竜騎士 神官の弟子と話す

 迷宮の女神イシュリタスをまつる廟は、巨大な穴を覆うように建てられた。

 そこには様々な物が奉じられる。


 地上で採れたわずかな作物や家畜。

 人の手に余る術具や宝器。

 ――そして、終わりを迎えた、人。


 人は迷宮から生まれ、迷宮に帰る。

 それが女神信仰の本質だ。


 赤子が生まれれば挨拶に。

 成人を迎えれば報告に。

 結婚すれば宣誓に。

 そして老いて死ねば、遺体を預けに、人は廟へとやってくる。


 迷宮で冒険者が果てるのは、むしろ本望にすら近い。

 帰るべき所に戻った、ただそれだけのこと。


 そこまではっきり割り切れるかは個人差だが、迷宮で生きて入れば自分の生命の流れが迷宮に始まり迷宮で終わることを、人は自然と感覚的に身につける。


 故に母なる女神に祈りを捧げる。

 どうか人生に幸多かれ。

 そして果てを迎えた時には、そちらに参りますから、と。



 学者は、かつて女神の像と穴とは同じ場所に置かれていた、と説く。

 百年前に帝都が崩壊してからは、災厄をもたらした場所への入り口が直接見える場所で祈りを捧げることに抵抗を感じる心が大きくなったのだろうか、祈りの場と穴は別の場所に分離された。


 女神像のある丸屋根の建物は、明るく白い色合いの石で建築されているが、穴に続く墓所は代わりに暗い色合いで統一されている。


 また、本堂には全体として曲線が至る所に施されていたが、墓所はもっと直線、見慣れた建物の形に近い。

 よく見れば柱などにも細やかな模様があった本堂と異なり、実にシンプルな造りをしていた。


 穴のある場所は所々銀の刺繍が施された紺色の垂れ幕で隠されており、その前には直方体の灰で満たされた入れ物があった。灰の中に突き立てられたか細い棒からは煙がくゆり、建物内に独特の香りを漂わせている。


「それで? 何か相談事?」


 連れの学者は、墓所に入るや否や、早速娘の手を引っ張っていって線香を供えに行っている。


 彼らが自分たちからある程度離れたのを確認してから、デュランは傍らの少年に視線は向けず声だけ投げかけた。

 無視することもできただろうにわざわざ時間を割いて近づいてきた少年は、誘い水を向けられればとぼけることなく本題を始める。


「これは僕の友人から聞いた話なのですが」


 彼はそんなありきたりな前置きをする。

 ん、と小さく相槌を打ち、腕を組んで傾聴の姿勢に入った彼の横で、少年は両手をすりあわせた。


「閣下は……迷われた事はありますか」

「何に対して?」


 デュランは線香を握る二人に目を向けていた。

 学者がお手本に、とどこか大げさな手振りで火を点け、灰の中に真っ直ぐ立てる。

 乾いた唇を軽く舐めてから、微かに震えの混じる声が上がる。


「そうですね……。例えば、あなたが敬愛してやまない人がいたとします。少し前までは、その人のすることは全て正しいと思っていた。その人についていけば、自分は何も間違っていないような気がしていた。憧れで、誇りだった」


 言葉はだんだんと尻すぼみに消えていく。

 促された横の娘が、蝋燭に向かって怖々、という様子で線香の端を差し出した。


「それが、変わった?」

「……変わりました」

「どうして?」

「どうして――なぜ。理由ですか。それは……」


 デュランが促してやったものの、少年は大分言いにくそうに口ごもった。


 竜騎士が目を向けている先では、線香をおっかなびっくり、無事に立て終わった彼女が学者に続いて手を合わせている。


「――嫌な、人が」


 そのまま黙ってしまうかに思えた少年が、ごくごく小さな声を絞り出した。

 つ、と目を横に流したデュランに、少年はすっと息を吸ってから改めて口にした。


「僕が、個人的にとても嫌だと思う人が――必要だと、言われて」

「君の友達の尊敬する人が?」

「友達……そう、友達の、尊敬する人が」

「一緒にいることも嫌な相手と、ずっと話している?」

「……そうです」


 まさに苦渋、という様子だった。

 押し殺すような声を漏らした口の奥から、今にも歯軋りの音が聞こえてきそうだ。


 少年の方に顔を向けていたデュランが、くるっと別の方向に向かって振り返り、爽やかな笑みを浮かべて手を振る。

 線香を立てた後、学者に手を引かれて引っ張って行かれそうになった娘が、こちらを窺うような顔をしたのを察知したのだ。


 彼が「行っておいで、ここで見ているから」というような意思を示してやれば、彼女は安心したように引率者の方に顔を向ける。それを確認したデュランが腕をまた組めば、一連の出来事をいつからか見ていた少年が、見計らったようにぽつ、と切り出した。


