迷宮の姫 気がつく

 穴に遺体を投げ入れる、という話は衝撃的だった。


 人は迷宮からやってきて、迷宮に帰っていく。

 不思議にも思えたし、それが自然なことにも思えた。


 少なくともシュナが生まれたのは間違いなく迷宮なのだ。

 ならば、終わりは?


(わたくしも、いつか生きる果てにたどり着いたら――戻るのかしら。迷宮の中に)


 ぽっかりと空いた穴に落ちていき、優しい眠りの中に浮かぶ。

 あの状態に、戻るのだろうか。


 そんなことをぼんやり考えながら、シュナは学者に続いて墓所参りの作法とやらをこなしている。


 香る煙を立てる棒きれに火を灯し、灰の中に立てる。

 煙と香りは迷宮に、ひいては女神と死者にたどり着き、彼らを慰める。


 一方で、墓所特有の死臭を消す効果にも役立っている。

 基本的には腐敗する前に穴の中に遺体を投げ入れるのが作法だが、状況によっては数日間地上にとどめおかれる場合も存在するためだ。


 学者は実に興味深そうに熱を込めて語っているのだが、シュナにとっては少々苦手な話題になった。彼女や墓所の穴を覆う垂れ幕から目をさまよわせれば、自然と終点はデュランの方になる。


 視界の範囲内ではあるが、声は聞こえないぐらいの距離に、彼と少年とは立っていた。何やら緊張した空気を漂わせているのが、離れていても読み取れる。


 シュナ――ではなく、トゥラと一緒にいるときのデュランはとにかく密着してくる男だ。

 それがむしろ距離を取ったと言うことは、きっとそうする理由があるのだろう。

 こちらも強いてその邪魔をしようとまでは思わないので、大人しく学者に付き従っている。


 ……しかし、気になるものは気になる。


 シュナは「君は関係のないことだよ」と遠ざけられれば一応それで納得してはみせるが、疑問が失せたわけではなく、ずっと好奇心を心の片隅で温め育てておく種類の娘である。


 学者の講義から離れた意識が、線香の煙の中で低く会話を重ねるシルエットに向けられた。


(何の話をしているのかしら?)


 何気なく、彼女が黒い目を細めた、その瞬間。


【――機能拡張の要請を確認】


「僕が、個人的にとても嫌だと思う人が――必要だと、言われて」

「君の友達の尊敬する人が?」


 彼女の耳に地上で普通に過ごしている分には聞こえないはずの無機質な音声と、くっきりはっきりと人の話す声が響き渡った。


(今のは、何!?)


 慌てて耳を塞げば、まるで耳元で囁かれているかと錯覚するほどに近かった声はかき消えて、まだまだ終わりが見えそうにない学者の語りが環境音として戻ってくる。


 挙動不審ぶりをごまかすように、シュナは顔の横に上げてしまった手で髪を梳ってみたり帽子を直したりしてみたが、今ちょうどいいところに入っているらしい学者はちょうど目を閉じていて、こちらの異変には気がつかない。


 ちら、とデュラン達に目をやったが、あちらもシュナに取り立てて注目している、という風情ではない。


 奇妙に走ってしまっている動悸を宥めながら、シュナはぎゅっと唇を噛みしめる。


(一体何を――まさか。今わたくしが、ほんの少し、何を話しているのか聞きたいなんて、思ったから?)


 いささか熱心に見つめてしまったからだろうか、こちらが見ているのに気がついたらしいデュランが、安心させるように手を振ってきた。


「さて、トゥラ君。もう少しあちらにも行ってみよう。見たまえ、この柱の作り方は――」


 そんなことを言いながら、ちょうど移動したかったらしい学者が手を引く。

 デュランが目で「行っていいよ」と示すのを確認して、シュナはどこか彼の目から逃げるように小走りに学者の後に続く。


(ずっと、ずっと。自分は何もできなくて、少しでも成長できれば嬉しいと思っていた。だけど……)


 竜の姿になって、飛んで、魔法のような物を使えるようになって、おしまいにはかつてただのおとぎ話だと思っていた瞬間移動までこなせるようになった。


 今まで、それは迷宮の中でだけのことと思い込んでいた。

 けれど――迷宮の外のどこからでも帰りたいときに迷宮に帰ることができる。


 それはつまり、シュナが思っているほど、迷宮の外は不自由な世界ではないのではないか?

 遡れば、かつては普通の人間のように――そう、喋ることだって当たり前だった。


 たとえば、もし。


 娘の中にそんな仮定が浮かび上がる。


 ――もし。心の底から、喋りたいと自分が思うのなら。


 無理だ、だってそういう決まりで、仕組みなのだから。

 目覚めたばかりの彼女なら、そう素直に、そして安易に諦めたことだろう。

 しかし、今の彼女には不思議と確信があった。


(ひょっとして、もう。ただ、わたくしが思い込んでいるだけで。トゥラの姿で、トゥラという娘でいるのは、わたくしが今、そうせねばならないと思っているから、そうである、だけで)


 今、この場でシュナになることも――。


 できる、と思った。確信した。


 握りしめた拳が震える。


(いつも、いつも、駄目なシュナ、できない娘、足りないことばかりで未熟者。早く一人前に、大人になりたい。もっともっと、まだ全然……そう、思っていたはず、だけれど)


 初めて、今。

 先に進むことが、怖い。

 ――そんなことを、感じる。


「およ? もしかして寒い? それとも、雰囲気に当てられちゃったかな」


 身体の震えが学者にも伝わったようだ。

 気遣わしげな言葉に、シュナは静かに首を横に振る。


 どうかちゃんと、自分が笑顔を作れていますように。

 そう念じてみるが、どうにもぎこちない感触しか伝わってこないのだった。




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