恋乙女 舞踏会に挑む 中編

(時間を置いたらだんだん腹が立ってきたわ。あれってわたくしに失礼な態度なのではないかしら!)


 最初は様子のおかしいデュランに心配の気持ちが強かったシュナだったが、ある程度時が経ってくると、どう見ても後ろ向きだった姿勢に物申したい気持ちが出てきた。



 確かに、デュランが以前指摘し、今現在シュナ本人も思っている通り……このドレスはいささかその、胸元の露出が激しいような気がする。


 他の貴族はまた違うのかもしれないが、少なくともファフニルカ侯爵家の普段の装いの傾向を見ていると、男性陣はもちろんのこと、夫人もぴっちりと襟の詰まった服を着ている事が多い。


 何なら今日だってトゥラ以外は、皆もうちょっと服の防御力が高いと言える格好をしていた。


 当然、だから普段はトゥラに与えられた服だって似たような傾向の形が多かった。多少襟が広いことはあっても、せいぜい鎖骨が見える程度だったのだ。首元どころか肩周りと背中まで出していくドレスは予想外だった。


 が、せっせと着替えさせる合間に口も動かしていたコレット曰く、トゥラの場合このデザインは正解の一つらしい。


「奥様はスラリと背が高くて、スレンダーでいらっしゃいますでしょう? ああいう体型の方は、襟がぴっちり詰まっている服がとてもお似合いなのですね。すっきりと着こなすことができますので」


 シュナはファッションのあれこれに、今まで多く接する機会がなかったから詳しくないが、けして興味がないわけではない。


 確かにシシリアはすらっと手足が長くて背が高く、細身の女性である。

 その場合、胸元を強調する衣服だといまいち盛り上がりに欠けるように見えてしまう……のだそうだ。


「でもお嬢様は、奥様が日頃好んでいらっしゃるような服を身につけると、逆にちょっと息苦しく見えてしまうのですね。他は全体的に華奢なのですけど、結構この辺りはボリュームがありますので。強調するなんて! って思うかもしれませんが、デコルテラインを出した方がむしろ綺麗に映るのですよ。それにお若いのですもの、華やか結構! 身を固めるのなんて結婚してからでいいじゃありませんか」


 つまりけしてシュナを恥ずかしがらせるためではなく、体型に合った綺麗に見えるデザインの服を選んでもらえたのだと知って、多少は逃げ出したい気持ちも和らいだ。


 それに恥ずかしい気持ちもあるが、鏡でのぞき込んだときに素敵だな、と思ったのも事実なのだ。


 似合うに合う、とメイド達は散々はしゃいでいたし、もしかしたらお世辞や身内びいき込みなのかもしれなくても夫妻だってちゃんと満足してくれたようだった。



 なのにデュランのあれはなんだ? 一人だけ見るに堪えないとでも言うようにいなくなってしまった。


 いくら趣味でなかったのかもしれなくとも、場慣れしているはずだろう、多少は初心者に華を持たせてくれたって罰は当たらないはずではないのか。


(これだけ周りは褒めてくれているのに、一体何がそんなに気に入らないの? 大体、いつもは過剰な程褒めてくる人筆頭なくせに……)


「トゥラちゃーん。どうしたのかなー。緊張してきちゃった? 大丈夫大丈夫、いつも通り儂の足踏んづけてればいいから」

「ほどほどに。転ぶのは……まあ構いませんが、怪我はしないようになさいね」


 悶々としていたシュナの気持ちの落ち込みを察したのか、侯爵閣下がびろーんと頬を引っ張って話しかけてきた。

 夫人が素早くたしなめる声も飛んでくるが、思わずぷっと笑い声が出ていい感じに肩の力が抜ける。



 その辺りでデュランも戻ってきた。


 落ち着いてくる、と宣言した通り、よそ行きモードに気分を変えてきたのだろうか。笑みも見せるのだが、どうもオーラが近寄りがたい。


 真面目な顔でちょっと気難しそうにしていると、横顔がシシリアそっくりだ。人なつこい所ばかり見ているが、こんな風に冷たい表情も作ることができたんだ……とシュナはちょっとした新発見である。


 普段はちゃらんぽらん……ではなくもっと人当たりのいい雰囲気をしているが、彼がぴっちりしていると自然と周りも引き締まる。


 かしましくしていたメイド達も、釣られるように口数が減った。

 それともいよいよ本番が近づいてきて、皆一様に緊張が高まってきているのだろうか。


 その合間、戻ってきたデュランの方に、シュナはちらちら視線を送っていた。


(お世辞でも褒めてくれないのかしら……せめて一言。こっち向いて! ね、わたくし、お姫様みたいに見えない? 細かいあれこれに目を瞑れば、かなり素敵だと思うの。ねえ、ねえ!)


