恋乙女 たまには拒否もする
「トゥラ、ほら……おいで」
室内を見渡して、ひとまず探していた娘を見つけたデュランは、ほっとしたように表情を緩めると腕を広げた。
つい最近、同じような状況があった。彼はその時と全く変わらないつもりでいるらしい。
しかしシュナの方はあの時と全く心持ちが違っていた。少し前までなら喜んで飛び込んでいったのだろうが、今この瞬間、そうはいかないのだ。
彼女はさっと隣の令嬢を盾にするように背中に回り込む。
その場の全員が「えっ?」という顔で娘の珍妙な行動を見つめていると、そろそろ顔を出した彼女はピシャー! と威嚇の声をあげた。
誰がどう見ても、迎えに来た保護者に向かって。
(いや! きらい! なんぱものっ!)
「――――!?」
「あらあら」
これ以上ないほどわかりやすい拒絶の姿勢に、デュランの顔がピシッと音を立てそうな勢いで引きつる。
コレットは仕える相手を見比べるとふっと肩をすくめ、「やれやれだぜ……」と作り声を出して、お手上げとでも言いたげなポーズを取った。
隠れる壁にされたサフィーリアは、幸か不幸か不快の表情ではない。口元を隠して、クスクス愉快そうに笑い声を漏らしている。
「あ、あれ? どうしたのかな、トゥラさん? 俺だよ? デュランだよ? なんでそんな不審者を見るような目で……おかしいな?」
動揺の後、あるいは末、と言うべきなのか。
デュランは今見たものをいったん気のせいと思い込むようにしたらしい。
しかし彼がそっと寄っていくと、シュナはすすすっ……と下がっていき、一定以上近づかせようとしない。
しばらくは柔らかな表情で二人の攻防を見守っていたサフィーリアだが、追いかけっこが自分の周りを一周すると見かねたのか、おほん、と音を立てて割り込む。
「およしなさいな、デュラン様。女の心の機微に疎いわけではないでしょうに」
窘められるとデュランは止まったが、令嬢に向ける表情は渋い。
口を開くのは早いが、未だ状況が理解しきれていないせいもあるのだろう、気の利いた台詞を揺れる瞳の奥で必死に考えているようだった。
一呼吸の間程度、騎士の返答を待っていたらしいサフィーリアは、まだ時間がかかりそうだと悟ると構う相手を変える。
振り返って、彼女の背中にぴっとり張り付いている娘に語りかけた。
「そうよねえ。こんなに可愛い子をほったらかしにして、自分は幾多のご令嬢とダンス三昧していた男なんて、知らなくて当然だわ。舞踏会はさぞ楽しかったことでしょうに、今更何をしに来たのかしら? 暇を持て余した淑女やご婦人が、列を成してエスコートをお待ちになっているのではありませんこと?」
(そうよ! わたくしのことは怖い顔でしか見なかったくせに、女の子達におべっかを使うデュランなんて嫌いよ! 早く行ってしまえばいいのだわ! きらい!!)
