恋乙女 舞踏会に挑む 後編
しばらく頭が真っ白になっていたシュナだったが、侯爵に手を引かれるとはっと自分のやるべき事を思い出した。
まずはお辞儀。
次にダンス(できれば足を踏まない転ばない)。
それが終わったら――。
(淑やかに、言うことを聞いて、微笑んでおく。つまり、余計なことをしない!)
教育係がピッと指を立てて何度も言い聞かせたことを思い出し、シュナはぎっと口角に力を入れた。
(ひ、引きつる……)
踊っている間はとにかく夢中だったが、気が抜けたせいで逆に緊張が戻ってきたようだ。一応笑ってみてはいるのだが、たぶんあまりよろしい出来ではない。
人見知りする方なのだから、知らない大勢の人間の群れに放り込まれたらガチガチになって当然とも言えるが。
ぎくしゃくとしたまま侯爵の横にいる彼女に、わらわらと人の群れが順にやってきては何やら挨拶をしているらしい。
音は聞こえているのだがいまいち言語として認識されない。緊張のせいもあるだろうし、何というか……しゃべり方が独特なのだ。
「いいですか、お嬢様。舞踏会は建前で隠した本音の殴り合い、けれど本音が透けるのはともかく見えてしまうのは野暮という世界です。優しい言葉をかけられても浮かれすぎると痛い目見ますよ」
そう珍しく怖い顔で言っていたのはコレットだったろうか。
どうせ話せないのだから相手が何を言っていてもニコニコ聞き流していなさい、がシシリアと彼女の手配した講師達の一貫した主張だったが、メイドの方はもう少し具体的なところまで助言をしておきたかったらしい。
コレット曰く。
たとえばひらひらを羽毛のたっぷりついた扇子で扇ぎながら、髪をきっちり結い上げたご婦人がこんなことを言っていたとする。
「今日は本当に良い天気ですこと。日の光を浴びて、我が家の薔薇も一段と華やかに咲き誇っていますの。けれど最近、なんだか前に比べて元気がなくて……水が合わなかったのかしら、それとも足りていないのかしら。どなたか手入れの仕方をご存じなくて?」
シュナからすれば、「お花が好きな方で、困ってらっしゃるのね」と思うわけだが、ではここで素直に土の具合はどうかとか具体的に花の解決方法を提案するのは野暮の極み、貴族としては間違いなのだそうだ。
無難な正解は、
「それはおかわいそうに。レディ、我が家のやり方をご教授いたしましょう。さあ、フロアに進んで」
と話を聞いていた紳士が、貴婦人のたおやかな手を取って広間の中央に歩み出す――。
要するに貴婦人の最初の言葉は、「私今前の恋人と別れて暇だから誰か遊びましょう」の意になっているのだ。
だから自分が応じる気がないなら代わりに空いてそうな人間を手配する、パスできる相手が身近にいないなら置いていくのは相手に失礼なのでとりあえず一曲踊ってから適当に別れる、「むしろ自分が渇いた貴方をたっぷり潤わせてみせます」という意気込みならダンス後にそっと二人で抜けて大人の時間に……が、貴族的無難ルートらしい。
解説されてもさっぱりわからない。
しかもこれはまだものすごくわかりやすい方の言語なのだと言われて、「わたくしには一生貴族言葉が理解できそうにないわ……」と神妙に思い込んだ小娘なのである。
「まあ、つまりですね。ベストセラー官能ぼ――うえっほん! えー、若い娘さんの場合よくあると言われているのが? 遊び慣れてる貴公子がふらーっと寄ってきて口説いてきた言葉に、知らない間に応じてしまっていて、後はあちらに引きずり込まれるままめくるめく快楽と退廃の日々へ……」
両手を威嚇するように広げておどろおどろしく言うものだから、シュナはすっかり震え上がってメイドの言葉に聞き入っていた。
「……まあ、そこまではさすがに大げさですけれど。お嬢様の場合、言葉を返せませんし、第一今回は主催が庇護者なわけですし、現実ではお互い手を出していい相手駄目な相手は普通見分けますから、そう変なことにはならないとは思うのですが――」
以下くどくど続いたメイドの長い言葉をシンプルに集約すると、「知らない人についていってはいけません」だった。
そして実際現場に出てきて思うのは、
(ついていきようがないわ。だって言葉の意味がわからないことが多いし、わかっても何かの暗喩なのかそのままの意味なのか、わたくしにはちっとも見分けられないのだもの!)
