竜騎士 家族会議をする 前編

 今から大体百年前、当時世界で最も栄えていたソラブシリカ帝国は崩壊した。

 帝都は荒れ果て、国は三つに分裂した。


 残された迷宮の後始末に、さて誰かは必ず行かねばならぬ。だって災厄の元ではあるけれど、同時に見捨てられない資源の眠る宝の山だ。人類とはかくも愚かなるかな、なかなか一度味わった旨味を忘れられないし、それが存在する以上絞り尽くす方向で運用を考えるのである。


 しかし身を張った偵察役を務めたくはない。だってどう考えても絶対無事で済まない。だから先に、誰か自分じゃない貴い犠牲者が身を投げ打って、安全な道を開拓してくれないかなあ――偉い皆様の心温まる押し付け合い、もとい色んな利害が絡む譲り合いの末に押し出された男こそ、ロワン=ティルダ=エド=ファフニルカ。つまりは初代ファフニルカ侯爵である。


 現在のヴェルセルヌ王国を治めるゼレスタ王家の傍系、しかも兄弟に使用人としてこき使われていた庶子という、微妙すぎるどころか世紀末でなければ絶対に表舞台に出てきようがない経歴。この露骨な貧乏くじをつかまされるに至った赤髪の男は、しかしどんな強運の下に生まれてきたか――迷宮探索を成功させ、町を復興させ、人を集め、しぶとく生き残った末、やがては一つの国を作り上げてしまった。


 分裂しにらみ合う三国の間にあってどの国とも異なる、迷宮領という異質な魔空間を。


 そしてその子孫もまた代々、ご先祖様の強運としぶとさとちゃっかり感を見事に継承した。目を引く鮮やかな赤毛の特徴と共に。



 さて迷宮領の領主一家が住まう城には、そんな事故じみているがきっと偉人ではあるのだろう、代々のご先祖様達の肖像画がずらりと並んでいる場所がある。


 部屋の名前はそのままずばり、“領主の間”。

 執務室のような雰囲気があり――というか実際表の執務室とほとんど家具の配置や構造は変わらないのだが、例えば御領主様がちょっと一人で静かに考え事をしたい時、あるいは何かの大事の前にご先祖様の前で気分を引き締めたい時、更には失恋のショックを誰にも見られず思う存分嘆きたい時――要するに、今では諸々の事情で領主一家の誰かが引きこもりたい時御用達のお部屋なのである。


 初代領主の顔をじっと睨みつけていた現当主、ダナン=ガルシア=エド=ファフニルカは後ろ手に組んだまま重々しく声を上げた。


「ふむ。やはり何度見ても我が祖先ながら薄い」

「頭が?」

「デュラン。パパにもね、息子であっても見逃せない冗談は存在するんだよ」


 にっこり笑って振り返った侯爵に、ソファに深く腰掛けた未来の侯爵候補は首をすくめて見せた。


 行儀悪く脚を組んでいるのだが、なぜか品の良さが拭い切れていないし、あと脚の長さが強調されてムカつく。本当誰に似たんだこいつ。頭の色は間違いなくファフニルカ侯爵一族そのものなのだが、やっぱり母方の遺伝だろうか。

 当代ファフニルカ侯爵の妻は代々美貌の家系である。本当なんで売れ残ってたのか謎――いや理由は明白だった、この視線で死ねそうな勢いとキレッキレの言葉の数々、繊細でプライドの高い男の多い王国では煙たがられるのも当然と言うもの。なお当代侯爵は尻に敷かれたい男なので、妻の気が強いのは願ったり叶ったり、公衆の面前で罵倒されるのは基本的にご褒美である。