令嬢はひそひそ話をするように口元に手を当てるが、声の大きさは明らかに相手に聞かせるもの、俗に言う嫌味全開と言う奴である。
ぶんぶん勢いよく縦に首を振ったシュナは、勢いで少々くらっとした。揺れる身体を支えたサフィーリアが、手で風を送って励ましてくれている。
本来見知らぬ上、デュランと仲良くしていた気に入らない女性達の筆頭でもあるはずのだが、こう、合いの手が絶妙なせいだろうか、完璧な代弁をしてくれるせいだろうか、すっかり結託している二人である。
一方、形勢不利になった騎士は言われたことが痛くもあったのだろう、「うっ!」とどこか痛いところを思いっきり突かれたような音を出した。
が、このまま黙っているわけにも行くまいと考えたのだろう。
舞踏会の会場で作っていたのと同じ顔を貼り付けて、一端は年上の令嬢の方に向き直る。
「サフィーリア……どうやらトゥラの面倒を見てくれていたようで、とても助かった。でも、代わりに何を吹き込んだのかな? 困るよ、彼女、あまり免疫がないのだから」
「それは本当に感謝の言葉かしら? 酷い人。でもいいの、今日の私はいい出会いがあったからとても機嫌が良いのです。少しの暴言なら許して差し上げるわ」
サフィーリアの笑みは揺るがない。
長身の二人が向き合うのを側で見ていると、なんとも迫力があった。
しかも両者共に満面の笑みなのに、なぜか目から火花を散らし合っているように見える。
不思議だ。シュナはぼーっとしたままだが、いつの間にかサフィーリアの背中の布をきゅっとつかみ、しっかり場所を確保していた。
「君もわかるだろう……どう見てももう表に出せる状態じゃない。部屋に戻らないと」
「ええ、私だって目を離すのは少々心許なく思ってのことですもの、お迎えがいらっしゃったのは何より。けれどこの状況、私が退席するのはむしろ不自然、難しいのではないかしら? だって暫定不審者様と、この子は二人きりになりたくないようだもの」
何も起きていないのにデュランが揺れた。ちょうど見えない誰かにスパーンと張り手されたような感じだった。
反応が期待通りだったのだろうか、サフィーリアは満足したようにフッと鼻を鳴らし、デュランと目が合うとぷくっと頬を膨らませる娘をふにふにつついた。
「それで? 赤ら顔さんのご機嫌はいかが? まだまだ残っているみたいね。一体何をそんなに飲んだの」
両の掌で左右からふにっと挟まれると、娘はきょとんとした顔になって令嬢を見上げている。
サフィーリアはとうとう声を上げて笑い出した。一連の戯れの様子を横で見せつけられている竜騎士が、わなわな両の拳を握りしめて震えている。
(畜生トゥラが可愛い! でも困る! ますます間に入っていけない! いじめられるよりは遙かにいいだろうけど、何でこんなに仲良くなってるんだ!? ああ、そんな、ぷにぷにっと――俺だってそんなことまだしてないのに!)
もはや歯軋りすら始めそうな勢いの竜騎士に、そっとメイドが近づいていって耳打ちする。
「申し訳ございません。お嬢様のあれ、たぶん……あたしが目を離したせいなんです。ちょうど近くの別の方に声をかけられている間に、スリュートを瓶一本、ぐびぐびっと……」
「淑女殺しか、またベタな……いや、ちょっと待った。それ、栓の開いた瓶が置いてあったってことじゃないか?」
一瞬ふっと力の抜けたデュランの顔が、前以上に強ばった。
誰かに無理矢理、あるいは言葉巧みに泥酔させられたと言うのも問題だが、純粋な事故というのもそれはそれで由々しき事態なのだ。
飲みやすく、簡単に酔える酒。もちろん優れた嗜好品ではあるが、人間とは利用できるものなら必ず使う生き物である。道具自体に罪はないが、可能性は悪を呼ぶ。
淑女殺しの名は飲まされる者達への警告だ。
慣れてない女性に盛って、正体不明のうちに事に及ぶ――そういう使い方をする輩がいるからこそ、迷宮領では出回りを意識して抑制している所がある。
たとえスリュートを好む王国の人間をもてなすとて、領主主催の会場なのだ。酒は給仕係かカウンターへの注文制、持ち込むときは申告した上で許可を得た印をつけること――。
しかし娘の酔っ払った経緯を聞いていると、どうやらそのルールを破った者がいると考えるのが妥当だろう。だからこそデュランのまとう空気は剣呑なものになる。
抑えきれずに漏れ出した圧に押されたのか、メイドもまた軽薄な調子を引っ込め、真面目な顔で考え込む。
