若竜 初陣に出る

《ガーゴイルは部屋、設備、あるいは迷宮内部の何かしらの物を守る役割を与えられている魔物だ。奴らの守護対象を正確に把握して手を出さなければ、互いに無視をすることが可能。そういう意味で、危険度は低級とされている》

《じゃあ、うまくすれば戦いを避けることも可能なの? さっきの植物お化けはいきなり飛びかかってきたけど、あの動く石像達はそうじゃないってこと?》

《そういうことだ。偉いぞ、シュナ。賢い子だな》


 ポンポンと愛撫されながら褒められてシュナは反射的に甘え声を出しそうになるが、目の前に魔物三体がいる状況をすぐに思い出してきりりと顔を引き締める。


《なぜここに出てきたのか、何を守ろうとしているのかわからないが――魔物の中でも比較的穏健派だ。俺の経験則上、すぐに飛びかかってくることはない。……そのまま、ホバリング――って言ってもわからないよな。ええと、空中で停止して。こう、うまく翼を使って、落ちないように、でもあまり動かないように……そう、そうだ! 上手だ、シュナ。偉いぞ!》


 ひとまずなんとか言われた通りに空中で翼をはためかせつつ停止すると、近づいてきた空飛ぶ石像達は確かにそのまま襲いかかってこようとはせず、一定の距離を保ったままこちらを中心とした円を描くように飛び始めた。明らかに様子を窺われている。しかも何がきっかけでこの均衡が乱されるのか、こちらはわからないのだ。シュナのストレスは大きくなっていく。それをまた、笛の音が緩和する。


《よし、いいぞ。今のうちにこちらも準備を整える。シュナ、集中して。笛に集中するんだ。意識を同調させる。さあ……》


 デュランの声に従い、彼女は笛の音に耳を澄ませる。

 低めの音が一定のリズムで繰り返される。脈拍にも似たそれをひたすら聞き続けていると――そのうち、自分とは異なる心臓のリズムに音が変化する。

 驚いて暴れそうになったシュナだが、そこですかさずデュランの声が入る。


《大丈夫。深呼吸だ。息をして。吸って、吐いて。目を閉じて、俺の声を聞いて。イメージして。君は今……そうだな、部屋……小さな部屋がいい、そこにいる。いいかい、そこは安全なんだ。誰も君を傷つけない。深呼吸して。イメージして。君はそこにいる……》


 なんとか堪えた彼女は、今度も素直に指示を聞き入れた。言葉を聞いているうちに真っ先に思いつくのは塔だ。十八年間ずっと、安全で、平和で、世界の全てだった所。けれど……。


《大丈夫、シュナ。俺が一緒にいる。大丈夫だ……》


 自然と湧き上がってきそうになる嫌な思い出を止めたのはデュランの言葉だ。彼女はふと、塔の中にいる自分と、そこにいる彼を想像する。赤毛の騎士は少し驚いたように目を見張ってから、歯を見せて笑い、そしておどけたようにお辞儀する。

 心が、胸が、温かいもので満たされていく。

 深く呼吸を繰り返し、心音に意識を集中させ、やがて自分と相手の呼吸が完全に一致した瞬間――また、喉が熱を放つ。


【竜と騎士、シンクロ率が75%を越えました。リンクを開始します】


 頭の中に妙に無感情で抑揚のない誰かの言葉が響き渡ったかと思うと、次の瞬間視界がクリアになり、身体の感覚が研ぎ澄まされる。一方で同時に、なんだか動かしづらさというか、まるで薄い膜にでも包まれてそれ越しに世界を見つめているような、奇妙な感覚に支配される。


《デュラン、なんか変! 今のは何? これは何?》

《よし、シンクロリンク成功だ! すごいぞ、シュナ。初めてでここまでできるなんて!》

《シンクロって何? リンクって何? 身体がどこか変なの。どうして? ねえ、どうして?》

《えーと……しまったそうだこの子こういう子だった、つまりあれだ、こう、君と俺の意識を笛を介してつないだことにより……》

《ことにより? どうなるの?》

《…………二人は最強となる》

《そうなの!?》

《た、たぶん……》


 騎士は途中まで真面目に考えていたようだが、途中で面倒になったか集中が切れたか、それでもシュナの手前沈黙するというわけにも行かなかったのか、最終的に沈黙とどっちがマシなのだろうという答えが出てくる。

 しかし十八年間塔で人生を送り、最近竜として目覚めたばかりの世間知らずは極めてポジティブにその結果を解釈した。


《よくわからないこともあるけど、きっと、やっぱりデュランはすごいってことなのね!》

《……そっ、そうだね! たぶんそれは間違ってない。俺もちょっと今、自分で自分すげえなって思ってるもん。さすが本番に強い男、ぶっつけ一度目でちゃんと決めてくるなって――いや違う、そんな全力で自画自賛してる場合じゃなかった》


 危うく忘れかけていたが、一人と一匹は現在周りを三匹のガーゴイルに包囲されている。とても安全とは言いがたい状況だ。


 しかも悪いことに、こちらの変化はあちらによくない結果をもたらしたらしい。

 何かを感知したらしい石像達の目が赤く光り輝き、三匹が一斉に牙を剥く。明らかに、攻撃の予兆だ。


《デュラン、来るわ!》

《オーケー、任せて。たぶん、これならなんとかなる――思いっきり息を吐いて、力を抜いて!》


 シュナがふっと力を抜くと、抵抗をなくした身体はがくっと下に向かって落ちる。上空で突撃してきたガーゴイル同士がぶつかってうめき声を上げたのが見えた。

 二匹はそれで一時的にでも止めることができたようだが、まだあと一匹残っている。大きな口を開けて突っ込んできたそれを、シュナは落下しながら真正面から迎え撃つことになる。


