自由な竜 お手入れ中

 ずっと水場の淵にかじりついてぶんぶん尻尾を振りながら順番待ちをしていたシュナの、最終的には粘り勝ちといったところだろうか。


 しばらくは腰を下ろして笑いながら様子を見ているだけだった竜騎士達は、時折竜を洗うメンバーを交代して順に休憩しているようだ。ついでに腹も満たしているらしい。


 近くまで見に行きたい誘惑もこみ上げたが、シュナはぐっと堪えて洗われ待機を続けていた。


 代わりにとでも言うように、一匹の竜が騎士達の食事風景を後ろからのぞき込んでは首を傾げている。好奇心が強いのは竜という種族全体の特徴なのかもしれない。


 しかし時折催促のように騎士達の後頭部を小突いては竜砂糖を得ているのはなかなかの策士だ。満足そうにボリボリ音を響かせているのを見ると、騎士もシュナもまあいいかという気分になってくる。


 騎士達は皆食べる時間が短い。あっという間に全員が終えると、片付けに入ったようだ。


 立ち上がった彼らは、水場に歩きがてら密集する竜達を散らしていく。笛を吹きながら身体を押されると、竜達はピイピイ抗議の声を上げながら宙に飛び立った。


 隣にやってきた騎士達が食器などを洗っている様子を眺めていると、一際早く片付けを終えたらしい騎士が手を拭ってから笛を口に含み、シュナに向かって掌を向けてくる。


 挨拶の仕方だと今ではもうわかっている彼女がお辞儀するように頭を下げて受け入れると、他の騎士達も同様に挨拶をしてきた。

 全員がお近づきの許可を得ると、三人の男女はシュナを取り囲んで話し合う。


「これが若様の逆鱗?」

「はえー……本当に小さいんだなあ。閣下乗せて潰れちゃったりしないの?」

「ふむ。艶よし張りよし流れよし。見事な鱗だ……」


 見知らぬ人間達に取り囲まれると、少々人見知りの傾向のある竜は好奇心より不安の方が大きくなってくる。


 しかし熱心な視線は降り注ぐものの、不用意に触ってこようとする者はいない。さすがに竜騎士の名を与えられるだけのことはある、扱い方は心得ているということなのだろうか。


 周囲の竜達が、注意深く見守りつつもさほど警戒は見せていない様子からも、だんだんとシュナの強ばりもとけてきて、騎士達を観察し返している。


 自然と目が行くのはやはり紅一点だろうか。短髪で鎧を着ていると中性的な男性かと見間違いそうになるが、喋ったときの声ですぐに女性とわかる。


 彼女はじっとシュナの首周りに熱い視線を注いでいたが、目が合うとにこやかに話しかけてきた。


《こんにちは。砂場を通ってきたものね、身体を綺麗にしたいんでしょ? ずっと待ってたんだよね》

《ええ、そうよ!》


 シュナが答えると、騎士達は互いに顔を見合わせ、


「声も美少女……」

「さすがナンパ師、いたいけな所につけ込んだに違いない」

「これは逆鱗笛速攻で作ってUターンするのもまあわかる」

「でもなんかこう……微妙に納得いかねえよなあ……?」

「そうね、ちょっと、いえ結構痛い目遭えばいいと思うの」


 なんて和やかに談笑(?)している。


 女性騎士はシュナの返答に笑みを深めると、水場の方、そこで先ほどからティルティフィクスをごしごしこすり続けている男に顔を向ける。


「隊長。そろそろこの子も洗ってあげてくださいよ。さっきからずっと待ってるんだから、無視するなんて意地悪ですよ」

「…………」


 髭を生やした男はシュナを見ると、渋面に近い何とも形容しがたい顔になった。おそらく一行の最年長で、まくり上げた裾や袖から見える傷跡は歴戦の猛者であることを偲ばせた。


 隊長と呼ばれているということは、竜騎士達はこのように数名で行動するのが基本で、そのとりまとめ役が彼ということになるのだろうか。


(でも見ただけで渋られるなんて、そんなに変な状態になっていたかしら……)