 とうずうずしながら念じていたが、ふっと何気なく一瞥した視線のなんと冷たいこと! 結局そのままふいっとあちらを向いてしまって、「あっこれは意図的に無視されているのだな!」とこの手の事に鈍感なシュナもすぐわかった。


 しかも目元に手を当ててやれやれと首まで振っているではないか!


(まああ! そう、何が気に入らないのかわからないけど……というより十中八九ドレスのデザインでしょうけど。でも、いいわ、あなたがそのつもりならわたくしだって考えがあるのよ。一度も足を踏まずにダンスを終えて見せるのだから! それならさすがに、拍手喝采せざるを得ないでしょう!?)


 練習中もトゥラの社交界デビューに対するデュランの消極性に反発を覚えたことがあったが、本番になってより一層、俄然やる気が出てきた。


 ふん! と鼻息荒くしている彼女の横では、


「本当に一応立て直しては来たけど、舞踏会前にここまで必死な息子を儂は初めて見た。超面白くない?」

「その辺りにしておきなさいまし。意地悪されて困るのはトゥラです」


 と夫妻がひそひそ囁き合っているのだが、頭の中で入場、お辞儀、ダンス! の最終チェックとイメージトレーニングを始めた彼女にも、「俺は平常心俺は平常心」と小声かつすさまじい早口で自己暗示している彼にも、どうやら耳に入る余裕はなさそうだ。



 若者二人がそれぞれ気合いを入れ直しているうちに、とうとうその時はやってきた。


「ま、緊張するのは当たり前だがの。シシリアの無茶ぶりに耐えた、それだけでトゥラちゃんは超偉い。マジ偉い。なんだかんだ、あのしごきについていくのが本当偉い。だから後は楽しめばよい」


 侯爵閣下はそんな風に若い娘を励ましてから、恭しく手を差し出してくる。ごくっと唾を飲み込んで、シュナは手を重ねた。


 そこからはもう、一瞬だったと言っていい。


 先にシシリアとデュランが出て行った時、どよめくような音を聞いた。怖じけないように、ぎゅっと手に力を入れると、侯爵閣下はわかっているよとでも言うように優しくほんのわずかに握り返してくれる。


 扉が開かれ、入っていった先はくらりとめまいを感じそうなほど広い空間で、色とりどりの華やかな衣装に身を包んだ人々が一斉に鋭い視線を投げてくる。


 けれど集中していたシュナはそれらには構っていられなかった。

 誰か、何か喋っているようだが、耳の奥まで入ってこない。

 促されるまま進み出て、ピンと姿勢を伸ばしてから、ゆっくりとスカートを広げてお辞儀する。


(ダンスは不得意かもしれなくても、これは慣れているもの。お父様にいいよって心から言ってもらえるまで、何度も練習したわ。いつ帰ってきてもすぐ褒めてくれるように、どんなに眠くても……)


 日頃の習慣を繰り返すことは、気分を落ち着けるのに良いらしい。

 カチリと身体の中で歯車が噛み合うような感覚。

 再び顔を上げたとき、「行ける!」と確信した。


 その瞬間、シュナは見知らぬ人の群れの中にいたのではなかった。

 彼女は塔の中にいた。人生で最も長い時を過ごしてきた場所。

 目の前には父。

 いつも通りだ。


 ――おとうさま、シュナをみて! おしろにダンスにいくの。エスコートしてくださる?


 布団の上で飛び跳ねて、精一杯大人っぽく振る舞った、その記憶。


 けれどすっと伸ばした手はもうあの頃よりもずっと大きく、優美な軌跡を描いた。


 記憶の中の父が――いいや。今日のお相手である侯爵閣下が、少しだけ驚いたように眉を上げてから、ふっと微笑んだ。


「お手をどうぞ、レディ。今日はあなたが主役だ」


 デュラン同様、日頃おちゃらけていても腐っても迷宮領当主。

 ダンスに淑女を誘う様は、身長の低さの不利を全く感じさせないほど堂に入っていた。


 後はもう、流れるように進み出て、この一週間のいつも通り、決められた動きを、楽しんで、合わせて、こなすだけ――。


 そして気がついたときには、曲が終わっていた。


 目を丸くし、肩で息をしていると、静寂からぽつり、ぽつりと音が出て、やがてそれは大きな拍手になり、やりとげた娘を包み込んだのだった。



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