竜騎士 謎を追う 1

 時は一度、茶会前に遡る。


 王城の一角、領主の執務室には、今日もあちらこちらに書類の山が積まれ、げっそり目の下に隈を作った男がそれらを恨めしげに眺めていた。


「ぴんぽんぱんぽーん。今日も爽やかな侯爵閣下がクイズを出しちゃうぞい☆」

「ちょっと忙しいからって禁断症状起こさないでくれる?」


 爽やかを通り越した裏声でお届けされたご案内に、十九歳の息子の返事は実に素っ気ない。自分が手伝ってやってるんだから文句を言うな、までどこか圧が込められている。


 しかし互いにもうすぐ二十年になる付き合いになるのだ。父と息子は双方向に扱いが雑なことを、自他共に認めている。


 当然流される、むしろ真面目な応答が戻ってきたときの方が二度見するような関係性で、親子は多忙の中でも険悪にならない距離感を保っていた。


 執務室の机に伏せた顔をガバッと上げた父親は、柄にもなくニヒルにくっと唇の端を上げた表情を作ろうとする。


 自他共に美男子と認める息子がやれば実に様になっただろうが、疲労たっぷり平凡顔の彼がやってもシュールなだけだ。


「ちょっと……これがちょっとか。今日も今日とて迷宮領は問題が山積み。一つ目を片付けたと思ったら三倍ぐらいのお代わりになって返ってくる。フッ、甘いわ息子よ。儂の禁断症状はまだ序の口、五段階でいったらまだまだたったの二段階目よ」

「既に一段目じゃないあたり充分重傷だよな」

「ほら、疲労って累積するであろ。あと四十を越えるとね、深刻な身体の問題というものがね」

「ところでその老いを感じ始めてるだらしない人には、連日バリバリ救貧院の慈善事業にお出かけなされている七歳年上の奥方様がいらっしゃるわけですが。あの人実はあと一年で五十歳らしいよ。知ってた?」


 ぐにゃぐにゃ姿勢ですっかり執務机に上体を放っていた侯爵が、息子の言葉にガバッと顔を上げ、驚愕に小さな目を精一杯見開いた。


「え? そうなの? シシィは結婚した時と何も変わってないよ? むしろお前産んでから若返ったし、『これで跡継ぎ生産の役目は果たした!』とばかりになんか仕事増やして今に至るまでほとんど減らしてないよ?」

「俺もこの前冒険組合の皆にね。『そういえば奥方様はもうすぐ五十のお祝いですね、今度は何をお贈りするんですかー』って軽い調子で言われて……心臓止まるかと思った。忘れてても忘れてなくても母さんに殺される」

「しまったそうか、次が五十の祝い年だったかあ……前回割と気合いを入れてしまったのだよなあ」

「ゴーレム越えようと思ったら試練の間ぐらい行かないと駄目じゃん……」

「いいじゃんお前の迷宮潜りは息抜きでもあるんだから……」


 互いにため息をつき、男達は一度黙り込む。


 パラパラと書類をめくる、次期領主の真面目な仕事音だけがしばらく響いた。


「で」

「うん?」

「クイズって何さ。割と深刻なこと?」

「フフ……聞いてムスコリーナ。儂、切れちゃいそうなの。血管が」

「ストレス過多なのは知ってる。早く本題に入れ」


 デュランはこの間話しながらも、自分の手元に溜まった書類をより分ける手を止めようとしない。


 老いをアピールしている父親の方は、すっかり集中力が切れたようだった。積まれていた書類を左右に除ける手に、ちらっと咎める流し目を送られても気にしない。


 机上に十分なスペースを確保した領主は、肘を突き両手を合わせてキリリとした顔になる。


「ちょっと時間が経ったから、いい感じに忘れかけてた頃かもしれんがの。ほれ、以前、舞踏会という晴れ舞台に、無粋にも勝手に未認可の酒を持ち込み、うちの大事な子を危うい目に遭わせた輩がおったじゃろ?」