「閣下は大切な人一人と、民と。どちらかしか選べないと言われたら、どちらを選びますか?」

「領主として模範解答を出すなら、言うまでもない。民だ。俺や俺の大切な人がいなくなっても、人は続く。人がいなければ、俺たちのいる意味はない」


 ほとんど間を置かず淡々と答えた青年に、未だ子供のあどけなさの残る少年は苦笑したようだ。


「その言い方では、閣下個人のご意見は違う――ということでしょうか」

「俺はどちらも諦めない。勝手に二択にされてたまるか」

「それでも、どちらかしか、ということになったら? たとえば、あなたの逆鱗と、迷宮領。その二つが天秤にかけられたら、どうします」


 瞬間、デュランの金色の目が少年を射貫いた。

 ある程度覚悟の上で放った言葉だろうが、射すくめるような眼差しにやはり気圧された所はあったのか、居心地悪そうに目をそらし、そして伏せた。


「……悪趣味が過ぎましたね。今のは忘れて下さい」

「ああ、そうする」


 明確に声音に冷淡が混じった。

 気を取り直すためにか、間を持たせるためには、あるいはこれでもう話は終わりだという意味だったのか。


 デュランはすっと歩き出し、側に用意されていた線香を取ると、淀みない動きで灰の中に立てた。

 そのままぼんやり目を落としていれば、少年がゆっくり後に続く。


 特に離れることもせず突っ立っていれば、問題なく済ませた彼が、再びデュランの隣に立ち、口を開いた。


「僕は今、迷っています。僕――の友人は。敬愛している人に、けして従えとは言われていない。むしろあの人はいつも、自分で考えろ、自分のなすべきことをなせ、と言う。わたしがお前と異なる道を行くように思えたなら、その時は迷わずお前の道を行きなさい……ずっとそう言われて、それでも全く揺るがなかった。あの人に救われたその日から、あの人を疑った事なんてなかったんだ。そのはずなのに……」


 昼を少し過ぎた頃。ちょうど、どこか図ったように、人のいない時間帯だった。

 少し遠くから、少し興奮気味の、それでも抑えようと努めているのが伝わってくる学者の声が聞こえてくる。


 まばらに人の姿はあるが、線香を灯す灰の近くにいるのは青年と少年だけだ。


「どうしても。今回だけはどうしても。うまく、飲み込めない」


 吐き捨てるように、結ぶ。

 その最後の言葉まできっかり聞き届けてから、今度はデュランの方が息をすうっと吸い込んだ。


「正解の出せない答えだ。本人の素因、環境、そしてそれらの相互作用。人間関係は難しい。理屈を組み立てても情が邪魔をするし、情は何の保証にもなってくれない。だから俺がもし言えることがあるとすれば、どうなろうと、相手のせいにしないってことぐらいかな」

「相手のせいにしない……」

「主体的でいること。別にいつも何かしてろって事じゃない。自分が輪の中の一人で、自分一人の本の小さな身動ぎが、さざ波でも大きく流れを変えるかもしれない。その自覚を持つこと。忘れないこと」


 ちら、と少年は窺うように目を向けたが、デュランが見ているのは視界の端の連れの方だった。だが抑えた口調は、明確に目の前の人間だけに向けられているのだとすぐ聞き取れる。


「たぶん、迷ってる時ってさ。どうしようと、どうなろうと、絶対に嫌な思いをするんだ。必ず、ああ、あの時別の道を選んでいれば、と思う。後々」

「それでも、選ばなければならないのだとしたら――」

「なら、楽じゃない方を選べばいいんじゃないか?」

「らく……じゃない、方」

「楽な方を選んで失敗したら、どこにも逃げ場がないだろ? 楽じゃない方なら、まあ最悪『楽じゃない方だったからな』って言える。……これ、親父の受け売りだけどな」

「閣下はずっと、そうしてきたのですか」

「うん。……いや、どうだろう。楽をしないようにはしてるけどね。付け入られる隙になるから」


 一瞬だけ柔らかにほどけた雰囲気をにおわせれば、少年も釣られたかのように目尻を下げる。

 その瞬間、きらりと金目が輝いた。


「ただ、ルファタ=レフォリオ=プルシ」

「――はい?」

「これは実に個人的な呟きではあるんだが。俺は、人を斬りたくないんだ。善人なら特に」


 ふ、と口元を緩める。

 御曹司の微笑みを真正面から受けた少年は、束の間怯んだ様子を見せたが、けれどすぐに、身体の前で手を組んで表情を消した。


「……友人に、伝えます。ありがとうございました」


 丁寧に下げられた頭をじっと見ているデュランが、ほんのり眉を下げる。


「神官にも懺悔の相手は必要だよな、きっと」

「今、何か?」

「いや」


 呟く言葉を聞き損ねた少年に問われれば、青年はゆるやかに頭を振る。


 ちょうどそこで学者達が戻ってきたので、男達は何事もなかったような笑みを顔に貼り付けて出迎えた。


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