竜騎士 迷宮行きたい(まだ軽度発作)
「迷宮行きたい」
「まだ三日目です、若様! 自重なさいませ!」
ふとアンニュイな表情でデュランが漏らした幾度目かの言葉に、側に控えていた使用人がカッと目をつり上げた。
この三日間なるべく聞き流していたが、ついに我慢できなくなったのだろう。
特級宝器
すらりと伸びた手足、鍛え上げられた身体、整った顔立ち、甘い声。そこに生まれの良さと運動神経、それから記憶力や愛想の良さ、そして彼の手にする唯一無二の宝器――等々、散々美点をつぎ込んでも、迷宮や竜への執念が全て帳消しにする。デュラン=ドルシア=エド=ファフニルカとはそうした男だった。
そのせいで、女性関係もあまり長続きしない。引く手に困ることはないが、皆最初の印象がどんなに良くても付き合っているうちに必ず、「私と迷宮どっちが大切なの!」問題に突き当たるからである。
中には我こそは彼の価値観を塗り替えてみせる、と奮起したご令嬢等もいたのだが、皆敗北を悟ってそっと離れていった。「紳士的な優しさが、より一層自分の独り相撲っぷりを噛みしめさせて辛い」と彼女達はハンカチを手に異口同音に語った。
先の「私と迷宮どっちが」問題に対し、デュランは「迷宮」等と即答する朴念仁ではない。ふわりととろける笑みを浮かべて「君の方が大事だよ」と言ってくれるし、実際デートもしてくれる。自分で先導したい女性には手を引かれるままにこやかについていくし、リードしてほしい雰囲気を出せばちゃんと食事をする場所も遊ぶ場所もムードのある宿も用意してくれる。そつのない男だ。
……が、相手に興味があれば相手の興味の先なんてわかるもの。会話の話題、視線の先、態度、目を輝かせるタイミング、熱の入れ具合……隣で見ていれば、彼から迷宮潜りを奪えないこと、本当はずっと潜っていてもいいぐらいそこにいるのが好きなことは、嫌でもわかる。
けして大事にしてくれないわけではないが、第一の興味の対象にはなれない――彼女達は皆そこに空しさを感じ、結果別れに至る。
基本的に、アタックするのが女性からなら、身を引くのも女性からだ。デュランは悲しそうに眉を下げるが、けして見苦しく後を追ったりせず、スマートな対応を取るし、以後も良い友人関係を続けてくれる。
だからそういう所だぞお前、追えよ! と、関係者はまた一人失恋者が現れる度に赤毛の後ろ姿に拳を振り上げているが、当人は知っているのか知らないのか、懲りもせず最終的には一人で迷宮をうろつくことになるのだ。
大して困っている様子もなく、むしろ割と満ち足りた顔で。
一体何がそこまでデュランを呼ぶのか、本人にも周囲にも理解も説明もできない。
ただ、昔、それこそ物心ついたばかりの少年の頃から、デュランは暇があれば迷宮で遊び、地上に戻れば次の冒険に頭をいっぱいにさせ、また潜り……それをずっと今に至るまで続けていることは、紛れもない事実なのである。
それにしても地上に戻ってきて少し時間が経つと「迷宮行かなきゃ(使命感)」の発作が始まるのはいつものことだが、今回は特に酷い。どのぐらい酷いかと言うと、初日から既にくるっとUターンしかねない勢いだったレベルで酷かった。
原因は明白だ。竜好きの男が五年前から竜に近寄れなくなって欲求不満を持て余してたのは誰もが知るところだが、何の間違いか彼を乗せる竜が現れ、しかも逆鱗を渡してきたと言う。更に詳しく話を聞くところによれば、これがまた庇護心そそられるような幼児性溢れる小さな竜だそうで……。
あちゃー、と関係者一同頭を抱えた。少しでもデュランという男の生態を知っていれば、その後起こる事態が容易に想像できる。知らなくてもデュランが青色の鱗を両手で大事そうに抱えてだらしない顔で歩いているのを目撃すれば、嫌な予感ぐらいはする。