 ……等と、顔も体つきも平凡スタイルの父親はこっそり考えている。


 息子の向かい側のソファにピシッと背筋を伸ばしたまま座っている、件の美人な夫人が口を開いた。


「確かに薄いですね」

「シシー!?」

「代々の当主の印象が。意外にも凡庸な見た目の方が多いようです」

「――そっ、そうだね。そうだよね! 儂もそれが言いたかったんだ! ははは、は……」


 年上の妻は夫にも毎日厳しい。今回も背中から全力で撃たれたと思ったら案外優しいフォローだったという変則球で、侯爵は動揺を隠しきれない。


 そう、ずらりと並ぶ肖像画のファフニルカ一族は、髪色が派手なわりに顔立ちはそこまでパッとしない人物が多い。

 いや、別にこう、崩れているというわけではない、むしろよく見ると割と整っているのだが、なんかこう、地味なのだ。

 頭の色ばかり印象に残って顔立ちはそこまで記憶できない、そんな御仁が多い。だからこそ初代様も白羽の矢を立てられたのだろうなあ、となんとなく想像できる程度にはその辺に埋もれそうな顔立ちととぼけた表情をしている。


 ――それらを眺めてから、ふとソファーに沈み込む次代侯爵(予定)を見る。ちょっと野性味溢れるが優雅で華やかな青年がそこにいた。肖像画と見比べる。実に凹凸のくっきりした顔で、控えめに言ってもイケメンである。


「なんでお前、我が一族の癖にそこまで完璧で派手な美男子なの? ずるくない?」

「俺に言われても。つーかずるいって何」


 互いに真顔で見つめ合う親子は、侯爵家の実質的な頂点様の咳払いで硬直を解く。


 微笑みが極端に少ない貴婦人はじっと男共を見つめていた。早く本題を始めろ、とその目が語っている。


「二人とも忘れているかもしれませんが、もう既にかなり良い時間ですよ」


 確かに。夕食も終えてすっかり真夜中の時刻だった。もう寝間着に着替えてベッドの中に滑り込んでいても罰は当たらないような時間帯である。


 侯爵は一番豪華な執務机の椅子を引き、座り、両手を顔の前で組んで、いかにも深刻そうな顔を作る。


「さて、デュラン。これが何の集まりかわかっているな」

「……わかってるよ」

「そう、第一回トゥラちゃんファンクラブ会議――」

「そうなの!?」

「旦那様」

「――ではなく。えー、件の娘さんについて、まあ色々とお話をね。しないとね。まずいかなって、色々ありまして、思ったので、はい。そんな感じです。……あながち間違ってなくない? 違いますか、そうですか」


 早速グダグダな空気が漂いそうになったが、侯爵一家の監督係がしっかり睨みを利かせると多少持ち直す。


「あたくしも基本的にはあの子に好感を抱いていますし、力になってあげたいと思っている。この家に本当の意味で迎えるのもいいでしょう。けれどそれは、彼女の抱える秘密次第でもあります。お前、枢機卿カルディから忠告を受けたそうですね。何事も、あるべき場所へ、と」


 淡々と言われてピクッとデュランは眉根を寄せた。脚の上で組んだ手に力がこもる。


「それ、要するに迷宮の入り口にあの子を捨ててこいってことでしょ? 絶対嫌だ。そんなことできない――」

「まあまあまあ。落ち着け息子よ。いくら当代最高の術士様の仰る事とは言え、そのまま実行するのはさすがに現実的とは言えんな。だからシシーだって苦言は呈するが実行はしとらん。我々が――恐らく考えられうる限りの最速で保護してもこれだ、手放したらどうなるかわかったもんじゃない」


 これ、の言葉と共に侯爵はぽん、と執務机の上に積み上げている紙束の群れを叩いた。デュランの眉間にますます皺が増える。侯爵は紙の一つを無造作に取り上げ、ひらりと振った。


「まずは元祖お騒がせ、ザシャ=アグリパ=ワズーリ。もうね、うるさい。すっごいうるさい。会わせろって。特権ゴリ押しも辞さない勢い。いやこれ本当お前ファインプレーよ、先に見つけられてたら所有権の主張どころじゃ済まなかった。しかしさすが怖い物知らず、儂を仲人扱いしようとは。いやただのお見合いならまあ別にいいけど――よくないね、大丈夫、わかってる、わかってるよ、だから許可出してないでしょ、儂、自分で言うのもあれだけど防波堤としてすごく頑張ってるよ!? 噛んだことだってちゃんと抗議したから! 若干遠回しにではあるけど!」


