居候 小休憩
気がつけば時間はあっという間に過ぎていたようだった。
シュナはカトラリーを置き、テーブルを見回してから恐る恐るデュランの方を見る。
シュナが完食できたのはスープぐらいだ。終わらせた瞬間、横に給仕係とおぼしき人が近寄ってきておかわりの有無を尋ねてきたので、大慌てで首を横に振ることになった。それ以外のほとんどは、一口か二口つけて満足してしまった。
一方、デュランの方の皿は綺麗に全て片付いていた。しかもシュナより終わらせるのが早かった。上品にもぐもぐと、無駄な動きなく捌いていく。時々シュナが彼の方に目を向けて得た印象では、そんなところだろうか。
(あんなにたくさんあったのに。デュランってすごいのね! でもこんなに食べる人が、迷宮でお腹は空かなかったのかしら?)
「もういらない? 遠慮しているんだったら、その必要はないから」
シュナは少し迷ってから、テーブルの上を指差して微笑み、それから次に自分の腹部を指差して悲しそうに眉を下げる。
「……美味しかったけど、もうお腹いっぱい?」
(そう!)
注意深く彼女の動きを見ていたデュランが確かめるように口にした言葉に、ぱっと顔を輝かせる。
「じゃあ、食事は終わりにしようか」
立ち上がったデュランに合わせるようにシュナが席を立とうとすると、横の給仕係が慌てたように押しとどめる。首を傾げていると、すぐにデュランがやってきて手を取った。するとそれに合わせるように給仕係が椅子を引く。
(デュランより先に座って、後に立つのね)
ふむふむと学習していた彼女は、そのまま部屋から連れ出されそうになったので扉の直前でデュランを止める。
部屋の中に振り返ると、周りに立って控えていたメイドや――そういえば男の方は何というのだろう、確か執事だったろうか――にお辞儀をする。
(ありがとう。残してしまってごめんなさいね)
部屋を出て、外で控えていた彼らにも同じことをした。
今度もまた、黒と白の服に身を包んだ彼らは目を見張り、言葉こそ自制しているらしいものの、興奮したような面持ちでお互いを見比べている。デュランはシュナの気が済んだのを見計らって手を引いた。また同じ廊下を進んでいく間に、声を掛けてくる。
「今日はこの後、君に紹介したい人がいるんだ。その……俺の両親で、侯爵夫妻。当面は君の後見人というか……まあ、そんな立場の人になると思う。一応偉い人ではあるけど、二人とも君の事情はわかっているから、そんなに厳しいことにはならない……な、ならないと思うけど、もしキツい事言われたらその、ごめんね……!」
(つまりわたくしがお世話になる方々ってことね。大丈夫、わかるわ! それに至らない点は多々あるはずだもの、ご指摘は甘んじて受け入れるわ!)
シュナはふん! と気合いのままに鼻息荒く頷きつつ、こっそり考える。
(そうか……侯爵夫妻がデュランのお父様とお母様になるのね。わたくし、わたくしのお父様以外を見るのって初めて! それに、お母様も……)
そこでちょっとしんみりしゅんとしてから、彼女はまだ見ぬデュランの家族に思いを馳せる。父親はなんとなくデュランの年を取らせたイメージが浮かべられるが、母親と言う方が、どうにも絵として浮かばない。
シュナは母親を知らない。……いや、つい最近さらっと暴露されてはいるのだが、あの影の手の群れは本体ではないと言われたし。
(ということは、本体はやっぱりわたくしに似ているの? そもそも人の姿をしているの? していてくれなきゃ困るわ……だってお父様、どうやってお母様と結婚したの? 人と人でないものって結婚できないんじゃないの?)
