迷宮の姫 アルバイトと会う

 墓所を出ると、すっかり昼過ぎになっていた。


 神官はもう少しここに残りたいと言い、一方デュランは少し遅めの昼飯に行きたがった。

 相伴の提案は、少年に辞退される。一応社交辞令として、という風情で言葉をかけたデュランと、そつなく断る少年のやりとりは、どこか儀式じみているようでもあった。


 丁寧に頭を下げた少年に見送られ、三人は女神の廟を南門から出て行く。

 この道が最も正規の参道なのだろう、城や町の中心部ほどとまでは行かないが、それなりの人通りがあった。


 参拝者向けらしい建物が、なだらかに真っ直ぐ下っていく道の左右に連なっている。


 娘の手を引いて歩いていた男は、その中の一つに目星をつけたようだ。彼が扉を開けると、カランカランと音が鳴って来客を告げる。


「いらっしゃい。空いてる所に適当に座って」


 盆に皿を乗せて横切っていく店員にそう声をかけられ、一行は手近な席を確保する。


 デュランがシュナの正面、学者が彼女の横の席に座った。


 メニューをのぞき込んであれこれ言い合い、そう時間を置かずに頼む物を決めてしまうと学者が店員を呼ぶ。


「ごちゅーもーん」

「はい、ただいま!」


 おや、とシュナは首を傾げた。聞き覚えのある声だったのだ。

 はたして、足音を立てて駆けてきたおさげの少女をシュナは知っている。


(――トゥラは知らないけど!)


「お待たせ致しました」


 急いで自分に言い聞かせている娘のことなどつゆ知らず、店員は特に反応はなく、せっせと真面目に注文を取っていたのだが、最終確認をしている時に男の顔にふと目をやると、そのまま訝しげに首を捻り、あっと口を開いてメモ帳を取り落としそうに鳴る。


「閣下!?」

「……一瞬流せるかと思ったんだが、やっぱりバレたか。今日は知り合いによく会う日だな」


 苦笑いして零したデュランだったが、すぐに愛想のよいいつもの笑顔を取り戻す。


「やあ、ニルヴァ。バイトかな? 順調?」


 遭遇した相手は、確かニルヴァ=ラングリース――元冒険者であるジャグ=ラングリースの一人娘だ。シュナと迷宮で関わった事がある。おさげの髪型は同じだったが、今日はあの時とは違い、娘らしい短い丈のスカートに、店員の装いなのだろうか、エプロンを着込んでいた。


「あの……! ええと、はい……すみません……」

「何だい、別に謝ることはないだろう、ラングリース君。むしろ自分の目を褒めたまえ。よく気がつくのはいいことだとも」

「あ……先生も、いらっしゃったんですね!」

「私も多少はお洒落をしているからね、いつもに比べて。それで? 稼げてる? 何目的のバイト? 貯金? 買い物? 旅行?」

「ええと……あの、あの……!」


 好奇心の塊からの少々不躾な質問の連続におろおろしている少女の様子を、横からデュランが見かねたように助け船を出した。


「それにしても、一応軽めとは言え変装してたんだけど、すぐにわかった?」

「……その。閣下は目の色が、金色なので。遠目からだとわからないのですが、お顔を見ると、ぴんと来ると言うか……」


 さりげなく別の話題を向けた彼は、恐る恐る少女が答えた言葉を聞くと、うーん、と唸る。


「なるほどね。本気で忍ぼうと思ったら、そこもなんとかしないといけないのか」

「まあ、そもそも偽装とやらにもう少しでもやる気があるならまず、鬘を被りたまえよ鬘を。あとは髭の一つでもしゃれ込みたまえ。眼鏡もつければ完璧さ!」

「ヤダよ、ヅラなんてずれたらお笑いじゃんか。それに髭は見た目に加えて感触が嫌って嫌がられる事が多いんだ。……眼鏡ぐらいかな、検討するとしたら」

「ほほーう? ふーん? へーえ」


 いつも通り、目を丸くしたまま会話する人の顔を順に追っていた娘が、鬘や眼鏡、髭という単語に反応したのだろうか。じっとデュランの顔をまじまじ見ている様子を見て、彼は目元をなぞるように指を滑らせる。


「眼鏡つけてみる? それとも髭を生やしてほしい? ジョリジョリしてあんま気持ちよくないらしいよ。鬘は……まあ、君がどうしてもって言うなら、つけるけど」

(じょりじょり……)


 頬の辺りを注視している娘に「今ならすべすべ」とデュランが差し向けてみれば、案の定彼女はぴす、と繊細な人差し指で感触チェックを行った。


(すべすべ……なの、かしら……?)