 デュランの手が止まった。

 半ば聞き流していた姿勢を改め、顔を執務机の方に向ける。すると机からすすすっと引いていった侯爵閣下が、座り心地の良い椅子の中にずるずる沈んでいくのが見えた。


「あれな。まず、酒を手配したのは使者殿だってことがわかった。まあ正確に言えば本人じゃないんですけどね、でもまあほら派閥的な意味合いとか黒幕誰よ的な意味合いで言うとね。あのデブだったよ。ははは馬鹿野郎痩せろデブめははは」

「そんな予感はさ、してたんだよ……」


 父は空を仰ぎつつ怒りの籠もった笑いを流し、息子は下を向いてやれやれと重たい頭を抱えた。



 今回の舞踏会はいつもとは違っていた。

 言うまでもなく神出鬼没な居候殿の存在である。


 彼女を壮大に披露しつつ、あちらこちらから伸びそうになる魔の手を払う。

 どちらもこなして後、「ほら、紹介はしたからな。脈はないぞ。諦めろ」に繋げる事がホスト達の密やかなミッションなのだった。


 とは言え、多少お辞儀が綺麗とは言え、右も左もわからない、本来書庫に閉じこもって幸せそうにルンルンしているような娘を魑魅魍魎の中に放り出す。何も起こらない事を期待するのは、あまりに楽観に過ぎよう。


 事故は起こる。

 父も母も息子もその他関係者全員、あらかじめ覚悟していた。


 しかし、「個人的にこっそり買い上げて後で贈ろうと思っていたドレスの購入がバレていた挙げ句、割と勝手にデビュー衣装として採用されたショックで次期領主がグレた。そのために多少目を離されることになった娘さんが、自棄酒に走った」とかいう摩訶不思議連鎖的大惨事は、さしもの修羅場に慣れている迷宮領の住人とて、誰も想定できていなかったのだが。


 しかもこれだけでもご領主のこめかみに青筋が立つ案件なのに、なんとこの息子、夜中にちゃっかり娘さんの部屋に上がり込み、仲直りしたどころか危うく手を出しかけた。らしい。


「あの翌朝の若様の様子はどう見ても事後」


 と珍しく真顔のメイドに報告され、両親は二人ともそれぞれ(聞きたくなかった)と顔に出した。


「まあ儂の息子ならやるよね……」

「可能性が頭に浮かばなかったわけではないですが……」

「母さんや、つかぬことお伺いしますが、どこまでだと思う? いやこんなことならデビューと同時に婚約発表をしておけば――」

「そう急ぐこともございませんでしょう? 洗濯係が何も言っていない、つまりそういうことです」

「アッハイ……そういう判定法!?」

「まああの子は手慣れていますし、迷宮探索用に色々持たされていますから、証拠隠滅のために自分でシーツを洗うぐらいはできるのでしょうが、」

「やめて! 儂が悪かったから! 名探偵を始めないで! たぶん当たってるだろう分余計に聞きたくない!!」


 本人の知らないところでそんな両親のやりとりもあったのだが、さておき。


 事故は起きた。

 そしてそのうち最も問題となったのが、「自棄酒」の項目である。


 迷宮領の舞踏会は、本家ヴェルセルヌ王国で開催されるものより少々制約事が多い。


 例えば持ち込み。

 迷宮領である程度格式の高い催し事が行われる場合は、誰が主催者であれ、客は事前に全て持ち込み品を申請する必要がある。


 また、主催側はきちんとリストを確認して審査し、許可を与える。


 未申請、あるいは未認可の物は、基本的に全て持ち帰り対象となる。場合によって受け取りまではしても、会場には出さない。たとえ本人が持ってきて、他人には振る舞わず、自分一人で消費していたのだとしても、だ。


 ところが今回事故の発端となった酒は、種類からして明らかに未認可の物だった。


 スリュートはいわゆる、酒らしくない酒である。飲んだ人間達の感想を集約すれば、「ちょっと変な味のする水」というぐらいだ。その割に、度数が高く、結構悪酔いもしやすい。