 ――そういえば背を下に落ちているのだから、これで落下しないデュランは一体どういう姿勢で乗っているんだろう、なんてことをほんのりと思ったりもするが、それは後だ。


 大きく息を吸い込むと、喉元に熱が集まる。燃え上がるかと思うほどまで高ぶった熱を、これでもかと言う程限界まで開けた口から一気にまとめて放つ。

 シュナの体内で生成されたエネルギーの塊は、飛び込んできたガーゴイル一体を丸ごと飲み込んで焼き尽くした。周りの大木にまでその衝撃が伝わり、鈍く深く振動の音が聞こえる。

 一体がエネルギー砲によって消失したせいか、二体のガーゴイル達が慌てたように去って行く。


 シュナの身体は適度に重力に従って降りていき、大木の一角に着地した。ちょうどくぼんでいる箇所が良い止まり場になりそうだ。竜の四つ足に地の感覚が戻ってくるのと同時に、彼女を支配していたおかしな感覚は消え失せ、乗っているデュランがげっそりした顔で深く息を吐き出す。早速、興奮しきった様子のシュナは口を開けた。


《デュラン、さっきの、身体が勝手に動いたわ! あと何か、口から出た! アレは何? もしかして、あなたがわたくしを動かしていたの?》

《まあ、そんなところ……はあー、うまく行ってよかった。ちょっと一瞬死ぬかと思った。というか今日もうこれで三回目ぐらいだな、死を覚悟したの》


 大木は枝もまた大きく、二人が降りても十分にスペースが余っている。

 答えながらシュナの背から降りてきたデュランは、どっさりと大の字に手足を広げて寝っ転がった。シュナが近づいていって覗き込むと、微笑んでから目を閉じる。


《デュラン、寝るの?》

《今の、予想以上に疲れる……ちょっと、休ませて。贅沢言わない、十五分ぐらい……》


 確かに顔色も悪い。シュナも彼が休みたいと言うのなら大賛成なのだが、少しもしないうちに目を閉じて倒れている彼に声を掛ける。


《デュラン、大丈夫?》

《大丈夫》

《寝てるの?》

《寝てないよ。いや半分寝てるかも……》

《呼吸してる?》

《……してるよ!?》


 いかにも眠たそうな声で生返事をしていたデュランだったが、さすがにツッコミ所だったのだろうか、がばっと上半身を起こし、そわそわ落ち着かない竜に苦笑を向ける。


《大丈夫だよ。本当、ちょっとだけ疲れちゃっただけ》

《……ちゃんと起きてくる? それなら我慢するわ。いい子で待つ。邪魔してごめんなさい》


 シュナの頭からどうしても離れないのは、同じように倒れたまま二度と動かなかった男の姿だ。ふっと光のかき消えた黒い目。だからどうしても、赤毛の騎士が黙って倒れていると、すぐに起こしてちゃんと動いてくれるか確認したくなってしまう。黙っていると不安で仕方ないのだ。


 そんな彼女の内情は知らずとも、怯えている様子は伝わったのだろう。デュランは肩をすくめると、立ち上がり、少しだけ歩いてからどっかりと腰を下ろす。

 今度はシュナの身体にもたれかかるように座り込んだ。ぽんぽんとお腹の辺りを叩いて言う。


《これなら、ちゃんと寝てるだけってわかるかな》

《……うん》

《ちょっとだけだから。少しだけ……》


 そう言って、再び騎士は瞼を下ろす。

 よほど疲れていたのだろう、間もなく規則正しい呼吸の音が聞こえてきた。


 シュナも今度は彼のうたた寝を邪魔をすることはなかった。

 お行儀良く座ったまま、もう一つの呼吸と温もりを、じっと身体に感じていた。




 正確に時間を計る物がなかったから、果たしてデュランの希望した十五分が守られたのかはわからない。

 じっと静かに同行人の起床を待っていたシュナがまず、ぴくりと耳を動かして反応する。

 間もなくデュランがパッと目を開け、立ち上がっていつでも彼女に飛び乗れる構えになる。


《……飛ぶ?》

《そうだね。その方がいいかもしれない》


 二人とも、はっきりとは言えないけれど、何か空気の変化を、漠然と嫌な予感を感じ取っていた。


 シュナが小さく聞くと、騎士は答え、飛び乗ろうとする――。




 その前に、大きな揺れが二人を襲った。

 咄嗟にしゃがんで転倒を回避したデュランだが、シュナの方はよろよろと枝の端の方に寄っていってしまう。


「シュナ!」


 デュランが思わず笛を取り落として叫んだのは、彼女が落ちそうになったからだけではない。大木の下、遙か下の地面から伸びてきたらしい何かが彼女の首に絡みついたのが見えた。


 それは手だった。影のような黒い腕。後から後から現れてはシュナに巻き付き、彼女を下に攫っていこうとする。


《いやっ、デュラン――》

「シュナ! くそっ――うわっ!」


 騎士はすぐに反応しようとするが、他の手の群れ達に阻まれる。

 影の手は騎士を制するように彼を押して枝の上に追いやる一方、シュナを絡め取って引きずり下ろす。

 あっという間に手足が浮いて、宙に投げ出される。


 少し前に見たのと同じような光景だ、背中を下に落ちていく。

 けれど何もかも先ほどまでと違う。


 シュナもデュランも叫んだ。そのどちらの悲鳴に、だろうか。答える誰かがいる。


《はーい。それじゃご期待に応えて貸しひとーつ。不良一号、援護入りまーっす》


 爽やかに歌うような抑揚が響いたかと思うと、かっとまばゆい光が放たれて手の群れ達を消し去った。

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