 シュナが色々考えながらそわそわ自分の身体を見回していると、男は唸ってから口を開く。


「それは閣下の逆鱗だろう? 特徴が一致するし、竜達の様子も普段と違う。その竜がいるからだろう、きっと」


 水場の周辺には、既に身を清められ磨かれて満足げな、あるいは先ほどシュナにぴっとり身を寄せていたのを追い払われた竜達が、思い思いのポーズでくつろいでいた。


 磨かれている真っ最中のティルティフィクスも、うとうと微睡んでいる。


 全員のんびりリラックスした雰囲気は出しているが、一方で帰ろうとする気配もない。


 竜騎士達にもその辺りの気配や原因は容易に伝わっているらしい。


(そうね……デュランはあっさり受け入れてくれたから忘れちゃうけど、わたくし、普通に考えると怪しいものね……)


 竜達が構ってくれるのはありたがいのだが、特別扱いされすぎるのも困ったものだ。

 しょんぼりシュナが身を縮こまらせていると、女性騎士が口を尖らせて反論する。


「でも、本人はこんな健気に待ってるぐらい楽しみにしているみたいですよ? まあ、隊長がどうしても嫌って事でしたら、私がやらせていただくので。その子はもう終わりましたよね? 場所、開けてくれませんか?」


 女性騎士が腕まくりなど準備の気配を見せ始めると、


(ようやく順番が来た!)


 とその様子を見たシュナが目を輝かせ喉の奥から甘え声を出している。


 すると髭男は大きなため息を吐き出し、自分の前の白い竜の尻を叩いてどかした。


《入っておいで》


 笛を構え直してシュナを呼ばう。何か観念したようにも見受けられるが、何にせよ綺麗にしてもらえるなら嬉しい。


「あっ、ずるい! やっぱり隊長だって触ってみたかったんじゃないですか」

「そりゃねえ。チャンスがあればね?」

「まあ、この中だと隊長が一番触り方も上手だし。俺らはのんびり見させてもらいましょ」


 女性騎士は文句を言うが、すぐに袖を戻す辺り、この展開を見越していた感じもあった。


 手持ち無沙汰の空気を漂わせ始めた竜騎士達の前に、濡れた身体のティルティフィクスが降り立ち、暇なら自分の面倒を見ろとばかりに胸を張っている。

 すると彼らは慣れた手つきでせっせと道具を取り出して、水気を落とし始めた。


《ご要望は?》

《要望?》

《念入りに磨いてほしいところ、触らないでほしいところはあるかな》


 いそいそじゃぶじゃぶ水の中に入ってからその様子を見守っていたシュナに、隊長と呼ばれている髭男が話しかけてくる。


《……変なところは触らないで。つやつやにして!》


 少し考えてからシュナが答えると、男は顔をほころばせ、短く了解と返す。


 首周りから手入れは始まると、シュナは心地よさに思わず目を細めた。


(人の時、裸で触られるのは結構抵抗があるけれど……竜だといつもこの姿だし、余計なことに悩まずに済む、かも……)


 まずは石けんのようなものを全身に塗られ、泡を立てられる。

 翼の付け根や背中などをごしごしこすられると、汚れと一緒に疲れも取れていくような気がする。

 顔周りは少々抵抗感もあったが、存外ひげ面にそぐわぬ優しい手つきは警戒を緩めた。


 一通り泡立てが終わると、全身をすすいで水から上がる。

 この段階になると他の騎士達も参戦を始めた。


 少し離れた場所では、既に手入れを済ませたらしいティルティフィクスが、心なしかきらきら鱗を輝かせながら、優雅に寝そべっているのが見える。


 丸い輪っかのような道具でシュッシュッと大雑把に水を切ってから、タオルで顔や足などを拭かれる。


 そうこうしているうちに目の前に見慣れぬものが置かれたかと思うと、ぶおーんと音を立てて動き始め、人工の風を起こした。これもどうやら宝器の一つらしい。


 涼しい感触に満足そうに喉で音を立てていると、爪の手入れが始まった。

 やすりのようなもので磨いた後、油のようなものを塗られる。


《……面白い?》

《面白い!》


 気持ちいいし、見ていて飽きない。

 じーっと爪が磨かれる様子を見ていたシュナが元気よく答えると、騎士達は皆へにゃりと相好を崩し――しかしその直後、一斉に同じ方を見て緊張を走らせる。


「――何、してるの?」


 地を這うような声だった。


 快適さの中にのんきに身を委ねていたシュナが「ん?」と顔を上げてみれば、表情を失った赤毛の竜騎士と、「あちゃー」とでも言うように顔を覆った冒険者の男の姿が目に入った。

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