 果実の絞り汁などと割ってほとんどジュース感覚でグビグビやった結果、泥酔、そして翌日記憶喪失からの二日酔い――というエピソードの七割はスリュートのせいだったと言われるほど、なかなかに悪名高い奴なのである。


 王国では好んで嗜好されているが、迷宮領では初代当主の頃から問題児扱いされており、出さない、出させない、が歴代当主のスリュートに対する基本方針である。


 個人的に嗜好している所までは手を入れないが、公式な催し事に提供する物としては一律NG。


 ……となっているのに、よりにもよって領主主催の舞踏会会場で見つかるとは。

 表沙汰にならなかったから良かったものの、場合によっては責任問題に発展しかねない事態だった。



「なんでだろうなあ……どうしてそう、思いつきはしても実際やるぅ? ってことを恥じらいなく実行するんだろうなあ、あの人達ら……」


 定期的に王国貴族のわがままに付き合わされている次期領主は、またいつものだったか……と目元を押さえて深いため息を吐き出す。でっぷり太った好色な男を思い出すと、思わず顔をしかめた。


 すると今や後ろにひっくり返らんばかりにぐぐーんと背もたれを酷使していた領主が、執務机に戻ってきた。

 息子なら腹筋を使って華麗に復帰できるのだろうが、父親の場合はモタモタいそいそのそついた後の決めポーズである。


「と、おもーじゃん? でもね、ちょっとおかしなことが起きているのだよ、ムスコリーナ」

「おかしなこと? あとその変な呼びかけやめろ、なんか耳に残る」

「聞いてムスコリーナ。女好き、金を払えば大体のことがどうにかなると思っていて、割とわかりやすく迷宮領を舐めていらっしゃる。そのような御仁が、我々の日頃の努力を鼻で笑い、酒で女子を溺れさせようとする──実にストーリーだ、聞いてムスコリーナ、タラシスケーベ」

「はっ倒すぞクソ親父……は? なんつった? 美しい?」

「そ。どうも作り話がごとく、できすぎているとは思わんか。少なくとも儂は思った。。悪い勘というのはよく当たるものだ、実に忌ま忌ましいことにのう」


 嬉々として息子弄りに走り出す父に向かって投げられる物を探そうとしたデュランだったが、軽すぎる物か重すぎる物しか手の届く範囲にないと悟るとひとまずは断念する。


 机の下に避難しようかとちょっと及び腰状態になっていた領主が、暫定的に許された気配を感じるとまた椅子の上に戻ってきて背もたれに深く座り直している。


「お前、そもそも誤飲の状況を覚えているかの?」

「え? ああ、えーと……テーブルに栓が空きっぱなしの瓶が置いてあったんだよね。たぶんそれをトゥラは水と間違えて──あれ?」


 記憶を手繰ったデュランが早速違和感に声を上げると、領主は頷き、指を立てる。


「気づいたかの。そこだ。ゲヘヘ、可愛いあの子を酔わせて襲ってやるんだぜえ……と思い、まんまとアホな主催を出し抜いて酒を持ち込んだ狼さん! 奴さんの目的は、酔わせて潰してその後お楽しむことだったと仮定する。が、しかし」

。それって変だよね。すっごい中途半端だ。うちのセキュリティをくぐり抜けたくせに、誰が飲むか、気づくかもわからない場所に放置……?」

「使者殿本人は明らかに儂に警戒されとったからの。しかし、控えめに申し上げて、あの脳みそまで脂肪詰まってるんじゃないのかなって時々思わせて下さる表面積の暴力がそういうことに頭が回るとは思えん」


 控えめに申し上げてないじゃん、と思わないでもなかったが、別に擁護したい相手でもないので右から左に悪口を聞き流す。


「誰かの入れ知恵……? それにしてもやっぱり変だって。例えば見知らぬ人が下手に注ぐより、そこにただ置いて様子を見る方が飲まれやすい、と考えたにしても……なんでその後、何もしなかった?」