ということであった。
そんなわけで、最初は殊勝にも一人一人の言葉をちゃんと聞こうとしていたが、すぐそれが不可能と悟ると、小娘は観察の方に精を出し始めた。
改めて会場の人を見渡せば、わかりやすく豪勢な人が多いように思えた。
町の人々や冒険者の格好もなかなか個性豊かだったが、この場は一際……幼稚な感想そのままでいいなら「キラキラしている」。
「宝石などの装飾品は、見た目は綺麗ですが人間が生きていく分には必要ないと言ってもいい――つまり身につけている者の余裕、それを手に入れられるほどの財の豊かさを表します」
そういえば講義でそんなことを聞いたような気がしてきた。
偉い人の見た目が派手派手しくなる傾向にあるのはシュナもなんとなく知っていたが、なるほどそういう理屈で輝いていたのか、と改めて納得したのではなかったか。
「見た目は似ていますが、魔石となると多少価値が変わってくる。物事を動かす力を蓄えられた魔石は、ただの宝石より実用的になります。というよりただの宝石に、術士が念を込めたり、自然の環境が力をため込んだりした結果できあがったのが魔石とも言えます……」
(だったかしら。デュラン、迷宮で冒険していたときに探していたものね。自家生産もできないわけじゃないけど天然物も捨てがたく……ええと、なんだったかしら)
考え事をしていたら一際目立つ男が進み出てきて、思わず彼女は目を見張った。
「いやはやようやくですか。待ちわびましたぞ」
(大きいわ。横に)
見知らぬ男に対するシュナの第一感想はシンプルだった。
今まで見てきた誰よりも表面積が大きい。
でっぷり突き出た腹をたゆんたゆんに揺らして歩く姿は、なんとも形容しがたい存在感を放っていた。ひらひらした柄物のの布で身体を覆っているので余計にこう……。
(孔雀さん!)
図鑑でしか見たことのない鳥の名前を思い出し、そうだあれにそっくりなんだ! と一人納得したシュナはちょっとだけ気分がすっきりしたが、すぐにほんわかしてばかりもいられないと気を引き締める。
さりげなくすすすっと周囲が引いたのと、ニコニコしていた侯爵閣下の笑顔の輝きが体感三割増しになったことで、「きっと偉い方なんだろうな」と容易に察することができたのだ。
(確か今日この場に来ているのは、迷宮領の西に位置するヴェルセルヌ王国の貴人達、だったはず……)
ヴェルセルヌ王国は、迷宮領を取り巻く三国の中で最も豊かな土地と聞く。
魔物の数も少なく、作物が育ちやすく、四季はあるがどれも厳しすぎることがない。
ただ、豊かであるが故に三国の中で最も劣っている――とは一体誰の評だったろう。本に書いてあった事だったかもしれない。
飲み食いと暮らしに困ることはないが、国内が安全な分外敵に弱い。それが確か王国という国の特徴だったはずだ。
魔石などの資源にさほど恵まれず、術士の数もけして多くはなく、一応軍はいるが、平和な地故に戦慣れしていない。
だから彼らは軍事的な資源の宝庫である迷宮領を求めるし、いなくなられると激しく困るのである。
一方、迷宮領は食料の大半を王国に依存している。三国の間で皆の機嫌を取り合っているとは言っても、やはり一番のお得意様は西の王様になってくるのだ。
法国と組むには互いの信条が相反する上に交換できるうまみがさほどない。
ギルディア領と組むには、やはり亜人という別種である以上文化に差があるのに加え、部族達が互いに覇を競い合う土地柄にあって安定性がない。
しかし食糧事情をちらつかされて色々口出しされるのが嫌ならいっそのこと攻め入ってしまえばいいのでは? これもさほど現実的ではない。
攻め落とすだけでいいならおそらく可能だが、その後国全体の面倒を見なければいけないのが死ぬほどめんどくさいではないか。
あと一国落ちたらさすがに残りの二国が黙っていないだろうから、つまり王国に手を出すと言うことは自然な流れで三国全てを相手にするということである。ギルディア領はともかく、神聖ラグマ法国はそれこそ民が死に絶えるまで徹底抗戦するだろう。
で、諸々考慮した結果、結局歴代迷宮領当主達は「あいつは適当に遊ばせていい気にさせて作物の面倒だけしっかり見させとけ」という感じの思考で落ち着くらしい。
だから持ちつ持たれず、お互い思う所はあってもなんとなく肩を組んだまま今日に至る。それが王国と迷宮領の関係性らしい。
さて今侯爵閣下の社交的笑顔という仮面を増強させているこの男は、どうやらその王国の使者というところらしい。
「あなたが件の……いやはや、ようやくお会いできまして。閣下が出し惜しみするものですから、我々としても気にかかって夜も眠れない有様だったのですよ」
なんてねっとり言いながら歩み寄ってくる。
拒絶するのはさすがに無礼だろう、シュナは大人しく手を差し出したが、膨らんだ手で繰り返し執拗にすりすりなで回されるとさすがに怖気が走った。
「お手柔らかに。何しろ彼女は今日がデビューの日なのですから」
挨拶にかこつけたお触りタイムが長かったからだろう、そんな風にやんわり言いながらもしっかり侯爵が引き剥がしてくれたのだが、肉に埋まったつぶらな瞳がじっと自分に注がれ続けているのを感じてシュナは震え上がった。
咄嗟に助けを求めるように会場に視線を彷徨わせ――目当ての人物を見つけると、今度は別の意味で全身に衝撃が走るのを感じた。
(まあっ――まああっ!)
それまでなんとか困ったように眉を下げつつも一応崩れなかった笑顔が一瞬にして剥がれ落ちた。
見覚えのある黒服を身にまとった赤毛は、人の多く広い部屋でもよく目立つ。
そしてその周りには、色とりどりのドレスがわらわらとむらがっていたのだった。
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