身元不明 お医者さんの診察

 デュランと黒服の女性がなにやら賑やかにやりとりを交わすと、その後部屋にひょっこりとまた別の女性が入って来た。騎士と少しだけやりとりを交わし、ふんふんと頷いてからシュナに近づいてくる。

 今度は真っ白な服で、髪まで同じように白く、顔はしわくちゃだ。シュナは目を丸くしてから輝かせた。


(おばあちゃん、って人だわ……!)


 本の中でのみ人の老いについて知っている彼女だが、実際に目にするのは初めてだ。

 色々触ってみたくてうずうずしている彼女の落ち着きのなさを知ってか知らずか、ベッドの側に腰掛け、服の中から何か取り出した。

 一つ目は二つの丸い透明な板がついているもの。それは顔に装着するものらしい。


(わたくし、知っているわ! 眼鏡って言うのよ! ご本で見たわ!)

「はーい、それじゃ体調チェックしましょうね」


 もう一つ取り出されたのは、やはり円形の透明な石だ。柄がついていて、持ちやすいようになっているらしい。水晶か、ガラスか、等と考えているシュナに向かって彼女がそれをかざすと、淡く光を放ち始めた。シュナは思わず声を上げる。


(それ、なに!?)

「あらあら、まあまあ。検診器を見るのは初めてかしら?」

(はじめて!)

「ふっふっふ。これもまた、我らが誇ります迷宮産の宝器ですわ。別名をお医者さん怠惰セットと申しまして、一度手にするともうなかった頃には戻れな――」

「先生、そういうのいいから。結果を教えてくれないか」

「チッ。せっかちな男は嫌われますのよ、若様」

「そうですよ、若様! 早い男はダサいですよ!」


 眼鏡を掛けた白服は、後ろからじっと様子を見守っていたデュランが笑みと共にたしなめると、舌打ちしてからささっとシュナの前で検診器なるものを動かし、さっさとまた鞄の中にしまってしまう。部屋の後ろ、入り口付近でじっと立っていた例の黒服白エプロンが追撃の野次を飛ばすが、デュランが顔を向けるとさっと逸らした。

 シュナはああ、と悲しい声を上げて思わずデュランにそのまま顔を向けた。


(デュラン、わたくし、もっと聞いていたかったのに!)

「……あれ、なんで俺、責められるような目を向けられてるんだ……?」


 無言の抗議の圧に思わずだろうか、たじたじとしたデュランに、白服はくるりと振り返った。


「さて、ではご要望にお応えして、さっさと報告しましょうね。まだ経過を見る必要はあるでしょうが、熱は下がりましたし、その他特に問題なし。山は越えたでしょう。頑張りましたね」

(そうよ! わたくし、結構頑張ったのよ! 褒めて!)


 ふん、とシュナが得意そうに鼻を鳴らすと、白服の女性は「あらあら、まあまあ」等と言ってニコニコし、デュランは……なぜかまた唸りながら首を捻っている。


「やっぱりなんかこの雰囲気、つい最近どこかで見たような気が……?」

「それと今までの様子を見ているに、こちらからの伝達は問題ないでしょう。単語を聞き取り、我々の言語をちゃんと理解している能力はありそうです。反応を返そうとする意思も見られますので……そうですね。五感や考える力は大丈夫なのですが、言葉を出す機能だけ失っている。そんな状態でしょうか」


 騎士が反応してくれないのでむっと頬を膨らませていた彼女だが、白服の人物がどうやら自分の状態について話しているようだと知ると、そちらに興味が移る。デュランの方も姿勢をちゃんとして、真剣な顔で聞いていた。


「加齢によって、あるいは外部からの衝撃で頭の一部が傷つくと、そういう症状が出てくることがあるのですわ。強いストレス、何かしらとてもショックな出来事があって、言葉が出なくなってしまった……そういう可能性も考えられますね」

「発見時の状況から推測すると、どちらもありえる、か……」

「熱やショックによるものなら。療養しているうちによくなることもあります。何にせよ、ゆっくりしていただくことです。あら、そうだわ。そういえばあなた、文字は書ける? 聞き取りや理解が問題ないなら、筆談が可能なんじゃないかしら?」


 ちょっと待ってね、と言ってから白服は脇に置いたままだった鞄の方に今度は手を伸ばした。がさごそと中を雑に探ってから手を出すと、にゅっと板が一緒に出てくる。端に添えられている白い方で板に書き物をするらしい。


「わたしはお医者さんです、っと……はい、こんな感じよ。やってみて」


 お手本なのだろう、自分で適当に書いて見せてから、それをシュナに渡してきた。シュナの方は渡された板よりも、鞄の中に収まらない大きさの物がどうやって出てきたかの方に興味津々だった。


(すごい! どうやって出したの!?)

