恋乙女 ヤケ酒を起こす(事故)
(確かに……人気者なのは知っていたわ。ええ、人に囲まれているところは何度も見てきたし、竜達だってそんなことを言っていたもの。でも、でもね……!)
ぎゅっとドレスを握りしめた手に力が入り、わなわなと震えるのを感じる。
視線の先では、ちょうど金色の髪が美しく、赤色のドレスをまとったご令嬢がデュランの隣にいた。背が高くて、女性らしい体つきで、気の強そうな美人だ。デュランと並んでいると、非常によく栄える。
彼女が何か言って、彼が返して、周りはそれを取り囲み、楽しそうに湧いている。
その様子が、ああ、なぜだろう。とても見ていてむしゃくしゃする。
(あれはちょっと、酷いのではないのかしら!)
そのまま地団駄を踏みそうな勢いだったが、横から咳払いが聞こえてきてシュナははっと意識を取り戻した。
周囲を見回すと、訝しげにこちらを見つめる王国の使者と、げほごほわざとらしく咳き込みながら、
「あー、なんか急に喉の調子が悪くなってきたようですな。緊張かな?」
と笑みを作りつつチラチラこちらに何か訴えかける視線を投げてよこす侯爵の姿が目に入ってくる。
慌ててシュナも笑顔を作り直し、再び使者の相手をするべく身体と顔の向きを直した。すると使者はまたも長ったらしく退屈な話を、もったいぶった口調で始めたらしい。
侯爵閣下が相づちを打つ音が一応耳に入ってきてはいるのだが、しかし、シュナの意識はもうすっかり、会場の一角にある光景のことで一杯だ。
遠巻きでもわかる楽しそうに話している様子、女性達が熱を持った目で見つめる姿、それから甘い笑顔で応じるデュランの顔――。
距離を置いて見ていると改めて憎たらしいほどに美男子である。ああいう女性達を侍らせているような絵が、ひじょーによく似合う。そしてまたいかにも場慣れしている金髪美女の、自信に溢れた華やかさが眩しいこと!
けれどいつもなら羨ましいとかすごい程度で終わる気持ちが、今はなぜだろう、悔しくて仕方ない。
(何よ。わたくし知っているのよ。あれって鼻の下を伸ばす、って言うのだわ。良くないことよ。きっとあれもお仕事とか、お役目とか、そういうものの一貫ではある、とは、思うけどっ……!)
なぜこんなに心がざわめいて落ち着かないのか。
なんとかせめて真顔を保とうとする動きと、自然と怒りの表情を作り上げようとする動き、相反する二つの筋肉活動で顔が戦慄いているのを感じる。
以前町に出かけたときデュランを取り囲んでいた人の種類は、老若男女様々入り乱れていたが、今は妙齢の女性ばかりが集っている。
疎いシュナにだってなんとなくわかる。
あれはデュランの恋人候補の団体だ。もしくはもう、あの中に恋人である人がいるのかもしれない。もしかしたらそう、一番目立っているあの金髪のご令嬢がまさにそうだったりして。だってあんなに仲が良さそうだし――。
そこまで考えが巡ったところで、背中から鈍器で殴りかかられたような衝撃が走り、シュナは危うく手に持たされていた扇子を取り落としかけた。
(……何故今まで気がつかなかったのかしら。そうよ、逆よ。そういう人がいない方がおかしいじゃない)
自分で自分の発想にショックを受ける。
特に深く考えてこなかったから本当に今更感が漂うのだが、冷静になればデュランという男に相手がいない方がよっぽど変だ。
彼は次のご領主様だし、姿形は整っているし、そして人懐こく(たぶん逆鱗の贔屓目を抜いても)多くの女性にとって一緒にいて快い相手だ。しかももう成人している。
――誰とでも寝る男、と前に彼のことを評したのはエゼレクスだったか。
それが竜相手なら、「デュランは色んな竜と仲良しなのね!」とほのぼの考えることができていたが、女性相手でも同じ事が言えるのだとしたら。
ちょっと頭の中でシミュレーションしてみる。
たとえばトゥラが喋れる状態で、「一緒に添い寝してほしいの」とお願いしたとする。たぶん彼は、少し困った顔はするかもしれないが、断らないだろう。
「お安いご用さ」なんてぽんぽん膝を叩いて招く様子が目に浮かぶ。
ではトゥラ以外の女性が同じように言ったら?
……断るのかどうかすごく微妙だ。いやむしろトゥラにオッケーなぐらいなら他の女性にオッケーでも何ら不思議ではないのでは?
「君のお願いなら」と甘い顔で他の女性を膝枕に呼ぶデュラン……。ただの想像なのに、なんとも腹立たしい。横っ面をひっぱたく……のはちょっと違う気がするから、みょーんとほっぺたを引っ張ってやりたい所だ。
だが自分が何にそこまで腹を立てているのかという部分まで思考が追いつくと、さらなるめまいが襲いかかってきた。
つまりシュナは――トゥラは、デュランが自分にしたのと同じように、他の女性に優しいのが気に入らない。
そして今、自分のことをほったらかしにして他の女性に愛想良く振る舞っているのが気に入らない。
(わたくしのことは見るのも不愉快なくせに他の方とはダンスを楽しむの!?)