侯爵の一人息子は帰ってきた当日、本当に必要最低限の自分の義務を淡々とこなしていったかと思うと、その夜自室に籠もった。無駄に器用な己の手先を余すことなく駆使し、徹夜で作り上げたのは逆鱗の鱗から作った特殊な笛だ。
一日の始まりを告げる鳥のさえずりの中、男は綺麗な青色の笛を手に、意気揚々と歩いて行った。ものすごく自然に、明らかに迷宮に向かって。そこでこれまたものすごく自然な流れで、待機していた騎士達はそれっと幸せオーラを振りまいていた騎士に一斉に飛びかかり、取り押さえた。経験と周到な準備の賜である。
「離せー、シュナに笛を見せるんだー! まあ、デュランが作ったの? やっぱりすごいのね! って言ってもらうんだ、それだけでいいから! それしたら俺満足して帰ってくるから!」
等と見苦しく叫んで抵抗していた十九歳に、
「ちょっと。その姿をシュナに見せるつもり? 幻滅されるわよ? もっと気持ちを落ち着かせてから会いに行きなさい。というか昨日の服のままシュナに会うなんて恥ずかしくないの?」
と声を掛けて大人しくさせたリーデレットはさすが幼馴染みの経験と貫禄、と言えようか。
逆鱗の竜にいい所見せたいだろ、というピンポイント攻撃は覿面で、デュランは大人しく身支度を整え、そのまま逃げるタイミングを逸して父親と共に真面目に地上業務に取りかかることになった。
……その間、一応真面目にちゃんと言いつけられた仕事自体は行っているのだが、ふとした折、物憂げで悩ましげなため息を吐いては、「迷宮行きたい」を繰り返す。チラッチラッと横目で父親やその他関係者を窺っては、「ダーメ☆」とお茶目にウインクされ、テーブルの下で何食わぬ顔で脛を蹴っ飛ばし、また物憂げにため息を吐いて流し目を送る。
「儂にそれやってどうする、息子の色仕掛けなど片腹痛いわ」
と一度だけ真顔で言った侯爵だったが、彼ほど周囲の人間は鋼鉄のメンタルも脛も持ち合わせていなかったのだろう。
反応した相手がいると、しめたとばかりにデュランの金色の目がきらりと光る。
「まだ? 違うよ、もう三日目だ。自重? 俺はずっといい侯爵令息を務めているよ。だからそろそろ一時的にでも自由の身になってもいいんじゃないかなーって」
「ダメ」
デュランの甘い言葉にビシッと答えたのは使用人ではない。テーブルの向こう側から声が聞こえてきて、彼はとびきりの笑顔のまま顔を正面に戻した。
「ちょっとだけ、ちょっとだけだから! シュナに笛見せるだけだから!」
「そう言って今度は何週間も戻ってこないんでしょ、パパ知ってるんだからね!」
デュランは笑顔のままだったが、こめかみのあたりにビシッと青筋が入った。
対する赤毛の男――父親にしてファフニルカ侯爵は、ふん、と鼻を鳴らしてみせる。パッと人目を惹きつける、華やかではっきりした目鼻立ちの息子に比べ、あまりにも平均的で凡庸、午後にはすぐ忘れてしまいそうな顔立ちは、お世辞にも親子らしいとは言いがたい。パッとした見た目の類似点は赤毛ぐらい、それも侯爵のものは大分白髪が交じってきている。
「大体、お前もわかってるでしょ。ちょうど本国がうるさいシーズンなんだから、ご機嫌取りもしておかないと、ね? あちらさんは物わかりのいい儂と違って融通利かないんだから、癇癪でも起こされたらそれこそ一月近く誰も近づけなくなるではないか、我が息子よ」
「あああ、最悪だ……」
デュランはがっくりとうなだれ、恨めしげな声を上げた。
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