 真剣に考え込みながらぷすぷす頬を突いているのを、だらしない顔で男が見守っている。

 娘の横の保護者その二が、若干いたたまれない空気の中でおもむろにテーブルに肘をつき、両手を組む。


「気のせいでなければ私は今キャッキャウフフの現場に付き合わされているし、おまけに『頬ずりしちゃうぞ』予告という、イケメンにすら許されるか微妙な事案を目撃した気がするんだが」

「嫌がられたらすぐやめるよ」

「おい……お前調子に乗るなよ、自分が若くてモテる金持ちの権力者でおまけに美男子だからって――いや冷静に並べたら調子に乗る要素しかないじゃないか!」


 学者はぐぎぎと歯をきしり、少女は社交辞令の笑みを浮かべようとして表情をわななかせていた。


 そこでシュナは、ギャラリーの存在を思い出した。

 はっと手を引っ込めて縮こまる娘を、そわそわとニルヴァが見つめている。


「閣下、その……そちらの方は、もしかして……」

「うん。俺の大事な人」

(…………!?)


 さらりと言い放たれたせいで、シュナは反応が出遅れた。

 やっぱり……! と顔を赤くしつつ目を輝かせている少女のことを、デュランが紹介してくる。


「トゥラ、この子はニルヴァ=ラングリース。今はまだ学生、将来は未定。控えめだけど芯の強い頑張り屋さんだ」

「は、初めまして、トゥラ様! ニルヴァ=ラングリースと申します。以後、お見知りおきを……」


(リーデレット様の時もあったけれど。久しぶりだわ、この感じ……)


 何しろ本当は二度目ましてなのだが、一度目に会っているのはトゥラではない。だから人間達は、娘が引きつった笑顔の下で(初対面、初対面……!)と自己暗示を続けていることなど知る由もない。


「あーっと、つい話し込んじゃった。邪魔しちゃったね、ごめん。店員さんを独り占めするのはマナー違反だ」

「そうだね、ごめん、ニルヴァ」

「いえ――」


 少女は最後にちらっと娘に向かって目を投げかけてから、ぴょこんとお辞儀をして去って行く。


 その後ろ姿を指差して、早速学者が物知らずの娘に解説を始めた。


「迷宮領では成人は男女ともに十八。本格的に就業の権利と義務が出てくるのはそれから。ただし、それ以下でも条件を満たして申請が受理されればバイトも可能って訳だよ」

「父親のことがあるせいだろうな。ニルヴァはこの前、冒険者だった父が引退したばかりなんだ。冒険者は常に危険と隣り合わせの仕事だ、地上にいる方が安定はするんだろうが――」


 何ならその父親とも面識があるどころかつい最近「うちの娘がお世話に」と挨拶を受けたぐらいなのだが、それら一切隠しておかねばならない嘘つきの辛さである。


 自然な流れで学者の話がどんどん新たな講義に発展していく途中、少女が注文された品を持ってくる。


 最初は気のせいかとも思っていたが、何度か繰り返されるとシュナも気がつかざるを得なかった。


 ニルヴァはどうやら、随分とシュナの方に注目している。

 店で別のことをしている時もちらちら視線をよこすし、物を持ってくると度々ぼうっと魅入ってははっと我に返りを繰り返す。


「そんなにうちのトゥラと話したい?」


 デザートを持ってきた時に、ついにという様子で片方の眉を跳ね上げたデュランが言えば、少女は顔を真っ赤にして飛び上がった。


「ちが――あの、あたし、本当にそんなつもりじゃ――!」


 結局、盆を抱えてもごもご口ごもったかと思えば、「ごめんなさい!」と悲鳴を上げるようにいなくなってしまった。


「珍しい見た目だしねえ。それとも一目惚れか、憧れの人にようやく会えて感極まってって所か」

「うーん……」


 学者は面白そうに言うが、デュランは気がかりな目を少女の消えた方に向けていた。


 けれど、少女はもうテーブルにはやってこなかった。


「およ。さっきの子、もしかして帰っちゃった?」

「ん? ああ、急に体調不良らしくてね。それがどうかした?」

「あらら。もうちょっとお話ししたかったのに、残念だったね」


 勘定を済ませる時、学者と女性店員がそんなやりとりを交わしていた。


 思わず振り返ったシュナは、デュランとぱっちり目を合わせる事になった。


「……ただの風邪とかなら、いいんだけどね」


 そう言って肩をすくめる彼の目が、やけに鋭い。


 たじろいだ娘の動揺を感じ取ったのだろうか、引率者の務めとしてしっかり手を握りしめ直したときには、柔らかな態度のデュランに戻っている。


 けれど奇妙な違和感のようなものは、ぽたんとシュナの胸の内に落ち――しばらくの間、くすぶり続けることになったのだった。

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