竜騎士 謎を追う 3
トゥラとずっと一緒にいたい――それを実現するものとして考え始めてから、デュランは彼女に対する接し方を少し改めた。
今までなら絶対に止めていたような事を、任せてみる。
なので茶会に行く事も、表向きは何も言わなかった。
が、相変わらず不安が消えたわけではないし、できれば安全なところで大人しくしていて帰ってきたら「おかえりなさい!」と笑いかけてほしい、そんな理想に対する未練もほんのり引きずり続けている。
彼女の見ていない裏なのでは、父に苦言を呈してしまったりもするのだ。
思わず一言挟んでみて、「むしろ着火剤になってくれるならそれも一興」とばかりの現領主の態度に、渋々引き下がる。
本当に受け入れられるとは思っていない、むしろ今から中断されたらそちらの方が面倒な事になると、理解はしている。
それでもやっぱりブーブー言わざるを得ない。
複雑な男心つゆ知らず、乙女は行ってきますのキスを交わすと軽やかに旅立っていった。
その後ろ姿に、無性に不安を感じ、追いかけたくなる。
……が、もし本当にトゥラと結婚するのなら、一緒にいられない時間なんて山ほど、ちょっと離れたぐらいで泣き言を漏らしていては話にならない。
大体領主夫人は多忙だ。人目にも晒される。トゥラはシシリアと違うとは言え、仮にもしずっと奥に引っ込んで表の事一切に関わらないような女性を妻に迎えれば、デュランにとっても彼女にとってもよろしくはない未来が訪れるだろう。
でもやっぱり心配。
いやしかしこれぐらい。
だけど目を離したくない。
いやいや過保護……。
堂々巡りの思考回路を、頭を振って領主子息は追い払う。
彼だって多忙倶楽部の一員、残念ながら己の恋愛事に悩むのみで生きてはいけない。
最近人生の大半の時間をそちらに悶々とすることに割いている気はするが、最低限仕事はせねばならない。
さて茶会の使命を帯びて送り出された娘と別れた本日の領主子息は、組合の定期会合に顔を出すことを主なミッションとしていた。
領の人間達が今どうなっているのか、何を問題としているのか、どうなっていこうとしているのか、それに外の人間はどう関連し、動いていくのか。
組合の代表者達は、各自所属する集団の意見をまとめ、主張してくる。一致団結していることなどまずない。その中で、何を選び、何を捨て、どう結論を出すのか。冷静に見極め、時に慎重に、時に大胆な判断を行わねばならない――。
(どうにかは、なったかな)
今回も、色々な人間の顔を見ながら、時に意見を引き出し、時に強硬な主張をさりげなく退け、過分が不満が出ぬように、「まあこのぐらいでいいだろう」と納得する点までは持って行けた。と、思う。
ただ、やはり父に比べると、自分はやや交渉下手だ、そんなことを折りに触れて感じられもする。
ダナンはどこでも土下座できる男だ。その一方で、どこでも領主として威張れる。プライドがないのではない。そんなことぐらいで自分のプライドは揺るがないという価値観が、シシリアに夫と認めさせた得がたい才能の一つなのである。
デュランは「ええかっこしい」だ。彼はかっこよくあろうとするし、周囲もそういう風に求める所がある。
まあ度々父親同様、よく言えば親しみのある、悪く言えばちょっと情けない姿も散々周囲に披露しているので、一度も失敗のない超絶完璧人間であることまでは求められない。
しかし、たとえば真正面から喧嘩を売られた時、デュランは逃げるわけにはいかない。彼の自意識も、周囲の目も、決闘から逃走するデュラン=ドルシア=エド=ファフニルカをけして許さない。
父は違う。ダナンなら聞かなかったフリを通して、相手に呆れられながらも「まあこいつはそういうところがあるから」と引かせてしまう。
もう少し幼い頃は父のそんな姿を情けなく感じるばかりだったが、近頃老獪な猛者達を相手にしていると、正道しか進めない事は自分の弱さでもある、と思うようになってきていた。
(とは言え、今までやってきたことを急には変えられないよな……やっぱりかっこ悪く見えるのは嫌だし)
引き出しを増やし、幅を広げていく。情報を常に最新の状態に更新し、変化に敏感な感覚を失わない。
結局の所、当たり前に求められる努力を当たり前に続けていくだけなのだ。
「お疲れ様でした、若様……じゃなくて閣下」
密やかに気合いを入れていた若者に、組合の受付嬢が気を利かせてお茶を入れてくれたらしい。
ちなみに年の近い彼女は、職務中は閣下、プライベートでは若様と自分で呼び方を分けているらしいが、元が若様呼びだから素ではそちらで呼びかける。
今は会合が終わって一人休憩中のデュランの雰囲気に釣られたのだろうか。本人はどちらで呼ばれようが、自分の事を言われているのだとわかれば気にしないのだが。
「ありがとう。助かるよ」
「ご一緒させていただいても? ちょうど私も休憩なんです」
「もちろん」
「それと、今日もしかして、この後潜る予定ですか?」
「そういう顔してた?」
迷宮生まれの迷宮育ち、半ば幼馴染みとも言える受付嬢は、口にしていたカップをソーサーに戻すとにっこりと微笑んだ。
「お仕事ですか? それとも息抜き?」
「息抜き……って言っていいのかなあ。まあ、その。気になることがあって。すぐ戻ってくるよ、長くても半日程度だと思う」
「いいですよ、手続きしておきますので」