「その辺についてはちと、娘さんの方にトリックがある説も出ているが。あの特技神出鬼没殿は、酔っ払い状態で誰にも気がつかれずに控え室までたどり着いているからの。しかも追いかけていた方が、一時的に喋れなくなったと主張している。……ま、あの子の秘密は今は置いておくとしよう。タイミング良く、手が届くところに置かれていた酒の謎」


 しばしの沈黙を経て後、大きく息を吐き出したデュランが、実に気乗りしない、という風情で会話をつないだ。


「……でもさ。ちょっと前提を変えれば、簡単な話だよね。仮に、仕組まれて酒が置かれていたのだとする。うちの人間達の目を全部かいくぐって? 残念な話だけど……誰かが手引きしていた、と考える方が自然だし……そうだったんでしょ」

「うむ。特定済みです。誰だったと思う?」


 次に最も迷宮領で偉くなる男は、暇を見つけては冒険にでかける夢想家気質な所もあるが、一方でロマンだけで飯が食えない事も知っている。


 しかし、ある程度考えてきっと誰か裏切り者がいる、というところまではわかっても、あいつがやったと思う、まではっきりと指摘はできなかった。


 疑い始めれば誰もが怪しいし、信じようと思えば誰もが白い。


(でも、親父がこんなもったいぶった言い方するってことは、相当意外な方の下手人……?)


 考え込む様子になった息子に、おもむろに間を置いてから領主はその名を告げた。


「イェルゼ。マルゴダ=イェルゼだよ」

「…………えっ!?」


 思いもよらなかった答えに、デュランはあんぐり口を開けた。


「そうなるよね、儂もそうなった」


 と領主は重たげな頭をゆっくり左右に振る。


「持ってきたのは使者殿ご一行。それをイェルゼが受け取って、会場に持ち込んだ。もしかしてそうなのかなー、ってな、小粋なトークの合間にそろっと挟んで探りを入れてみたら、はいそうです、自分がやりました、と来たもんだ」

「えっ……ごめんちょっと、予想外すぎて。しかもえっ、本当にそんなこと……いやでもなんとなくわかる気がする、もし本当にイェルゼならそう答えるのはおかしくない……」

「儂だって驚いたわ。現場の情報総合するに、たぶんアイツだなって当たりつけた時もまさかと思っていたのに、あっさり頷かれて二度見どころか三度見したわ」


 うっかり開きっぱなしの口を閉じるように手を当てつつ、デュランは話題の人物に思いを馳せる。


 マルゴダ=イェルゼは元冒険者、現城勤めの亜人だ。


 若い頃、ほぼ身一つで南から船でやってきて、熱心に迷宮に潜り、仕事の真面目ぶりを評価されて引退後は城に上がった。


 前半はよくある冒険者の境遇だが、冒険者のサポートするような職を第二の人生の礎にすることが多い彼らの中で、イェルゼの行く末は少々変わり種だった。というより、もともとイェルゼという人物が変わっていた。


 イェルゼは鱗を持つ亜人だった。トカゲ種、とか言っただろうか。海を越えて迷宮領にやってくるような亜人は、大概ふさふさの耳と尻尾を持っているか、あって角だの翼だのが生えているぐらいだ。


 鱗を持つような部族は元々ギルディアの中でも相当閉鎖的な部族で、表に出てくることは少ないらしい。だから彼はまず見た目が特殊だった。


 加えて、享楽的で陽気な亜人達には珍しく、イェルゼは物静かで我慢強く、コツコツ同じ作業を延々と続けるような事が得意だった。そういう部族なのか、本人の性格なのかはいまいち謎である。


 ともあれ、実績と多少の好奇心からイェルゼは人間達に混じって城で働き、特に問題を起こすことなく、地味に堅実に生き抜いてきた。


 今日、この日までは。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る