と、いうことは、だ。
逆に、今まで彼女はどこかでデュランにちやほやしてもらうことを当然と思っており、それがなくなったことを不当と感じていることになるのではなかろうか。
すると今度は急速に、自らの思い込みと自惚れの強さに猛烈な恥ずかしさがこみ上げてきた。
(ば、馬鹿だわ、わたくし……シュナはデュランの逆鱗だけど、竜だもの。人間の恋人には、きっとなれない。一方、トゥラは所詮、どこの誰ともわからない人間だわ。優しかったのは、別に特別に思われていたとか、そんなわけではなくて。ただ、あの人が、信条とか義務感で、構ってくれていただけで。そうよ、今冷たく感じるのも、元からこの距離感が正しかったか、あるいはわたくしが調子に乗っていたから……)
また侯爵がウエッホンオッホンとうるさくしていたのだが、今度は彼女の耳まで届いていなかった。じわ、と目尻が熱くなってくる。
(ああ、わからない。頭がぐるぐるしてきた。どうして今更気がついたの? 今になってそんなことを気にし始めたの? あの人の隣に別の女の人がいる。わたくしはそれに何か言える立場? シュナとしても、トゥラとしても。驕りだわ。慢心だわ。でも……でも、だって、嫌なの!)
「──失礼。どうも彼女は体調が優れない様子、少し休ませる必要がありそうです」
侯爵がそうにこやかに前置きをすると、さりげなく寄ってきたメイドがシュナの手を取り、会場の端っこに誘導する。
かろうじて退出前に周囲に頭を下げることは思い出したが、正直今のシュナは確かに立っているだけでもかなり辛い状況だった。
(好きよ。好き。わたくしを見てほしい。他の人にそんなに優しくしないで。いい顔をしないで。そんなの……ねえ、この気持ちは一体何? 何なの? 知らない、知らなかった。こんなに苦しいなんて……)
今までデュランと一緒にいて、色々な事があったけれど、基本的には快い感情ばかりのはずだった。
こんな、どろりとして、ぐしゃぐしゃで、考えると苦しいのに忘れる事なんてできそうにない……そんな物は初めてで、まるでどうすればいいのかわからない。
とにかく彼女は混乱していたし、周囲もなんとなく察する所があったのだろう。
「お嬢様、お水はどうでしょう? 控え室に行って、お休みしますか?」
いつの間にかシュナを支えていたコレットにひそひそと話しかけられたのは良かった。やや強制的にはあるが、意識をデュランから離すことができたためだ。
そう、明らかに今のシュナは調子が悪い。少し休んで調子を治してからまた戻ってくるのがいいのではないか。せっかくの初舞踏会なのだ、このまま帰るというのはさすがに抵抗があった。
そう考えて頷こうとした、ちょうどその瞬間。
物が割れる音と、女性の悲鳴が広間に響き渡る。
反射的に振り返れば、どうやらそそっかしいご令嬢が手からグラスを取り落としてしまったようだ。
しかも可哀想に、深い緑色のドレスに派手な染みまでついてしまっている。
(…………!)
ところが真っ先にご令嬢に駆け寄ってあれこれ世話を焼き始めた男の姿まで視界に入ってしまい、シュナは一瞬落ち着きかけた気分が一気に急降下するのを感じた。
確かに災難に遭ったご令嬢がいたのはデュランとその取り巻きの近くだ。だが誰よりも早く動いたのは彼だった。
優しく宥めながらそっとハンカチを取り出して渡し、ようやく到着した使用人達にあれこれ後片付けの指図をしてご令嬢の手を引く。
彼ならそうするだろう。きっと相手が誰であっても。
カッと胸が焼けるように熱くなったシュナは、涙目で咄嗟に振り返る。
コレットはちょうどデュランの方に向かおうとでもしていたのだろうか、しかもその途中で別の客人に呼び止められて何か言われているようだった。
さらにシュナは周りを見回す。あった! 少し歩いた先、テーブルに置いてあるボトルとグラスが目に入った。これこそまさに今この瞬間求めていたものだ。
このまま立ち尽くしていたらいつか泣いてしまいそうである。気を遣ってもらって端に引っ込んだとは言えまだ会場の一角、さすがに泣き出すのはダメだろう。
とにかくこの渇き切った喉を潤したい。そうすれば多少はむかつく胸も収まるはずだ。飲むだけならコレットや侯爵閣下、夫人などに頼らずとも自分でなんとかできる。
彼女は引ったくるようにして、勢いよくグラスの中の水を呷った。
ごく、ごく、ごくり、とシュナの細い喉が鳴り、注がれていた液体が全て喉を通って身体にしみ通っていく。
(……? へんなあじ……)
しっかり全部飲み干した時、確かに違和感があった。水じゃない気がする。水はもっとこう、味がない。ではこれは何味なのかと言われると……。
(……きっとパーティー用の飲み物なのだわ。置いてあるのだから飲めるはずよ!)
けれど彼女がその時気にしていたのはとにかく渇きを満たすこと、それによって己を鎮めることだ。多少の違和感は些事に思われた。
半ば強迫観念に近い衝動のまま、二杯目、三杯目と──会場の注意がデュラン達に注がれ、止める者がちょうど全員出払っているのをいいことに、結局ボトルは空になるまで消費されつくした。
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