「ふっふっふ……お医者さんの鞄にはね、小宇宙が詰められているのよ」

「ただの宝器ってだけの話じゃないか……」

「いえ、とても素直に喜んで下さるものですから、つい、サービス精神に火が」

「リアクション……素直……好奇心……あれ? それって……」


 白服の言葉に何か思い当たることがあったらしいデュランがはっとなったのと、板に筆記具を走らせていたシュナが悲鳴を上げたのはほとんど同じだった。


(うそ……どうして!?)


 塔の中の最たる暇つぶしは読書だった彼女だ、当然文字の書き方も知っている。

 ところがいざ今文字を書こうとすると、ぐにゃぐにゃした意味をなさない線ができあがる。喋ろうとして、頭の中では文ができあがっているのに口からは意味をなさない文字列が出てくるのと同じだ。言葉が彼女の中にとどまって、外に出てくれない。


「あら? 文字は知らない?」

(知っているのよ! 書けるはずなのに……)


 覗き込んだデュランは首を傾げているのみだったが、白服の方はシュナがしゅんとうなだれて目を潤ませるのを見ると、今まで柔和だった表情がもう少し真面目な物になる。自分の膝の上に鞄を置くと、またごそごそやり始め、新しい何かを引っ張り出した。


 ばっと広げられた紙のような布のような何かにシュナが目を向けると、そこには一面、文字がずらりと一通り順番に並んでいた。見守っていたデュランが声を上げる。


「先生、それ、似非占い道具じゃないか。なんで今……」

「まあまあ。確かにパーティーの余興や女の子達の遊びにも使われますけど、ちょっと別の使い方もできるのですよ。例えば、文字がわかるけど書けない人と意思疎通するためだとか……ね、これでもう一度やってみてくれる? 文字を指差すの。わかる?」


 白服はシュナから板と筆記具を受け取り、文字列の並ぶ布を渡す。意図を理解したシュナは今度こそ、と気合いを入れて文字を指差してみようと思うが、最初の一文字目に伸ばそうとした手が急にピタッと止まった。


(動かない……どうして……!)


 シュナはぐっと歯を食いしばり、自分の手を動かそうとする。

 けれど、他の事をしている時は全く問題ないのに、いざ文字を指差そうとする、その瞬間だけ全く身体が動かなくなってしまう。


「……ごめんなさいね、どうもありがとう。もう大丈夫よ」

(わたくし、ちゃんとできるわ!)

「そうね、あなたは悪くない。ただ、今はまだ身体が本調子ではないから、無理は禁物よ」


 彼女がぶるぶる震えながら汗を流しそうになったところで、白服は声を掛け、励ましなだめつつそっと布を回収した。

 シュナがすっかりしゅんとして小さくなっている横で、今までにない厳しい顔になり、騎士に振り返る。


「若様。当主様との相談も必要かもしれません。私より専門の方に見ていただいた方がよろしいかと」

「どういうことだ?」

「おそらく、彼女が言葉を話す……というより、自分の意思を言語を使って伝えることができないのは、何らかの呪いをかけられているのではないかと。私は病気や怪我担当なので、呪いにはそこまで詳しいわけではない。知っている種類の呪いを解く、ということでしたら、知識に則って手順を繰り返すだけですから私にもできますが、未知の呪いを特定して解けと言われますと……申し訳ございませんが、手には余ります。かの法国最高の術士と謳われる神官殿を頼るほかないかと」


 デュランもまた、表情が硬くなった。シュナは二人のことを交互に、不安な目で見守る。


「でも、検診器は何も反応しなかった。あれは呪いも感知できるはずでは?」

「ですから、検診器ですら全く感知できない、非常に高度で古い術式なのではないかと……そう考えるしかなくなってくるのです。この方は明確に、私たちの言葉や文字を理解しているし、答えようとする意思もある。病み上がりではあっても、運動機能、感覚機能に問題はない。それなのに、こと意思疎通の段になりますと、指さし筆談すらできないのは……」

「後は確かに、呪いの類で制限をかけられていると推測するしかない、か……」


(呪い……)


 考え込んだまま黙り込んでしまった二人の言葉に、シュナもまた思考を巡らせる。


 ――心当たりなら、彼女には、十分すぎるほどある。時折頭の中で響く、謎の声。


(迷宮で生まれた生あるものは、けしてそこから出られない……わたくしの今の状態はもしかすると、そのルールのせいなのかも。でも、それって結局、どういうこと? そもそもどうして迷宮から、誰も出られないのかしら。一体誰がそのルールを決めたの? 何のために?)


「皆様! お茶を入れてきましたよ!」


 皆して黙り込んでしまうと、重苦しい空気のみが残された。

 その場に、いつの間にか部屋からいなくなっていたらしい黒服白エプロンが、なにやら食器を持って入ってくる。


「珍しく気が利くな」

「珍しいは余計ですよ、若様!」

「ありがとう。ほら、あなたもいかが?」


 各々カップを受け取り、緊張していた空気を緩ませている人間達の中で、けれどシュナだけは一人硬直した。

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