冒険者は組合に所属し、迷宮探索の際は組合に申請してから行動する。まあ都合上事後報告の形になることもそこそこあるが、皆の見本たる領主子息兼特級冒険者が堂々と規則破りをするのはいただけない。
最低限、滑り込みではあるが事前申請の義務を果たしてほっと一息ついた後、ふと金色の目に何か思い出したような光を宿した。
「あのさ。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「どうかしましたか?」
「ルファタ=レフォリオ=プルシ。法国の神官。冒険者登録もされているよね」
「ええ……何か?」
「トラブルに巻き込まれていそうだったりしない? 誰か特定の冒険者にいじめられていたりとか」
唐突な名指しに、受付嬢は当初困惑の様子を示す。けれど話が進むと、はっとしたような表情になって素早く周囲に視線を流した。
元々デュランがくつろいでいたのは組合の隅っこ、小会議室とか呼ばれている場所だ。特に使う予定がないとき、誰かが仮眠室代わりに使っている事もある。閉める扉はないが、敷居でスペースが区切られていて、ある程度の防音対策もされていた。
大声で叫ぶだの暴れるだのせず、普通に喋っている範囲であれば、スペース外の人間には会話内容が届かない。
それを確認してなお、受付嬢は座っている椅子を動かして近づき、声を潜めた。
「どこかから聞いたんですか?」
「この前、廟で会ったんだ。少し話をした。何かに困っている様子だったけど、俺には言い出せないみたいだったかな。彼を困らせている相手はワズーリだね?」
「今日はやたら直球にグイグイ来ますね、若様……」
デュランは特級冒険者であり、つまり組合に所属する人間の一人である。
一方で、領主子息でもある。
組合員が仕事で得られた情報をどこまで彼が知っていていいのかは、結構微妙な話になってくる。
十九歳を「坊ちゃん」呼ばわりする組合長なんかは、デュランがまだ若いせいだろうか、たとえば誰か特定の冒険者について探りを入れても鼻で笑って流してしまうような事も多い。
受付嬢ならばもう少しデュランに近い人間だ。
とは言え、若輩の身で
「冒険者同士の小競り合いなんて、日常茶飯事です。暴力沙汰だの器物損壊だのに発展しそうになければ、基本的には当人の問題、不干渉。組合も、そこに所属する冒険者も同じルールを守るべきです。いじめ? そんなものどこにでもあります、そこで淘汰されるなら迷宮潜りなんて元々務まらないでしょう――」
「うん。俺も個人的な揉め事にいちいち首を突っ込む気はない。きりがないし。ただ、ルファタの師はユディス=レフォリア=カルディだ。同郷の弟子に、彼女はとても期待しているし、かわいがってる。もし彼に今現在何か起きていて、それが大事に発展してからだと遅い。偶然とは言え、見かけてしまったからには放っておけないんだ。公私どちらの意味でも」
トン、と指で軽く机を突くと、デュランの言葉にふっと貼り付けた受付スマイルから素の表情に戻った。
「実は私もね、最近ちょっと大丈夫かなって気にはなっていたんです。組合長なんか、まさにほっとけ気質なんですけど、どうにも……ワズーリさんが脈絡なく誰かに絡みに行くのなんていつものことですけど、なんていうか、今回は――」
「様子が変だった?」
「ええ。そうです、違和感があって。ワズーリさんがじゃなくて、相手の子が」
事務職勤めの白くて細い指が、敷居の向こう、冒険者達が普段歓談しているオープンスペースを指差した。
「そう、受付からも見えるし、周りの話も聞こえるその辺のテーブルでね、時々肩を組んでいるのが目に入って……こう、ワズーリさんが、ぎゅっとする感じで」
いやらしく、それでいて甘ったるい愛想笑いを浮かべながら、少年をベタベタ触る亜人。今この場に見えるかのごとく容易に想像できる光景に、デュランは眉の形を歪めつつ、続けて、と話し手を動作で促した。
「だけど、神官君の方は……明らかに敵意を剥き出しにしていて。それなのに、じっと座って、拳を握りしめて話を聞いているんです。ワズーリさんがいなくなってもしばらくそのまま……」
何事かを耳元に吹きかけ、やってきたのと同じぐらいあっけなく風のように去って行く亜人。ぎゅっと、歯が食い込んで切れてしまうほど強く唇を噛みしめたまま、殺意に満ちた視線をその背に、消えた方に向け続ける少年。
これもまた、とても想像しやすかった。
ため息を吐き出して、デュランは緩く頭を振った。
「法国の人は我慢強いからね。侮辱されても言い返したりやり返したりするのは品がないとか思って、ため込んじゃっているのかも。ありがとう、ひとまずはわかった。師匠の方にそれとなく伝えておく。枢機卿が出てきたらさすがのあいつも引っ込むだろう」
「それがいいかもしれませんね」
(既に相談があったり、話の内容を小耳に挟んでいたら更に良かったんだけど……さすがにそれは期待しすぎか)
何にせよ、ユディスとはおそらく話をせねばなるまい。弟子が廟で漏らした内容は、とても聞き捨てならないものだった。
空になったカップにお代わりを勧められ、わずかに考えてからお願いをすると、慣れた手つきで受付嬢はポットから注ぎ足してくれる。礼を言って、今度はミルクを入れた。
(整理してみよう……なんだか思っていたより、もう少しややこしいことになっていそうだ)
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