むくむく疑問を膨らせているシュナの横で、「やっぱり何かこう、誰かに似ているような……」なんて呟いてデュランが首を振っているが、彼女はそれに気がつかない。
いったんお直しとかで起きた部屋に戻されて、軽く口をゆすいだり化粧や衣装、髪型を整え直すことを学んだ。
「それにしてもお嬢様はお優しいですね。あたし、ずっとこちらでお世話になっていますけど、あんな風に使用人に挨拶して下さった方ははじめて」
旦那様と奥様にお目にかかるのですから! と気合いを入れていたコレットが、ふとシュナの衣装を直しつつそんなことをぽつりと漏らす。
首を傾げている彼女に聞かせているつもりなのか独り言なのか、コレットは続けた。
「お嬢様が今までどんな人だったのかは知りませんけれど、そのシミ一つない細くて綺麗な手を見れば誰だってすぐわかります。あたしたちみたいに汗水垂らして働くお立場の人じゃない。立ち居振る舞いや雰囲気だって、お嬢様……いいえ、お姫様みたい。なのに上の方は歯牙にも掛けないあたしたちに、当たり前のように微笑んで、ご挨拶してくださる……不思議な方です、お嬢様は」
(……悪目立ちしてるってことかしら……)
心中穏やかでないシュナがちら、とこっそりうかがい見ると、メイドと鏡の中で目が合った。コレットは髪の辺りを弄りながら、笑い返す。
「あたし、ますますあなたを好きになりそう。きっとお城の皆、そうです。すぐに皆が夢中になりますよ。旦那様も奥様も……きっと若様も。うふふ」
もしかして今から少し緊張しているシュナのことを励ましてくれたのかとも思ったが、なんだかそれ以上に意味深な含みを持った言い方のような……。
首を捻るシュナだが、ちょうどデュランがまた迎えに来たおかげでコレットがそれ以上何か言うことはなかった。
食事に向かったときより更に長く歩くことになった。加えて、周りを見回していると明らかにこう……場所のグレードが上がったというか、置いてある物や飾ってある物がより豪華になっていく。
ある場所まで来たところでびくっとシュナの身体が震え、足が凍り付いたかのように止まった。
「どうかした?」
デュランが振り返ると、今まで好奇心のまま丸い目で忙しそうに周囲を観察していた彼女が、ある一点に視線をとどめ、怯えたように身体をすくませて身を震わせる。
彼が先を追うと……廊下の飾りの一つ、甲冑が目に入った。
「ああ……びっくりした? 大丈夫、見た目はちょっと物々しいかもしれないけど、ただの飾りだよ。別に動いたりとかは……トゥラ?」
彼はそこで、彼女が倒れんばかりに顔を青くしているのに気がつき、そっと身体をかがめて視線の高さを合わせた。
「部屋に戻る? ……大丈夫? 本当に?」
シュナは問われるとぶんぶん頭を左右に振るが、どうしても震えが止まらず、足が動かない。
彼女にとって鎧甲冑の類は嫌な思い出と繋がっている。
特に銀色の鎧は……正直に言えば、見るのも辛い。
デュランの鎧は、ちょうど父の着ていたものとそっくりだったから平気だったが……。
「よし、そうか。それじゃ息の仕方をちょっと思い出そう。吸って。……駄目そう? オーケー、じゃあ、吐き出して。思いっきり、吐き出して、ふーっと……そう。それから、吸って。ゆっくり。大丈夫、ちゃんとできる。息をして……」
デュランは彼女の両手を自分の両手で握り、静かに言葉を繰り返した。
額に汗粒を浮かべたまま、シュナは彼の声に集中する。言われるまま呼吸を繰り返していると、胸の内側を破らんばかりの勢いで叩いていた心臓が少しずつ大人しくなる。
吸って、吐く。反復は意識を深いところに落としていく。あの時と同じだ。感覚が胸の奥にすとんと落ちたところで、水面に波紋を落とすように、呼び声が響いた――。
シュナはゆっくり目を開ける。金色の目が、思った以上に近くにあった。彼女の方ははにかんで頬を赤らめるが、デュランは硬直している。
(……デュラン?)
彼はシュナの両手を握りしめていたはずの片手を、自分の心臓、胸の辺りに当てていた。そこにある何かを握りしめるように、ぎゅっと。
ようやく我に返ったらしく、瞬きしてからぱっと姿勢をまっすぐにする。
シュナは彼の顔を追い、上を見上げることになった。
横に立った時も思ったが、前、しかも近い位置に立たれるとよりデュランの背の高さを実感する。彼の顎の高さ辺りに自分の頭のてっぺんが来るだろうか。
なんてぽーっとなっていたシュナに、デュランはちょっとだけ気まずそうに目をそらしてから声を上げた。
「その……自分が普通じゃないって思ったら、呼吸に集中するんだ。ゆっくり、深い呼吸は身体を落ち着かせる。それで収まるなら大丈夫。それでも駄目ならお医者さん。……どう? ちょっと気分が楽になった?」
シュナはゆっくり頷いた後、こっそり甲冑の方に視線を滑らせる。
見ていていい気持ちにはなれそうもないが、少なくとも先ほどのように立ち尽くしたまま冷や汗が止まらなくなる、というようなことはなさそうだ。
デュランがなおも気遣うような言葉をいくつかかけてくるので、大丈夫だと笑って応じる。
彼はなおも心配そうにしていたが、「何なら今日は休んで別の日に……」と言い出したところで激しい抵抗(の意思)を示されると、勢いに気圧されるようにそのまま彼女を連れて歩く。
「……大丈夫だよ。俺が守る。一緒にいる」
甲冑の横を通るとき、再び身体に力が入ったシュナの手を温かく力強く握るデュランの手。シュナは思わず口元をほころばせた。
(デュランったら竜の時も人の時も同じことを言っているわ。自分が一緒だから大丈夫、って……)
けれどそう言われると、不思議とその通りに思えて、とても気持ちが落ち着く。
シュナの胸の奥でまた一つ、何かが鳴った。
隣のデュランが一瞬だけ身体を跳ねさせたが、なんでもないふりをした。
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