 息子は当然父親に射殺さんばかりの殺意に溢れた目を向けたが、夫人からも冷たい目を向けられて当主は震え上がる。しかし精一杯アピールすると許されたようで、ほっと一息つくついでにぽろっと本音を零す。


「今度は何を企んでいるんだろうなあ、まったく。やだなあ、大人しくしててくれればいいのに」

「しかしギルディアは迷宮領以上に実力社会。あれほどの男の唾付きなら三下は遠慮して近寄ってきません。かの特級冒険者の報復の苛烈さについては周知の事実、となれば噛首によって警戒対象が減ったとも考えられますね。……最大限好意的に解釈すればの話ですが」

「まあ、誰だって顔を平面にされたくないもんね。危険な藪はつつかんこった。あー思い出さなくていいこと思い出しちゃった、さっさと忘れよ」


 話しながら怖気を覚えたのか、領主は身を震わせた。夫人は変わらず微動だにしないが、デュランも自然と手が鼻の辺りに行ってしまう。



 例の亜人の定番常識外れエピソードの一つ目が竜の解体ショーなら、二つ目はあまりに陰惨な結果をもたらした決闘模様だ。


 当時冒険者として新人から中級に差し掛かろうかという頃だったザシャは、まあわかりやすく調子に乗っていた若造で、当然かなり活躍していた先輩の一人から目をつけられた。冒険者同士の決闘は互いの序列を確認するためにも行われるが、秩序を乱しすぎる後輩に先輩が焼きを入れるために開催されることもあった。


 ザシャは勝った。勝ったぐらいならすごい新人だ、で終わる。やりすぎた。負けた相手の髪を丸刈りにし、鼻と耳を削いだのである。観衆の目の前で、床屋の髭剃りでもするかのように器用に切れ味の鋭いナイフを滑らせて。

 最初何が起きたかわからず呆気にとられるままだった見守り役が止めに入らなければ、犠牲者はもっと顔のパーツをなくしていたことだろう。一応ポーションで回復したが、心理的なショックが強すぎたのか、冒険者としての復帰はできなかった。


 そして問題児の方と言えば、優秀な冒険者一人を欠いた穴を埋めるとでも言うように――いやむしろ邪魔な奴がいなくなってせいせいしたという勢いで、みるみる功績を挙げていった。ついでに敗北した冒険者の持っていた特級宝器を装備し、気がつけば前任者以上に使いこなしていた。


 彼の残虐な行為を非難していた声はすぐに小さくなってしまった。一人で並みの冒険者の数倍働くし、それはやがてすぐに十数倍、いや下手をすると数十倍というレベルに到達したからだ。



 夫人の目がすっとこちらを向いたので、侯爵子息は脚を改め、姿勢を正す。


「それとデュラン、この件に関してもう一つ。衆人の目の前で露骨な挑発に乗らないこと。下手な戦を披露するものではありません、失うものが多いのはお前の方ですよ。これも言うまでもなく心得ているものかと思っていましたが」

「まあ、気持ちは大いにわかるが。お前が本気出した程度で素直にボコボコにされてくれる相手なら、儂だってその他関係者だってここまで頭悩ませんよ」


 ボソッと侯爵が言うと、しーんと沈黙が広がった。ふう、と息を吐き出して話を再開させたのもやはり侯爵である。


「ま、それでも一応、まだ迷宮領から出て行きたくないみたいだからね。ブーブー言ってはいるけど、この前みたいな不用意な町歩きをしなければ予防は可能。だからまあ、たぶんこれは奴が気分を変えない間はなんとかなる。……で、次の火種がこちらになります」


 侯爵は机に一枚目の紙を戻し、二枚目の紙を取り上げた。

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