザはテハちゃんの麗しの寝起き姿を拝みたいのかな? 


 店主はぎっとザシャに鋭い目を向けていたが、考えていた時間はさほど長くない。カウンターから引ったくるように置かれた金貨の群れを回収すると、身を乗り出し声をひそめた。


「……本当にうまく丸めてくれるんだろうな。昨晩は全く手がつけられなかった。このままだと俺か店員が怪我する」

「なだめてくるよ、可愛い子ウサギちゃんにしてあげる」

「抜かせ。普通でいい、普通に戻すだけで。もし悪化させたら、ただじゃ済まさねえからな」

「僕、これでも一応特級冒険者サマなんだよねえ。信じて? ああ、あとレモネード水ちょーだい。あの子好きだし、喉渇いてるはずだからさ」


 冒険者はますます微笑みを深める。すると相手に安心をもたらすどころかより凶悪さが増したように見えるのだから、店主は表情を渋くする一方なのだった。

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