「そ……う、ですね。お嬢様がご自分で栓を開けられるとは思いません、あらかじめ開栓されていたと考えるのが妥当でしょう。無色で無味で無臭、しかもあの見た目とくれば……水と勘違いするのも無理はないかと」
「そう……かなりの考えなしか、よっぽど何か悪意があったか。どちらにせよ、このまま見過ごせないね。その瓶は? キープした?」
「あっ……申し訳ございません、お嬢様を追いかける方を優先して」
「わかった。それでいい、トゥラを見失う方が問題だ。証拠の方はなんとかするよ。どうせ不届き者の当たりはついてる……誰を酔わせるつもりだったのか知らないけど、よりによって今日を選ぶなんて。よっぽど痛い目に遭いたいらしい。ご期待には応えるよ、次期当主の義務だからね」
恐縮するように小さくなったメイドに優しい声をかけるが、軽薄な行動を取った者への対処を考えている時の顔と口調は大分冷ややかだった。
それが伝わったのだろうか、二人の令嬢がいつの間にかこちらに注目しているのに気がつくと、彼は慌てて咳払いをし、身をかがめて背の低い娘と同じ目の高さになる。
「トゥラ……その。ごめん……あの……機嫌、直してくれないかな……?」
落ち着いてきたのだろうか、同じ高さになったのが功を奏したのだろうか、近づくだけでシャーシャー言っていた先ほどまでと異なり、娘は注意深く竜騎士を観察しているらしい。
助け船を出すように、サフィーリアが口を開いた。
「この辺で一度許してあげたらどうかしら? わかりやすくあなたばかり構ったら他の子にいじめられると思って、あえてつれなくしていたのよ。人気者の言い訳もわかってあげて。心配して駆けつけてくれたのは確かなのだし」
「サフィーリア? あのさ――」
「そういうの、困るんだけど――って所かしら。おわかりになって? 私、困らせたい気分なの」
笑顔のままデュランのこめかみに青筋が浮かんだ。
が、令嬢の背中からそっと姿を見せた娘が近づいてくると、すぐに驚きに、それから安堵に表情が変わる。
「トゥラ……!」
両腕を広げると娘はのけぞったが、がっくりうなだれた騎士にそそそっと近寄っていき、袖を指先でつまんでいる。
この微妙な距離感に、
「全部いいって思っているわけではないのよ! まだ少し、怒っている部分もあるのよ!」
と言うような意思が込められているような気がするが、何にせよ、一応許されたらしいことには変わりない。
感動でか悲しみでか涙ぐんでいる竜騎士に、自分から完全に娘の手が離れたことを確認したサフィーリアはパンと手を叩き、それから優雅に膝を折った。
「今日はいいものを見せていただいたわ。お招きにあずかり、ありがとうございます。でもね。私が見つけたとき、この子部屋でうとうとのんびりしていたわよ。一応メイドがついていたみたいだけど、いざというときの戦力としてはあまりに心許ないわね」
「……何が言いたいのかな?」
デュランが引きつった表情で促すと、彼女は凶悪なほど美しい笑みを浮かべる。
「臨時の
「君自身が狼だったのかもしれないよ」
「悪魔の証明は所詮感情論でしょう。冷静にお考えになって。何がよりよい選択かを」
(広間で見たときはあんなに親しそうだったのに、もしかしてこの二人、案外そうではないの……?)
少々デュラン寄りの位置、二人の間に立って心配そうに瞬きをしているトゥラを見てから、彼は大きなため息を吐き、気乗りしない様子で答える。
「受け取りはする。でも本当に受理するかは、酔いが覚めてから、トゥラ自身が行きたいと言ったら、だ。そこは譲歩できない」
「当然の手続きですわね。いいですよ、私だって来たくない方に無理はさせたくないもの。では詳細は後日改めて。楽しみにしております」
相手の硬い態度にやや笑顔が薄れていたサフィーリアだったが、彼女にとって悪くない返事だったのだろう。花がほころぶようにふんわり笑うと、そつなく別れの挨拶をする。
主が号令をかけるまでもなく、歩き出すと控えのメイド達はさっと後に付き従った。
それまで石像のように全く気配を押し殺していたから、急に動き出すとトゥラはびくっとして床から跳ねた。
開かれた扉から出て行こうとした令嬢は振り返り、デュランに頭を下げてから、新米令嬢に向かっていたずらっぽく唇に手を当てて言う。
「また会いましょう、おちびさん。お酒はほどほどにね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます